第1話 邪神襲来 その四



 小柄で、つるっとした、ゆで卵みたいな男。目は細く、スポーツ刈りがとんでもなく似合わない。まちがいなく、友人の岩崎光太郎だ。


「やあ、ひさしぶり」と、岩崎はニコニコして玄関から出てくる。だが、目のまわりには黒いクマができていて、表情や態度の穏当さが、かえって異常に見えた。


「えっと、大丈夫なの? さっきの電話だと、すごくピンチっぽかったけど?」

「ああ? 電話?」

「助けてほしいって電話かけてきたじゃないか」

「ああ、うん。そうだった。大丈夫。ちょっと妹が行方不明で」

「えッ?」


 そう言えば、岩崎には五歳下の妹がいた。今なら高校生だ。行方不明なら大事である。家出だとしても問題だが、事件にまきこまれたとなると、すぐに警察に頼んで探してもらわないといけない。それにしては、岩崎の態度はのんびりしていた。


「妹さん、なんて名前だったっけ?」

「えッ?」

「えッ? 何か?」

「いや、うん。す、スミレ……そう。菫だよ」


 岩崎は枯れた庭の鉢植えを見ながら言う。それはパンジーの小型の品種だ。三色スミレである。寒さにもわりと強く、豪雪地帯でないかぎりは冬でも花が咲く。


「ふうん。岩崎菫さんか。高校生だったよな?」

「そうそう。妹のことはもういいんだ。母さんが追いかけていったから。それより、せっかく来てくれたんだから、あがってくれよ」

「ああ、うん」


 何かが怪しいとは思った。電話の声はもっと切迫していた。それこそ、生きるか死ぬかのせとぎわのような。おっとりと話していられる状態ではないふんいきだったのだが。


 家に入れと言っているのだから、とりあえず、なかを調べてみることにした。すすめられるままに玄関に入る。


 よくある和風建築だ。最近、建てなおしたのか、以前に見たよりモダンになっている。玄関脇の洋間に案内された。ロッキングチェアに老人がすわっている。


 それを見て、龍郎はまたおどろいた。老人は目を見ひらき、天井をあおいだまま口をあけ、ヨダレをたらしている。ピクリとも動かないので、一瞬、死んでいるのかと思った。


「ああ、ごめん。ごめん。ビックリさせたかな。おじいちゃん、ちょっと認知が入っちゃって。じゃあ、むこうのキッチンに行こう」


 ほんとに生きているのだろうか? たしかめたかったのだが、鼻先で岩崎が強引にドアをしめた。


「…………」

「…………」


 異変があることはわかっている。だからと言って、住人の許可なく室内をさぐりまわることが許されるほどではない。

 しかたなく、龍郎は岩崎についていった。


 キッチンは浴室の近くらしかった。どこからか水音がしている。


「誰かいるんだ?」

「ああ。お父さんが風呂に入ってるんだ」

「ふうん」


 今日は平日だ。土日でもないのにとは思ったが、世の中には平日が休みの仕事もある。


「そこ、すわってよ。コーヒーいれるよ。インスタントでいい?」

「うん。ありがとう」


 六人掛けのテーブルセット。

 テーブルの上にはリンゴやミカンがカゴに入れられていた。が、すっかり傷んで、すえた甘ったるい匂いを放っている。コーヒーどころではない。よくこんなところで食事をしているなとあやぶまれるほどだ。


 なんだか、もう帰りたい。とは言え、この家は異常だ。ほんとうは岩崎も助けを必要としているのかもしれない。たとえば家族に監視されていて、今は打ちあけることができないだけという可能性だってある。


(そうだ。電話で家族が変だとか言ってたっけ)


 すると、そのとき、フレデリック神父が言いだした。

「すみませんが、お手洗いを貸してもらえませんか?」


 なるほど。うまい。

 こっそり家内の探索をするつもりだ。ここは神父に任せるのが正解だろう。龍郎より、そういう作業にむいている。


「えッ? トイレ?」

「そうですが、何か?」

「ああ……まあ、いいですよ。でも、コーヒーを飲んでからにしませんか?」

「いや、さきに行かせてください」

「……じゃあ、こっちです」


 岩崎は神父のほうについていった。とんだ誤算だ。


(いや、おれがこのあいだに——)


 急いでキッチンを出て、浴室へ行ってみた。家族がおかしいと言うのだから、家族を観察してみたかったのだ。入浴しているのが女性だったら遠慮したが、岩崎の父だというから、のぞきの罪にはなるまい。もしバレたら、自分もトイレに行こうとして迷ったと言い張ればいい。


 水音のするほうへ歩いていく。キッチンのすぐとなりにドアがあった。あけると、洗面所だ。鏡があり、洗濯機が置かれている。その奥にもう一つ、ガラスの扉がある。そこが風呂場だろう。水音が強くなる。


(この家には必ず悪魔がいる。匂いがする。もしかしたら、このなかに……)


 ドキドキしながら、龍郎はガラス戸のノブに手をかけた。カチャリとまわす。

 その瞬間だ。背後から何者かに肩をたたかれた。


「お客さん。あんた、何してるんだね?」


 男が一人、立っていた。

 以前、チラリと見たことがある。岩崎の父だ。少し老けているが、容貌に大きな変化はない。


(岩崎のお父さんが、なんでここに? だって、それじゃ、なかに入ってるのは誰なんだ?)


 やはり、悪魔だ。

 悪魔が浴室に隠れている。


 龍郎は急いでガラス戸をあけた。だが、そこには無人の浴槽があるばかり……。

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