第二話 黒き森の山羊

第2話 黒き森の山羊 その一



 その夜、龍郎は夢を見た。

 自宅の自室で一人きり。

 以前は青蘭と枕をならべて眠った部屋で、青蘭の残り香に包まれ、目をとじる。

 そのせいか、夢のなかでひどく近くに青蘭の気配を感じた。


(青蘭……青蘭?)


 暗闇のなかに人影が立っている。

 足元は沸騰するゼリーのようなもの。宇宙の星くずが透けて見える。


 この場所には以前、来たことがある。ナイアルラトホテップが見せた幻想のようなもののなかで。


 音楽が聞こえる。

 誰かを必死でなだめようとしている。泣きむせぶかのような旋律。


(この唄。アスモデウスが歌っていた……)


 龍郎は人影に近づいていった。それが誰であるのかわかっていたからだ。以前の夢のなかでも、そうだった。


 空間の間延びしていくあの感覚に抗いながら、けんめいに走り続ける。

 その人は泣いていた。シクシクと泣く声が、龍郎の心をゆさぶる。


(なんで泣いてるんだ? 青蘭。たのむよ。泣かないで。おまえに泣かれると、おれも悲しい)


 走っても走っても、たどりつけない。しかしその一方で、着実に近づいている。

 ふいに目の前にその人が現れた。ほんの一瞬だけ。


 思ったとおり、青蘭だ。だが、それは人間の青蘭でも、天使としてのアスモデウスでもない。死人の青蘭だ。麗しいおもてに紫色の死斑の紋様を浮かびあがらせ、青ざめた肌をしている。長い黒髪の青蘭。


「青蘭!」


 呼びかけるとふりかえる。

 その左の眼窩がんかは眼球を失い、黒い穴になっている。


「青蘭? 青蘭なんだろ?」


 その人は泣きながら救いを求めるように手を伸ばす。その手をつかまえようとするのだが、無情に遠ざかった。また虚空の彼方に立ちつくす影となり、こっちをながめている。



 ——た、す、け、て……。



(青蘭?)



 ——痛い。



(どこが痛いの?)



 ——半分になった。



(半分?)



 ——さみしい。



(おれがいるよ。ずっと、おまえのそばにいる)



 青蘭は答えずに泣きだす。

 ポロポロとこぼれる涙のしずくが、地面に吸われるたびに、星が輝きながら宇宙の彼方にとびたった。石物仮想体だ。穂村がそう名づけた邪神の卵。


 すると、ふいにまた青蘭がすぐそばに来て、龍郎の顔を下からのぞきこむ。龍郎はギョッとした。青蘭が二人いる。十五、六歳くらいだろうか。少年の青蘭が二人、ならんでいる。一人は左目が、もう一人は右目がない。



 ——僕らは最初、一つだったんだ。でも、引き裂かれた。


 ——もう一度、一つになりたいの。



 ささやきつつ、遠ざかる。

 今度はそのまま見えなくなった。

 龍郎は夢からさめ、ハッと布団の上にとびおきる。


(なんだ? 今の夢?)


 やけにリアルで生々しかった。それにあの顔はどう見ても青蘭だったのだが、それなら、なぜ、二人もいるのか?


(双子……?)


 アスモデウスはガブリエルとの双子だった。だからだろうか?


 考えたものの、まだ夜中だった。いつのまにか、また寝入っていた。朝までに多くの夢を見た気がしたが、目覚めたときには忘れていた。


 翌朝。龍郎の家にガブリエルがやってきた。顔はアスモデウスにそっくりだが、やっぱり違う。ふんいきというか、魂の形というか。


「龍郎。アスモデウスは現在、邪神討伐隊の隊長だ。そのアスモデウスが君を星の戦士として隊に迎え入れるという」

「うん。邪神を倒せばいいんだな?」


 ガブリエルは複雑そうな目で、龍郎をながめる。


「君がいかに星の戦士でも、邪神のなかにはとんでもなく強いヤツがいる。いつか人の肉体では限界を迎える」

「心配してくれるのか。ありがとう」


 ガブリエルは嘆息した。

「やめろと言ったところで、君は聞くまい」

「ああ」

「ではもう止めないが、あくまで、君の肉体は人だ。翔ぶこともままならない。困ったときには私が力を貸すから、そばを離れるな」


 龍郎は不思議な気分だ。

 リエルとはもう一年ばかりのつきあいになる。が、だからと言って、さほど親密だったわけではない。なぜ、今になって、そんなに案じてくれるのだろう。龍郎が星の戦士とやらだからなのか?


 ガブリエルは龍郎の目を見つめてささやく。


「私はひとめで気づいていた。君がミカエルだということ」

「えっと……」


 そう言えば、そうだったかもしれない。まだガブリエルが人のふりをしていたころから、彼は青蘭に厳しく、龍郎には優しかった。


(アスモデウスがいなければ、ミカエルのつがいの相手は自分だったと言ってたっけ)


 だけど、龍郎の愛しているのは青蘭だ。今なら、アスモデウス。ガブリエルの想いにはこたえられない。


「えっと……それで、邪神討伐隊って、何をすればいいのかな?」


 話をそらすと、ガブリエルはうなずきながら告げる。


「これから、ロシアのイルクーツクへ行ってもらう」

「イルクーツク?」

「シベリア地方にある都市だ。じっさいにはその近くの森林だが」

「シベリア? この師走も迫ろうという寒空にシベリア? おれに凍死しろと?」


 ガブリエルは笑っている。

「大事ない。私が結界で守ってあげよう」

「ああ。それなら……」


 しかし、なんのために、とつぜん、シベリアなのだろうか? 龍郎はその旨を聞いてみた。返ってきた答えは、これだ。


「調査のためだ。現在、地球上に現れた邪神の多くは、アスモデウスと我々、天使軍が倒したのだが、この森の奥から、似たような化け物が何度も復活する。元凶があるはずだ。それを絶たなければ意味がない」

「わかった。君とおれだけ?」

「いや。アスモデウスのほか、数柱の天使で調査隊を組んでいる」

「そうか」


 アスモデウスと会えると思うと、龍郎の胸は単純にも弾んだ。

 恐ろしい邪神が、ウジャウジャ待ちかまえているかもしれないというのに。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る