第7話 堪えがたい真相

「よりが戻る気がするけどな」


 今西が電話口で話していた声が、僕の頭の中で響いていた。あれは僕に向けての言葉。気安い慰めでなく、本当にそう思っているように、ちゃんと聞こえていた。


(まさか)

 と言う言葉があのときから、何度も頭をよぎった。今西は静花のことを、僕が知っている前から知っている。二人は高校の同級生なのだ。でも、一度も付き合ったことはないとは聞いていた。いつも、お互いに相手がいたからだ。


「芦田さん、そのう…お買い物袋、積み込み終わりましたけど…」


 気づくと、積み込みをしていた亜里沙が、恐る恐る僕の顔をのぞきこんでいた。思わずぎょっとした。僕は今、どんな顔をしてしまっていたんだろう。


「どんな顔してたか、とか、別に言わなくていいからな」

 亜里沙がなんの脈絡もなく急に変顔になったので、僕は先に突っ込んでおいた。ちょっと過敏になってはいる。


 タイミング悪く戻ってきたこいつは、僕がどこかに電話をかけていたことくらいは判っても、すぐ目の前に親友のはずの男と、別れたはずの恋人が手に手を携えて仲良く買い物をして歩いていたことに気づくことはないだろう。


(落ち着くんだ)


 言い聞かせたが、思考がまとまらない。そんな僕を怪訝そうに見つめながら、亜里沙は空になったカートを戻しに行く。


 それから何か思い出したようににんまり、僕のところへ戻ってくると、出会いがしら、

「あー、芦田さん、もしかして」

 平静を装っている僕に不意打ち、亜里沙が爆弾を投げ込んできた。

「お会計のとき、レジに並んでた若いご夫婦、見てました?」


 心臓を握りつぶされた気分と言うのは、こう言うときを言うのだろう。


「そんなわけないだろう…!?」

「い、いやそんな大声出さなくても。わーかりますって。電話しながらやたらとちらちら、あの二人のこと、気にしてたのくらい」

 亜里沙はせせら笑うように言った。もしかして超能力者か、こいつ。

「芦田さんが考えてたこと、当ててあげましょうか。ずばり、芦田さん、羨ましかったんでしょう?」

 僕は思わず息を呑んだ。

「何がだよ。大体そんなことっ」

「お肉ですね!?」

「はあっ!?」


 肉!?


「いやー、お昼から豪勢だなあ、とあたしも思いましたよ。だってまーワインはスーパーの安物にしたって、お肉は大奮発ですからねえ。もしかしたら今日は、特別な日とかなんじゃないかなあのお二人!」

「お前ふざっ」

 怒りをぶちまけようとして、僕は逆に空しくなった。何も知らずに地雷を踏みまくっているとは言え、亜里沙に八つ当たりしたところで、それはどこまで行ってもただの八つ当たりに過ぎない。


 こんな鬱屈した気持ちを腹に呑んで、お門違いの相手にピントの外れた怒りをぶつけたところで、余計に空しさにさいなまれるだけだ。


 亜里沙はそもそもかんに障る奴かも知れないが、いちいちそれに反応したところで、自分がみじめになるだけだ。


「…その通りだよ。余計なお前がいなかったら、あの肉一枚くらいなら買ってって、独りで昼酒でも楽しめたのになあって思ってただけだよ」

 僕が苦い顔で認めると、亜里沙は炎天下のひまわりみたいな鬱陶しいほどの笑顔を作った。

「でしょう!?やっぱりお肉最強でしょう!」

「はいはい、そうだよ、肉食いたかったよなあ。お前もこれで、極上のお肉を愉しんでくれよ」

 そう言うと僕は、後部座席の買い物袋から亜里沙用のメンチカツパンを取り出した。

「パンじゃないですか!?しかもそれ、おつとめ品の割引シールついてますよ!?」

「お前にはこれで十分だよ。メンチカツだって、肉は肉だろ」

「えええええっ、パンはパンじゃないですかあ!?」

「うるさい!」

 僕だって一週間分の食材を買い込んだが、今は食欲すらない。この亜里沙みたいにあっけらかんとした自分で生きてられれば、それがどれほど楽か。

「食ったらお前は、帰るんだからな。パンの方が、どこでも食べられてちょうどいいだろうが!」

「けちだなあ。芦田さん、だっから、もてないんですよう」


 本日のワースト余計なお世話である。僕はぶっきらぼうに袋の中からペットボトルのカフェオレを取り出すと、ぶうたれ顔の亜里沙に押しつけてやった。



(考えるな)

