第4話 無駄にあわただしい朝

「彼氏とけんかしたんです」

 亜里沙の事情話は、単純明快だった。ぐうの音も出ない言い方とは、このことだ。でも考えてみると単純明快なだけ、裏と言うか謎がありそうだ。亜里沙は話ぶりはきっぱりはっきりだが、それ以上のことを聞こうとすると露骨なくらいに話題を変えたからだ。


「なーそろそろ、どの辺から歩いてきたのかくらい話さないか?」


 亜里沙はそれには答えず、わざとらしそうに自分が昨夜泊まった部屋の中をきょろきょろしていた。


「ちなみに殿はこの部屋に、一人暮らしなわけでござるか?」

「今はね。そのしゃべり方やめろ」

「ほほう今は、かあ。…で、その一人暮らし歴って言うのは、ずばり何年なのでござるか?」

 僕はスマホを、充電器から引っこ抜いた。

「警察呼ぼうか。朝起きたら、全然知らない不審な女が、ビール瓶持って家に押し入ってきてましたって」

「だあーっ、ちょっと待って!待って!まーだ朝じゃないですかっ!?高原の静かな朝でしょお!?」

「お前さえここにいなきゃな」

 目覚めは最悪だった。


 まず僕は、火災報知器の警告音を聞いて目覚めたのである。みるとガスコンロの上で空のフライパンが、かたかたと鳴っていた。


「ええっ?わっ…うわあーっ!」

 悲鳴を上げて駆け寄ると、右のガスコンロも盛大に火を噴いている。しかもこっちの金具の上には何も載ってない。右も左もエア調理である。空気でも料理して食べる気か。


 そして流し台にはぽつんと、何も塗られてない食パンが二枚、置かれたきりだ。全部亜里沙のやったことだが、何一つ説明がつかなかった。と言うか誰に何を食べろと言うのか。


 買い出し行かなかったとは言え、僕ってそんなに貧しくはなかったはずだ。


「あっ、おはようございまーす…起こしちゃいましたあ?」

 そこへ亜里沙が、どの面下げてか、買い物袋引っ提げて帰ってきた。

「起こしちゃいましたじゃないだろ!?」

 あのまま寝てたら火事になる。いや、一酸化炭素中毒で死ぬ。僕を殺して、部屋を乗っ取ろうとか、そう言う魂胆こんたんか。


「いちから説明しろ」

「ふぁい」

 あくびを噛みころした亜里沙はジャージで正座しながら、順序立てて語った。

「つまりは①亜里沙特製、お味噌汁を作ろうと思ったわけです」


 そこで亜里沙は、右のガスコンロに火を点けた。まずその時点から間違っているのだが、水を湧かす鍋を探したところ、フライパンしか見当たらなかったので、突如方針を転換した。


「②亜里沙特製フレンチトーストを作ろうと思ったわけです」


 フレンチトーストに最低限必要なのは、パン・卵黄・牛乳・砂糖だが、物資の貧窮したままの我が家にはとりあえず調味料の砂糖と、いつ買ったのか記憶にすらないパンが二枚、残っていた以外には、卵黄も牛乳もなかった。


「あ!これはコンビニ行かなくちゃ、と思ったわけで」

「で?フライパンはどうして空焚きしたのかな?」

 と言うと亜里沙は、小首を傾げた。

「いやー自分でもいつのタイミングかは、よくー…あっ、そうだ。いざフライパン火にかけたら、サラダ油もマーガリンもなかったんだ!」

 僕は財布から、千円札二枚を引っ張り出すと、亜里沙に与えた。

「あっ、いいっすよお金自腹で。あたしが、芦田さんにご馳走したいと思っただけですから」

 両手を振る亜里沙に、僕は容赦なく二千円を押しつけた。

「これ持って東京帰れ。今すぐ帰れ。この部屋から出て行け」

「ひっ、そんなご無体な!朝ごはんすら、まだ食べてないのに!」

「コンビニでパンでも買え!」

 なんてやつだ。もーこいつ、絶対に同居したくないタイプである。


 結局僕が、いちから朝ごはんを作る羽目になった。とりあえずジャガイモと余り物のパスタソースを使ってスペイン風オムレツを作り、まだ余っていた特売のもやしで味噌汁を作ると、亜里沙が買ってきたマーガリンを落とした。


 その間に亜里沙に米をとがせてご飯を急ぎ炊きさせておいて、ようやくまともな食卓になった。


「うん、美味しい。やっぱプロの方は違いますねー☆」

「それ食ったら出て行けよ」

「いやそんなまーたまたあ!ふふふふー」

 誤魔化しやがる。こいつ一体、どうなったらいなくなるんだろう。本来なら一人で少しでも、ぼさっとしてたいと言うのに、なんと言うことだろう。



 そう言えばあれから静花からは、何も言っては来ない。

 当たり前と言えば、当たり前だ。話はあそこで、ついたのだから、こっちから異論がない限りは、向こうには特に用事が思い当らないのだ。


(そう言えばあのときは、二人で何を食べたっけ)


