第1話 邪神襲来 その三



 岩崎の実家の場所は、M市とI市の境にある、Sという町だ。M市は日本で二番めに大きな湖をかこむような形で南、東、北に広がっているのだが、その南端に位置している。


 龍郎の現住所からはまっすぐ国道を西にむかって走らせていくと、およそ二十分で到着する。

 交通量の多い道路が、湖のほとりをふさぐ形で伸びている。山とのあいだの盆地にベッドタウンが点在していた。


(たしか、このあたりだったかな)


 道路ぞいのコンビニの駐車場へ入り、自動車を停めると、龍郎はそこで岩崎に電話をかけた。だが、つながらない。以前、自宅をたずねたときは電車を使ったはず。くわしい道筋をあまり覚えていない。


 それにしても、なんとなくイヤな気配がしていた。どんよりと空気がよどんでいる。この感じ、悪魔だ。


 龍郎は助手席のフレデリック神父を見た。


「悪魔がいますね」

「そうか? 私にはもうわからない」


 苦痛の玉をなくした神父には、悪魔の匂いがかぎとれなくなっているらしい。手にケガもしているし、ついてくる必要はなかったのだが、神父自身が行くと言い張った。


「フレデリックさん。そのケガ、病院で縫ってもらったほうがよくないですか?」

「いや、見ためほどじゃない。痛みどめも飲んだし、かまわないよ」


 本人がそう言うのだから、しかたない。

 龍郎たち二人は、そろって車をおりる。


「たしか、近くに小学校があった気がするんですよね。JRの線路よりも山側だったはず」

「コンビニで聞いてみたらどうだ?」

「まあ、そうですね」


 かつては神父のやることなすことにピリピリしたものだが、今は素直に忠告を受けとめられる。一人の人をはさんで競いあった。その人がいなくなってしまったからだ。もう張りあう意味がない。


 コンビニに入ると、昼間の中途半端な時間のせいか、客は誰もいなかった。店員がレジカウンターのなかに立っている。


「すいません。この近くで、岩崎さんのお宅を知りませんか? そばに小学校があったはずなんですが」


 二十代だろうか? 若い女の店員に声をかける。が、店員はぼんやり前を見たまま何も答えない。


「すいません。小学校への行きかたでいいので教えてください」

「…………」


 やっぱり無視だ。

 商品を買わないと教えてくれないのだろうか?

 というより、なんだか、こっちの声が聞こえてなさそうなのだが……。


 龍郎はあきらめて外へ出た。車のナビの周辺地図で調べたほうが早い。


「ダメです。話しかけても、ぜんぜん応えてくれなくて」

「君のナンパの腕が半人前だからだ」

「いや、そういうんじゃ……」


 むしろ、店員の体調を案ずるレベルだった。あの女の子、ほんとに大丈夫なのだろうか。店番に立っていられる状態ではない気がする。


 しかし、勝手に救急車を呼ぶわけにもいかないので、スマホの地図アプリで周辺をたしかめた。たしかに小学校がある。


「この坂の上ですね。とりあえず、小学校まで歩きましょうか。近くまで行けば思いだすかもしれない」


 肩をすくめる神父とともに、山手にむかって歩きだす。

 しばらく進むと、道のまんなかにすわりこんでいる老人がいた。


「大丈夫ですかッ? どこかぐあいが悪いんですか?」


 かけよると、老人は首をふった。


「ああ、いや……すまん。どうも年のせいか、頭がぼんやりして」

「お宅まで送りましょうか?」

「すぐそこが家だ。一人で帰れるよ。ありがとう」


 老人はふらふらしながら歩いていった。数メートルさきの家のなかへ入っていく。

 龍郎は神父と顔を見あわせた。


「何かおかしくないですか? この町」

「そうだな。異変があるからこそ、君の友人は助けを求めてきたんだろうしな」


 何がどうという説明はつかない。しかし、それでも妙な感覚はある。


 やがて、小学校の前まで来た。校庭に児童がいて、運動をしている。五十メートル走のようだ。


 フェンスの外から、なにげなくながめた龍郎は、ギョッとした。児童たちのようすが、あきらかにおかしい。みんな、よろめくようにおぼつかない足元で、ダラリと舌を出し、頭をグルグルまわしている。


「な、なんだ? アレ?」

「異様だな」


 一人や二人じゃない。クラス全員がそうなのだ。前の者がゴールする前に、次々と後続が歩きだす。それが全部、ペンギンのヨチヨチ歩きだ。競争のていをなしていないのだが、教師も何も言わない。スタート地点につっ立っている。よく見えないが空をあおいで、両手も完全に弛緩しかんしていた。


「熱中症かもしれません」

「そんなんじゃないだろ。あれは」


 何かの病気だとしたら、よっぽど重症だ。今度こそ、救急車を呼ぶべきだろうかと考えあぐねていると、立ちどまって凝視する龍郎たちに気づいたように、急に教師がシャンと背筋を伸ばした。


「みなさん、今日は暑いですね。体育館でドッジボールをしましょう。はい。急いで。先生についてきてください」


 児童たちもとつぜん、ふつうになって、隊列を組み、先生についていった。彼らが体育館へ入るのを、龍郎たちは妙な心地で見送った。


 なんだか、マリオネットのようだ。遠くにいる誰かにあやつられて、人間の日常を演じさせられている。そんな感じだ。


 胸がざわつく。

 岩崎の身が案じられた。


「急ぎましょう」


 幸いにして、小学校のすぐ近くに、岩崎と表札のある門を見つけた。小さな前庭に鉢植えがキレイに配置されている。が、そのどれもが枯れかかっていた。丹念に育てていた人が、とうとつにそれに興味を失ってしまったみたいだ。


 龍郎は呼び鈴を押した。

 バタバタと足音がして、玄関ドアがひらく。


 なかから右目に眼帯をした男が顔をのぞかせた。

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