 そう思っても、神経質な僕は考えてしまう。


 今西はあれで静花と、自宅でワインとステーキでも楽しむんだろうか。いや、今西は静花のただの相談相手かも知れないじゃないか。さっきの電話での二、三の小さな嘘だって、話をややこしくしないためについただけだったかも知れないじゃないか。


 でも二人の本当の仲の深さを、僕はずっと知らない。二人とも、話してくれもしない。初めから蚊帳の外だったのか。そもそも僕は、二人にとってなんだったのか。


 これ以上はいい。想い続けるな。いくらそう自分に言い聞かせても、もう一人の僕が、残酷な『もしも』を、ささやき続ける。誰か止めてくれ。なんだよこの気持ち。


「…駅まで送るけど、どうするんだ?」

 黙っていられなくて、僕は尋ねた。亜里沙はやけ気味に、カフェオレをがぶ飲みしている。

「いいですよう、別に。積み下ろし手伝ったら、そのまま歩いて駅まで歩きますから」

 亜里沙の声は、硬かった。さっきまでとは少し違って、とげがある。

「て言うか、そんなに見るほどいい女の人でした?あの奥さん」

 僕は、答えに詰まった。そう言えば今西に電話してかまをかけた後はずっと、静花の様子をうかがっていた。

「たぶんあたしが思うに芦田さんってああいう人とは、合わないっすよ。雰囲気違うって言うか。芦田さんてもっと、ざっかけ系じゃないですか。ああ言うエレガントな感じ合わないって言うか。だからああ言う人とだと、どこか取り繕っちゃって知り合い以上は仲良くなれそうにないんじゃないですか?」

「…うるさいな」

 僕は低い声を出したが、亜里沙は怯まなかった。一層、つっけんどんな口調で喰ってかかった。

「あー、すいません、お前におれの何が分かるってやつですよね?でも、短い付き合いだって分かるとこ沢山ありますよ。この人、もしかしたらこう言う男の人かなあとか。てゆうか芦田さん、女の子なめてません?興味ある人だったら細かいこと気にするんですよ。逆に興味ない人だったらすっかり憶えてないし、じっくり話されても気にもしないんでしょうけどね」

 道で落っことしてやろうかと思ったが、もう自分の家だ。僕は乱暴に車を停めた。

「行けよ」

「積み荷おろしくらい手伝いますよ。めんどいでしょ、あとで一人でやるの」

 僕は財布から五千円札を取り出すと、仏頂面の亜里沙に押しつけてやった。

「行けって言ってんだよ!もう十分だろ!?東京帰れよッ!」


 亜里沙は札を取らなかった。代わりにおどろくほど暗い目で、僕を見つめてくるだけだった。


「芦田さん、これからどこかへ行くんですか?」

 思わず僕は、はっとした。無意識に自分が運転席に戻ろうとしていたのに気付いたからだ。

「お前に関係ないだろ」

 五千円札が足元に落ちた。それでも亜里沙はじっと僕を見ていた。

「うるさいな。…いちいちいちいち」

 僕は乱暴にドアを閉めた。もう亜里沙がどうするかなんて、お構いなしだった。エンジンをかけ、アクセルを踏む。


 理性がそんなことやめろと警鐘を鳴らす。でも本当はあれを見てしまって、どうしたいかなんて、とっくに決まっていた。亜里沙を置き去りに、僕はどんどん、日常から離れていく。


 噛みしめた歯の間から、おめくような震え声が漏れた。


「…興味がなかったわけじゃないんだよ」

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