 ここでスペイン風オムレツを作らなかったことだけは、確かだ。当然かもしれないけどあの日の静花との記憶は、今でも細かいところがあやふやだ。


 彼女が僕にもうこの部屋に来ない、と言うことを告げた瞬間のこと以外は。あれは確か、夜勤明けの火曜日だ。静花もちょうど休日で僕たちは昼過ぎに、いつも通り軽井沢で落ち合って。食事をして買い物を済ませて。このまま明日の出勤まで、いつも通り過ごすつもりだった。



「あのー、芦田さん。そろそろ、買い出しに行きません?」

 気が付くとにっこりと、亜里沙が微笑んでいた。よくこんな罪のない笑顔が出来るもんだ。

「洗い物、やっときましたよ。本っ当、ご馳走様でした。やー誰かの手料理なんて久しぶり過ぎて、何かわくわくしちゃいました!」

「それは良かったな。じゃあ、そろそろ帰ろうか」

 車のキーを手にした僕に、亜里沙は満面の笑みで自分の小銭入れを見せつけてくる。

「いや、帰ろうにも、さっきのお買い物で…まずお金がありませんから」

「だから、やるってば」

 千円札を二枚、僕は財布から抜いて気がついた。もう千円札一枚しかない。静花がいなくなってこの方、ぼーっとしていたせいか、お金もおろすのも忘れていたのだ。

「あっあーっ♪それじゃーお買い物も出来ないですよねえ」

「スーパーでお金おろすよ」

 二千円を亜里沙に、押しつけようとして気が付いた。ん?キャッシュカードがない。

「だーめじゃないっすか。財布から目を離したときは、ちゃんと確認しないと」

「おまっ、いつの間にこの泥棒っ」

「ぼーっとしてる方が悪いんすよう!」

 あわてて取り返そうとしたが、亜里沙はカードを弄んで離さない。

「買い物っ、そうだ買い物一緒に行きましょうよ。あたしだってまだ、帰りたくないですしー、芦田さんさえ良かったら、このままデート☆なんて」

「ふざけんなお前っ本当、通報するぞ!お金もないんだから、早く帰れよ!」

 僕は怒鳴り声を上げたが、亜里沙はますます調子に乗って来る。

「いや、ちょっとー行きたかった場所あったの思い出してー!いーじゃないですか、デートしてくださいよう。芦田さんも、どうせぼっちじゃないですかー」

「いい加減にしろッ!」

 僕はそこでキャッシュカードを、無理やり奪い返した。むきになったと思う。亜里沙も僕の剣幕に思わず身をこごめていた。


 やってから気づいたが女の子相手に、かなり乱暴になった。ぼっちなんて幼稚な言葉に。でも、こいつも、ふざけすぎだ。僕だって、怒りたくもなかった。なんでこんな無神経なやつにおもちゃにされなきゃいけないんだ。


「あのっ、何かすんませ…」

「静かにしてくれよ」

 刺すように僕は言った。必要以上に、とげのある言い方だったと思う。


 あまりに後味が悪かったので、びくびくしている亜里沙を残してベランダに出た。物干し場に灰皿がある。静花が煙草を嫌うので、いつもここに灰皿を出しておいたのだ。


 こんな声で怒鳴ったことなんて、ほとんどない。最近軽くしたアメリカンスピリッツのメンソールライトでさえ咽喉のどに沁みる。僕は軽くせきをした。


 そのときLINEで、今西からメッセージが入っていた。今日の夕方の予定だが、どうやら店が変わったらしい。どうも、いつもの串焼き居酒屋じゃないようだ。


 添付されてきたお店のURLにリンクしてみると、韓国料理のお店のようだ。残念会を催してくれる心遣いは嬉しいけど、いざとなるとやっぱり、気が重かった。


「よりが戻るパターンな気もするけどな」


 半分、そんな気がしているせいもある。今西の言ったことは、じわじわ効いてくる。だって僕たちのは、これから二度と会わないような別れじゃなかったのだ。気持ちの切り替えが出来ていない。


 僕は灰皿に煙草を押しつけて、握りつぶした。じりじりと、弱火で煮られるような気分になってきた。少し気分転換しないと、夕方までもたない。


「買い出し行かないか?」

 僕は、体育座りでテレビを観ている亜里沙に声をかけた。

「え、あたしもいいんすか?」

「外に出たいんだろ?」

 言った瞬間、亜里沙は無邪気すぎるほどに喜んだ。

「出たい!わああっ、じゃデート?デートじゃないですか!?」

「デートじゃないよ。少しその辺、案内するよ。せっかく来たんだから少しくらい、町を見てから帰りたいだろうと思ってさ」

「じゃあたし、軽井沢で買い物したいっす!」

「調子に乗んな」

 言いつつ、思わず苦笑してしまった。ふと思った。こんなやつでも、話してると、さっきから少しは気が紛れてたことに。

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