第6話 ポンコツ買い物デート

 まさに、ムード満点のドライブだった。湿気漂う、真夏の雨の避暑地に、車を飛ばすのは失恋した男と、レイプされかけた女。ぽんこつコンビである。さっきセンターラインをはみ出して追突してたら、車まで、ぽんこつになるところだった。


(やっぱりな)

 話したがらないと思ったら、大分ひどい目に遭ってるのだ。とんでもない話だったが、嘘を言っているようには見えない。


 じゃなかったら土砂降りの晩、ビール瓶持ったままあんな道をたった独りで、ぽつんと歩くか。どうみても非常事態だ。だが亜里沙は今も平然と僕の買い物のドライブに付き合っている。どう言う神経をしてるんだろう。


「芦田さんって…そうだ、ホテルの人なんですよね?住んでるとこ、この山の上のホテルの社員寮でしたもんね!?」


 そして自分のことはぼかす癖に、人のことは情け容赦もなく根掘り葉掘り聞いてくるこの性格。恋人はおろか絶っ対、友達にもしたくない。


「買い物して、少しその辺ぶらついたら駅に連れてくからな」

「まったまたぁ。お昼一緒に食べましょうよう」


 この図々しさ。下手すると、飽きるまで居座る気だ。こうなったら、僕は決意した。こいつにパンを買ってやる。この疫病神を東京へ帰すために一番安くて、まずいパンを買うのだ!



 インター近くのスーパーがようやく開店時間になったので、ドライブを切り上げて僕は車を急がせた。本来ならここで、昨夜買い物出来たのだ。亜里沙に会わなかったら、今頃部屋でレンタルDVDでも観ながら、ひと晩冷やした発泡酒でも飲んでごろごろしてたかも知れないのに。


「うほおぅ!地元御用達ってやつですねえ!」


 亜里沙は奇声を上げると、さっさといなくなった。どうやら駐車場に籠付のまま放置されたカートに目をつけたらしい。止める暇もなかった。雨にも負けず飛び出した亜里沙は、がらがらと耳障りな音を立ててこっちに押して来る。


