第1話 邪神襲来 その八
「フレデリックさん!」
神父のグリーンの瞳は生前とまったく変わらないように見える。しかし、生きてはいない。喉にあいた穴はそのままだ。そこからトロリと青い液体がこぼれた。
(アンデッド……)
それは死体だ。
もはや、フレデリック自身の意思は残っていない。あやつられ、ただ体だけが動いているにすぎない。
龍郎は一瞬、ためらった。しかし、明鐘がふるえる手で龍郎の背中の衣服をつかんできた。
フレデリックの最期の言葉が脳裏によみがえる。
—— 君は、生きろ。戦うんだ。龍郎。
(そうだ。おれがやらなくちゃ)
意を決して右手に力をこめる。退魔の剣を呼びだした。周囲の人たちには浄化の玉をあびせて一掃する。フレデリック一人になったところへ、つっこんでいった。
ふつうの男が相手なら、かわしようもない近距離。まちがいなく、しとめられる。
だが、龍郎が剣をふりおろす瞬間、フレデリックの姿が見えなくなった。まるで、消失マジックだ。思わず、まわりをキョロキョロした龍郎は、やっと気づいた。
頭上だ。
フレデリックは龍郎が剣をおろす寸前、それより高くに跳躍し、龍郎の頭をとびこえたのだ。体操選手も顔負けのひねりを入れて、神父が背後に着地する。
(くそッ——!)
なんという身体能力の高さだろうか。すでに神父の意識はないはずだが、体の動きは個々の能力に左右されるのだ。
やられると思った。すぐにふりかえったが、フレデリックの敏捷さなら、その一瞬で龍郎を殺すことは可能だった。両手で首をしめるにしろ、銃で撃つにしろ。
ところが、あわてて龍郎が体を反転したとき、フレデリックの目には悲しげな色があった。何かに抵抗するように立ちつくしている。にぎりしめる手がふるえていた。
ほんの一瞬だった。
次の瞬間にはナイフをとりだし、流れるような動作で、的確に龍郎の心臓をねらってくる。
が、その一瞬で充分だ。
龍郎もポケットからあるものをとりだしていた。ピンポン玉くらいのサイズの光の玉——アスモデウスの放った浄化の玉だ。
フレデリックのえぐれた喉に手をあて、押しこむ。
瞬時、燃えるように神父の全身が発光した。
闇にその形が刻みつけられる。
そして——
(あ……この力……)
フレデリックの持つエクソシストとしての力だ。
浄化され、光の粒となって、龍郎の口中に入りこんでくる。
——じゃあな。龍郎。
目には見えないが、フレデリックの魂が天に召されるのを感じた。力を龍郎に渡し、六道へと飛び去ったのだと。
同時に、龍郎は自身の身体能力が格段に上がったことを感じた。死角から聞こえる息遣いだけで、微妙な空気の振動を通じて理解できる。
何かが背中に迫っている。先端のとがった鋭利な形状。龍郎の油断を見すまして、それをつきたてようとしている……。
龍郎はふりかえることもなく、浄化の玉を発射した。ギャッと悲鳴があがる。前方にとびすさってから見ると、明鐘の口から、するどいトゲが伸びている。浄化の玉が片目に食いこみ、そこから煙がたちのぼっていた。
「……そうだよね。家族がみんな憑依されてるのに、君だけ無事なわけないんだ」
まず信頼させてから、殺す機会をうかがっていたのだろう。
明鐘は片目を押さえながら走りだす。湖へむかっている。追っていくと、しだいに明鐘の姿が変化し始める。
ムクムクと体が膨張し、乗用車なみに大きくなる。うしろから見ると三角形のようだが、角度が変わると全体にうしろに長い。ナメクジかヒルのような体形。しかもその全身にピラミッドを小さくしたような
——グラーキだ!
アスモデウスの声が教えてくれる。
もともと、グラーキが化身していたのか、それとも、憑依されているうちに明鐘が邪神と一体化したのかはわからない。だが、もうそれが人ではないことだけはわかる。
グラーキは一心波乱に坂道をくだっていく。が、その速度は決して速くない。人間の姿のままでいたほうが、まだしも速く走れただろう。
グラーキは追い迫る龍郎に対し、アンデッドたちを呼びよせ進行を妨害させた。だが、これも浄化の玉の乱れ撃ちで、ことごとく倒す。五本の指を使えば、一度に五つの玉が出る。倒れた人々は皆、青黒い粘液を穴という穴から噴出してケイレンした。
グラーキは必死のようだ。湖にさえ逃げこめば、そこがヤツの寝ぐらに通じているからだ。ブリチェスターだからイギリスだ。遠く離れた外国へ一瞬で移動できる。あるいは、そこを拠点にした世界のどこかへ。
コンビニまで来た。湖の防波堤が道路のむこうに見える。
あと少しで追いつける。あと数メートル。湖にだけは行かせるわけにいかない。
龍郎は思いきって跳躍した。以前の自分なら、ほんの少し届かない距離。でも、行けた。やはり、フレデリックの遺した力のおかげだ。いっきに間合いをつめて、グラーキの背中にとびのる。
グラーキの毒々しい色のトゲがざわめき、龍郎を襲う。それが龍郎の皮膚をやぶるより早く、退魔の剣が深々と突き刺さっていた。柄元まで刃が貫通する。
グラーキの全身がふるえた。粉々にくだけ、光の粒となる。魔力がまた、自分の心臓に宿るのを龍郎は感じた。グラーキ、ガタノソア、フサッグァ。これで三柱だ。
——見届けた。いいだろう。おまえを星の戦士と認める。
アスモデウスの声が告げた。
了
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