第1話 邪神襲来 その七
頭上を覆う木々のあいまに、黒い影があった。木の葉のむこうが、やけに明るい。月明かりにしてはまぶしく感じる。
(これが這いよっていた追っ手?)
それにしては気配が異なる。
もっと
とつぜん、ふわりと雑木林が光った。あたり一帯に銀の百万もの星くずが舞う。それくらい神々しい光だ。
気がつけば、目の前にアスモデウスが立っていた。
長いプラチナブロンドが、大理石の彫像のごとく白くなめらかな肢体の上に、ふんだんにこぼれおちている。
その完璧な美貌をひときわセンチメンタルに見せる、物憂いオッドアイに、龍郎は釘づけになった。
「青蘭……」
いや、違う。違うことはわかっている。
でも、やはり、それは青蘭だ。心臓が急速に早鐘を打つ。かつての共鳴を求めるように。
愛しい。
姿が変わっても、龍郎の想いは変わらない。
だが、相手にはそうではないらしい。透きとおる甘い声音が、残酷な真実をつきつける。
「おまえが星の戦士か?」
そこにはなんの親しみも愛情もない。アスモデウスは龍郎のことをキレイさっぱり忘却している。
「ああ。そうらしい」
「では、その力をわたしに譲りなさい」
龍郎は嘆息した。
これが元恋人の言葉かと思うと涙が出てくる。
「それはできないな」
「なにゆえ?」
「戦うと誓ったから、かな」
「では、力ずくで奪うよりあるまい」
「えッ? ちょっと待ってくれよ。アスモデウス。君とは争えない」
「問答無用」
アスモデウスはスッと手を伸ばし、かるく指をふって光球を放ってくる。ピンポン玉くらいの小さなものだが、強烈な浄化の光だとわかった。コロンと龍郎の胸にあたって、地面に落ちる。
「…………」
「…………」
ころがる玉をしばし見つめる一人と一柱。
「……なぜ、浄化されない?」
「いや、おれ、悪魔じゃないし」
「わたしの浄化の力は人にも効くのだ。並の人間なら欲望をすべて浄化され、自我崩壊を起こし、死ぬ。そこの小娘で試してやろうか?」
「いやいやいや。ダメだって」
龍郎が明鐘をかばって前に立つと、アスモデウスの見目麗しい白皙に、わずかに不快げな表情が宿る。青蘭が妬いたときの顔だ。
なんだか、龍郎はおかしくなった。変わったようで変わっていない。同じ魂なのだと感じた。
(今でも、青蘭。君はそこにいるんだね?)
それだけでいい。
愛しい人は無になったわけじゃない。
アスモデウスは冷たい目をして龍郎をにらむ。
「なぜ、その女をかばう?」
「浄化されたら死んじゃうから」
「それはおまえの大事な女か?」
「おれが愛してるのは
「…………」
アスモデウスは理解不能と態度で表そうとするように、雄弁な仕草で首をふった。
「やはり、愚民の考えは理解できぬ」
青蘭お得意の愚民攻撃だ。根っこはここから来ていたとは。
(出会ったころの青蘭だ。記憶が失われても、性格はもとのままだ)
むしょうに嬉しい。
希望の光がかすかに見える。とは言え、恋人は自分より一メートル二十センチも高身長になってしまったが。
「アスモデウス。おれを君たちといっしょに戦わせてくれないか?」
アスモデウスはしばらく熟考したのち、こう告げた。
「よかろう。ただし、おまえがグラーキを倒すことができればだ。それができたなら、おまえを戦士と認める」
「グラーキ?」
「グラーキはブリチェスターにある湖に封印されていた邪神だ。やつの住処は世界中の湖に通じている」
「湖。やっぱり、そうか」
邪神の本体はS湖にいるのかもしれない。
「では、お手並み拝見といこう」
アスモデウスの体が浮上し、光のなかに消える。
(手伝ってはくれないってことか)
それでも、胸に灯火がついた。もしかしたら、また一から関係を築いていけるのではないかと期待が高まる。
(よし。まずは戦友にならないとな。がんばるぞ)
やる気がわいてくる。自分の単純さがおかしくなった。
「ねえ、さっきから一人で何言ってるの? キモイよ?」
明鐘が不審げな目をむけてくる。
「アレが見えないの?」
「アレって?」
「そうか。見えないんだ」
「だから何が? なんか急にすごくいい匂いするし」
「匂いはわかるんだ」
龍郎はころがったアスモデウスの光球をひろい、ポケットに入れた。せっかくの浄化の弾だから使わせてもらおう。
(そうか。浄化の光だと、ちょくせつ手でふれないと体内まで達しないんだ。弾にして撃ちこめば、きっと効果がある)
あやつられている人たちは、肉体的には人間だから、表面だけ浄化の光であぶっても効果が出ないのかもしれないと考えた。
「じゃあ、行こうか」
「どこへ?」
「車まで帰らないと」
「うん」
龍郎は老若男女がゾンビのように徘徊する坂道へおどりだす。当然、そこにいる人たちは龍郎に気づき、いっせいに向かってくる。走行速度は人間なみだ。時速十キロていど。あるいは、それ以下。
龍郎はさっきのアスモデウスの手つきをマネして、光球を作ってみる。親指と人差し指で輪っかを描き、ピンとビー玉をはじくようにすると、小さな光の玉が発射される。これは便利。指鉄砲だ。
「ヤッタ。当たった」
発射された玉は自動追尾機能付きらしく、好き勝手に
龍郎の玉はアスモデウスのそれより、さらに小さく、ビー玉ほどだが、それでも絶大な効果をもたらした。玉を撃ちこまれた人たちは泡をふいて倒れる。鼻や口から青緑色の薄気味悪い粘性の液体を流している。
「なんだ。アレ」
——グラーキの体液だ。グラーキは背中の無数のトゲで獲物を刺し、自身の体液を注入する。刺された者はアンデッドと化し、二度めで完全に意識を支配される。
これは、アスモデウスの声か。どこからか、龍郎を観察しているのはたしかなようだ。
(トゲで刺されたら、アンデッドに……)
とてつもなくイヤな予感が足元からかけあがる。
思ったとおりだ。坂道を半分もくだると、そこに彼が立っていた。
ついさっき、龍郎をかばって息絶えたはずの、フレデリック神父が……。
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