「どうですか芦田さん、あたし気が利くでしょう準備万端でしょう?」

「お金おろしてくるから、その間に片づけて来なさい。うるさいから」


 カートの車輪は、舗装に引っかかるのくらい分かるだろ。いちから説明すると、亜里沙はしゅんとして、カートを戻してきた。


「…なんか、お前といると泣けてくる」


 ATMから戻った僕の手からビニール傘をとって相合傘すると、亜里沙はまるで他人事のように言った。


「そんなー、あたしまで泣けてくるじゃないですか芦田さん、元気出して。まだ辛かったら、何でも相談に乗りますから」

「いや、そう言う意味じゃなくて」

 なんて言うか、新種の動物と実験の檻に放り込まれた気分である。

「さて何食べましょう。やっぱりお肉?それともお肉?いや、むしろ気分を変えて逆にここは、お肉ですかね?」

「肉以外の選択肢はないのか」

「あっ、野菜もとらなきゃですね!…クレソンとか、さやいんげんとかポテトとか、人参のグラッセとか」

「全部肉の付け合わせだろ」

「ばれました?もーあたし、怒涛の肉好きなんで!」


 さぞ、日々エネルギーが有り余っていることだろう。話を聞いているだけで、胃もたれがしそうだ。


「最初はトイレットペーパー、ティッシュと食用油に調味料類に飲み物。肉のことは今、考えたくない。お前を帰してから買いに来るよ」

「うおおおお肉ッ!肉肉肉ウッ!」


 もはや聞いてない。亜里沙は人波掻き分けて消えたかと思うと、名産甲州牛の分厚いステーキを二枚持ってきやがった。


「どうっすか!?せっかくだからぱーっとこれぐらいわ!?」

「せっかくって何がせっかくなんだ?」

 いらいらしながら聞き返すと、亜里沙は引っ叩きたくなるほどイイ笑顔をした。

「なんて言うか、記念で!」

「ふざけんな」

 ろくな記念が思いつかない。一瞬、考えちゃったじゃないか。

「冗談じゃない…わっ、こら入れんな!絶っ対買わないからな!」

 僕は最高級肉を入れようとする亜里沙から、必死でカートを守った。

「いいじゃないですか!美味しいお肉を食べて、やなこと忘れましょうよう!ここは思い切って、あたしが奢りますからあ」

「お金もない癖に、馬鹿なこと言うな」

「身体で!後で身体で払いますから!」

「うちのホテルの皿洗いなら足りてるぞ?」

 言ってやるとバカ高い肉を持ったまま、亜里沙は唇を尖らせた。

「けちい。…せっかく、芦田さんのこと慰めてあげようと思ったのにい」

「お前に慰められるようなこと、僕には一つもない」

「そうですか?」


 意外に素直に、亜里沙は聞き返してくる。唐突に澄んだ目で。本当に、そうですか?そうは見えなかった。そう言いたげだ。余計なお世話だ。家ばかりじゃなくて人の心に、土足で踏み込んできやがって。


「いいから、肉を戻して来い。じゃなかったらここに、無一文でも置いてくからな」

 僕が睨みつけてやると、亜里沙はようやく分かったみたいだ。

「…ふーい」

 急にしゅんとした顔になると、大人しく肉を片付けに行く。まったく、ころころテンションの変わるやつである。


 やっと独りになれた。そう思ったがいざ亜里沙がいなくなってみると、そうだ何を買うんだっけ、とそこから考えが進んでない自分がいる。


 さっき亜里沙にはすらすら言えたのに。やっぱりちょっとぼやっとしているのかな。失恋失恋と亜里沙がはやし立てるので、色々思い出しちゃったじゃないか。



 ふと顔を上げると、入口の喫煙コーナーから誰かが出てくるところだった。


(今西だ…)


 つい昨日、電話をくれた今西だった。ひと昔前に流行ったブリティッシュのバンドロゴの入ったオリジナルTシャツに、まだ色の新しいジーンズ。かったるそうに煙草を灰皿に押しつけて。ここで時間を潰して、誰かを待っていたみたいだ。


 声をかけようかと思ったが、折悪しく亜里沙が戻ってきたら、それこそ最悪なので思いとどまった。でも結果的にその選択は正しかった。


 カートを押して、やってきたのは静花だったからだ。僕は息を呑んだ。二人がこんなところでのんびりと買い物なんかしていたから。


 ノースリーブの赤いニットに、花柄の無地のスカート。特に着飾った様子もなく静花もごく、普通の服装だった。彼女は待っている今西の姿を見つけると、出来立てのカップルみたいに腰で寄り添った。人ごみの中で馴れ馴れしい静花に、今西はいかにも迷惑そうだったが、レジに並ぶとき、彼女の腰に腕を回した。


 反射的に僕はスマホをとると、今西にコールしていた。今西はディスプレイを見て、あっ、と言う顔をしていたが、何回目かのコールで出た。


『あれ、幸生どうしたんだ?』

「悪い。今、仕事中だっけ?」


 僕はすぐそこに見える今西の表情を確認しながら、かまをかけてみた。


『ああ、職場職場。ん…幸生、今どこだ?』

「ちょっと、外出てる。気分悪くて。そっちも外か?」

 雑音が聞こえる、と言うと、心なしか今西は少し言いよどんだ。

『ああ。そう、ちょっと外出てきた。すまん…後ろうるさいか?』

「うん、まあ。こっちも外だから。そうだ、この前、職場でもらいものしたんだけど、出先からうちへ持って行っていいか?確か、今日奥さんいたろ?」

『かみさん?…ああいや、ちょっと今日誰もいないんだ。悪いけど』

 亜里沙がやってきた。僕は、頃合いで話を切り上げて電話を切った。

「あれ?どうしたんですか?何かあったんですか?」


 亜里沙は僕の顔と、僕の視線の先を交互に確かめた。二人は会計を始めると、何か冗談を言い合いながら自分たちの分の食事とワインをカートから袋に移し換えた。


 真実は判らない。

 だが今西は僕に確かに二つ、嘘をついた。何がどうあれ、これは事実だ。


 そして静花の家は、この辺りにはない。食事をするならたぶん、今西の家ですることになるんだろう。僕の目には、買い物袋を提げて歩く二人はずっと以前からそんな関係のように見えた。

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