第2話 黒き森の山羊 その五



 龍郎とアスモデウスは立ちあがり、戦闘態勢になった。

 ひらいた扉の陰に身を隠して待つ。と言っても、アスモデウスの体が光り輝いているので、むこうからはこっちが丸見えだろうが。


 まもなく、室内が明るくなる。その姿が闇に浮きあがった。天使だ。ウリエル隊だった。全員そろっている。見れば、部屋の奥にもう一つ扉があった。


 アスモデウスがウリエルたちと思念で会話したらしい。

「向こうがわは遺跡の裏口に通じているようだ」と、説明してくれる。


 つまり地上からの出入口は二つあり、この部屋を中心にしてつながっているということだ。


 まもなく、さっき離れたシャムシエルとエアーベールもやってきた。


「あっちは袋小路でした」

「ということは、ガブリエルたちの行ったほうが唯一、遺跡の奥への道か。我々も彼らを追おう」


 そう言って、アスモデウスが歩きだす。


 さっきの攻撃は天使の矢だった。このなかの誰かがアスモデウスを襲ったのかもしれないと龍郎は思ったものの、いったい誰がそうなのかは見当もつかない。弓矢は天使たちの常装備らしく、ほぼ全員が携帯しているので、そこからしぼることはできない。


 ともかく、ガブリエルたちを追いかける。階段をくだり、最初の二又まで帰るあいだ、天使たちは各々の調査内容を語っていた。


「我々はこの遺跡の裏口付近でグラーキと遭遇し、勝利しました」と、ウリエル。


 龍郎にとっては聞きずてならない。

「グラーキはおれが倒したけど」

「グラーキに似てはいるが、かなり小型だった。背中のトゲがなかったので楽勝だった。グラーキじたいではないのだろう。グラーキ型の何者かだ」


 アスモデウスは考えこむ。

「さきほどのシアエガも、いぜん、わたしが倒したものより小さかった。形状も少し違う。似てはいるが異なる個体——それも、生まれてまもないのではなかろうか?」


 それは倒したはずの邪神が復活したということなのか。あるいは、まったく違う別の神なのか。


 最初の二又についた。ガブリエルたちがむかった右側へと一同で進む。

 しばらく歩くと、さらに道がわかれる。直進と、九十度折れた脇道だ。アスモデウスが頭の奥から聞こえる声に耳をすますようにして言う。


「脇道からは天使の声が聞こえない。このさきには何もなかったということだろう」


 ガブリエルたちが調べて、何もないからさきに行った、ということだ。

 まっすぐ行くアスモデウスについていこうとした。

 そのとき、龍郎はふと何者かの気配を感じた。脇道のさきのほう。暗い廊下の彼方をなにげなく見ると、ぼんやりと人影がある。


(あれ……?)


 それはよく知る邪神だったように思う。敵なのか味方なのか、もう一つわからない相手だ。長いゆるふわの黒髪を背中に流し、秀でたひたい、通った鼻筋。造作はむしろ端正だ。


(……ナイアルラトホテップ?)


 しかし、ながめているうちに消えた。


「龍郎。何をしている。急げ」


 アスモデウスに名前を呼ばれて、龍郎は我に返った。あわてて、あとを追う。


「名前を呼んでくれて、ありがとう」

「……おまえが呼べと言ったのだろう?」

「ああ。だから、ありがとう」


 アスモデウスの透きとおるように白い頬が、みるみるうちに赤く染まる。出会ったころの青蘭の反応だ。


(可愛いなぁ)


 本道を進んでいくと、くだりの階段になっていた。さっき、龍郎たちが行った左側と対称になる構造のようだ。ということは、この階段のさきにも広間があると考えられる。


 やはり、階段をおりきると分岐があり、そのさきに扉があった。階上で見たのとよく似ている。


 アスモデウスは気難しい顔で扉を見つめている。


「妙だな」

「どうしたんだ?」

「天使の気配がない。先行の天使たちはどこへ行ったのだろう?」


 龍郎には感じられないが、天使同士の思念のやりとりでは明白なことなのだろう。ここまで来るあいだの脇道のいずれかで、すれちがってしまったのだと考えるのが妥当だが、アスモデウスはそれも否定する。


「ここまでにもいなかった。それはたしかだ」


 にわかにガブリエルの身が心配になった。ほかの天使たちのことはよく知らないが、ガブリエルはただの知りあい以上に親しい。


 すると、アスモデウスがまた不機嫌な表情になった。


「おまえは、やっぱり、ガブリエルのことを……」

「いや、だからそうじゃない。けど、いろいろと、つきあいってものが」


 だって、ガブリエルは龍郎のことを、心臓を重ねたい相手だと言ってくれている。その想いにこたえられないからと言って、あっさり見すてるのは、あまりにも非人道的だと思った。


 しかし、それにしても、ガブリエルたちはどこへ行ったのだろう? まさかと思うが、すでに邪神に倒された……なんてことも?


 じわじわと不安がこみあげる。

 ことによると、このなかに恐ろしく強い邪神がいるのかもしれない。この遺跡のどこかにひそんでいるはずの大いなる邪神だ。シアエガは小物だった。もっと強大で油断のならない強敵……。


 アスモデウスは意を決したように扉に手をかけた。

 ゆっくりと扉がひらかれていくのを、龍郎は息を呑んで見つめた。

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