第13話 失恋には激辛

 表は、思いのほか、ひんやりしていた。昨夜の嵐が、あの鬱陶うっとうしい暑さを根こそぎ、拭きとって、持って行ってしまったかのようだ。すっかりお腹いっぱいになった亜里沙はちょっと眠そうだ。


「軽井沢方面に行くけど、いいよな?」

 亜里沙は返事をしない。よく見ると少し、白目を剥いている。

「寝足りないんだな?」

「…芦田さん、軽井沢連れてってくれるのも、洒落乙シャレオツなお店でおごってくれるのも嬉しいは嬉しいんですけど」

「車まで使わせて、誰が奢るって言った?」


 亜里沙はふわわっ、と欠伸をした。陽射しがあったかくなってきたのだろう、とろんとした顔をしている。


「せっかくのお休みなんですからあ、昼過ぎまでごろごろ寝てあたしが買ってきたお肉食べてビールって言う展開も、なくはないと思うんですよ」

「さっき、言わなかったか?…ただ二人でただごろごろしてたら、絶対、気まずくなるだろ」

「気まずくなってもいいですよう。そしたら、二人ですることすればいいわけですし」

 僕は思わず息を呑んだ。

「だから…(小声)二人ですることすればいいとか…そう言うのが、気まずいんだよ」

「ええっ、今、何を想像したんですかあ芦田さん、えろえろですなあ。あたしが言ったのは、ゲームやるとか、DVD観るとか、そう言うことですよお?」

「うるさいなあ、そう言うのも気まずいんだよ。…大体、そんな長い仲じゃないお前と、どんなゲームやってDVD観ろって言うんだ?」

「それはもう、あるやつを相談して…じゃないですか」

「…その時点ですでに気まずいだろ」

 ふるふると亜里沙は首を振った。

「いやー、別にいいんじゃないですか。気まずくなったら気まずくなったで、そのときは別の出来ることをすれば?」

 脇の小道から軽トラ出て来た。わわっ、もう少しで急ブレーキだ。

「冗談で言ってると、信じていいんだな?」

「あ、はい。それは…すみません、この前と同じ…どうにも、引っ込みつかなくなって言いました」


 それから三十分、薄曇りの山道を会話もなく走行。


 ったくもう。何を言ってるんだ、何を。すでにこの時点で気まずいじゃないか。


「せっかく来たんだから、軽井沢行きたいって言ってたの、嘘だったのか?」

「ウソ…ではないです、はい。…本当に、何でもなかったら、軽井沢行く予定でしたから」


 亜里沙は自分の恋人に、親友のレイプに加担したかどうか、『確かめた』。挙句に自分も同じ目に遭いそうになって逃げてきた、と言うのが僕と出会うまでの経緯だったのだが、次の日の軽井沢デートを予定していたんなら、やっぱり半分は、その恋人のこと信じていたんだろうか。


「どっちですかね。ただ実際、付き合ってみて悪い人ではなかったですよ。…お金持ちの家に生まれたけど人を学歴とか生まれで差別するような発言をする人じゃないですし、もっと言えば、ああ言う『大それたこと』をすすんでするタイプの人じゃなかった。気は、小さい人です」


 聞いてもいないのに突然言うと、亜里沙は僕の顔色を視た。


「お前は次に、『なんで分かったッ!?』と言う台詞をゆうッ!」

「ばっ…おまっ、僕はそこまで聞く気は無かったよ!ただ、僕にまで言うってことは、何か観たいものでもあったのかな、とかさ」

 と僕がまくしたてると、亜里沙は満面の笑みになった。

「芦田さんって、絶対いいパパとかになれますよ。あたしの周りには、いなかったなあ、そんな自然に気づかいしてくれる人。好条件の物件です。まあ、ちょっと面倒くさいのが、玉にきずですけど」

「うるさいな」


 なんでお前に、物件鑑定されなきゃいけないんだ。


「きりないから話戻すぞ。お前は、軽井沢のどこに行きたいんだ?」

「ええっ、あの…美術館とか、美味しいものとかお土産、とかですねえ、そう言うざっくり系です」

「ざっくり系ね」

 僕は顔をしかめた。一番厄介なパターンである。これで軽井沢に行きたいとか、どの口が言うのだ。

「じゃあまずは昼。そば、ハンバーグ、イタリアン、カレー。この中から選べ」

「どれかって言ったら、カレーですかね」

 家でステーキを食べたがっていた亜里沙からすると、予想通りのチョイスだ。

「美術館は?」

「や…えと、特にこだわりは。ただ現代アート系がいいかなあ、とか…」

「お土産は雑貨とか服か?」

「はい。それはもう芦田さんとぶらぶら観れればいいんで」

「旧軽銀座通りに行こう。そこへ行けば、大抵のものは揃う」

 亜里沙の顔がぱっと明るくなった。

「じゃあッそこで!…えっ、服買ってくれるんですか!?」

「ナン特大くらいはご馳走してやるよ」

 僕は乱暴にハンドルを切った。


 近くの市営駐車場に停めて僕たちは、行きつけのインド料理のお店に入った。この頃くさくさしてたから、気絶するほど辛いカレーが食べたいと思って正解だった。


 僕は現地の辛さにしてもらった上、赤い香辛料の粉をばらばらとかけてもらい、バターチキンカレーを頬張った。日本人向けじゃないインドカレーは、甘みも少なく、ずきっと尖った辛さで打ちのめしてくる。


「かーっ!これっ、効きますねえ!」

 マトンのカレーをとった亜里沙も同じように、目頭を抑えている。


 舌にスパイクを刺しこむような痛い辛みに堪えていると、じわっ、と内側からデトックスな汗が沁み出てくる。暑くてくのとは違うこの汗が、気持ちいいのだ。


「やっぱり失恋には、辛いものに限りますねえ!」

「ぶっ飛ばすぞ」

 僕は笑顔で言った。こいつ、いいとこ逃さず水を注してきやがる。

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