第3話 わけアリな押しかけ

 結局、僕は彼女を連れて行った。


 そうと決まると名刺みたいに、彼女は学生証を差し出してきた。名前は戸田亜里沙、年齢は二十一歳、都内の割と名前の知られた芸大の二年生だった。


 現代舞踏げんだいぶようをやっているらしく、明るいところでみると一見、細身に見えた身体にはしっかりとした筋肉がついていた。



「いやーシャワーと着替えまで!助かりました芦田さん!」


 部屋に入れるとさっさと先に入浴された上、ちゃっかり着替えまで借りられた。身分証に気圧されてこっちも名乗ったのが、運の尽きである。ほとんど友達感覚だ。これぞ体育会系の図々しさなのか。


 ふと気づいたら、亜里沙は寝巻用の無地の白シャツに、学生時代から持っている僕のジャージを違和感なく着こなしていた。こうしてみると体育会系の感じといい、ベリーショートの髪型もあってか亜里沙は、思春期の少年くらいにしか見えなかった。


「で、明日は一人で帰れるんだね?」

「ああ、財布は何とか持ちだして来たんで。東京までは何とか…」

 と言いつつ亜里沙は、デニムのポケットに入っていた小さな財布を確認した。みると千百二円しか入ってなかった。

「ぎりぎり…」

 声が小さかった。何とかなるわけないだろう。

「誰か迎えに来れる人いないの?携帯は?」

「あっ!携帯!」

 と今さら騒ぐが、他に持ち物はなさそうだ。

「置いてきたんだったら、そこへ取りに行けばいいのに」

 と言うと、亜里沙は眉をひそめ唇をねじまげた。

「ええっ、この雨の中ですかあ!?」

「止んでからだよ」

「やーだっつの」

 突っ張った言い方をしてから、亜里沙は気づいたらしく、言いにくそうに、

「すんません…何か、せっかく助けてもらったのに。でもっ、でも、それだけは本当。本当に勘弁なんで」

(…やっぱりワケありなんだろうな)

 その、奥歯に物が挟まったようなと言うのが、最も適当な表情を見て僕は察した。

「話したくないなら事情は聞かないけど、明日になったらちゃんと出てってくれよ」

 と言うと、亜里沙は子供みたいにほっぺを膨らませた。

「ええっー!?だってえ、すっごい雨降ってますよお?お金もないし」

「傘貸すから。なんならお金もあげるから。あと二千円もあれば東京に帰れるだろ?」

「冷たい!人でなし!けーちだなあ、お兄さん」

 どーこがけちなのだ。こんな大盤振る舞いする親切な他人、そうはいないぞ。

「てゆうか何か、お腹すきません!?」

「どこまで図々しいんだ君は」


 もの凄いところから、話題を替えて来やがる。六歳下ともなると、やっぱり話し方の勝手が違うものなのか。


「まーたそんなこと言っちゃってえ。こんなときお料理できるかわいい女の子がいたら、便利だって男なら思うわけじゃないですか?」

 けっ。こちとら新卒のときから、自炊である。いわばプロの独身だ。その僕に、自ら挑むとは笑わせてくれる。

「そこまで言うなら、何か作ってもらおうじゃないか」


 それから亜里沙は台所で何がないあれがないと大騒ぎしていたが、結局作ったのは、キャベツの青葉とベーコンの切れっ端が入った、いかにもざっかけな醤油パスタだった。


「女の子の、料理…?」

 運動部の合宿の夜食。見た目の印象としては、ほぼそれに尽きる。

「え、意外に美味いんすよ。山梨、やっぱキャベツが美味しいから。半生でもがんがんいけますよ」

「素直に火が通ってない、って言わないんだ…」


 渋々食べてみたが、醤油とバターで整えた即席ソースに利いたスパイスのアクセントといい、芯の残ったキャベツはともかく、パスタの方はいい堅さで食べ応えを主張しているので、中々食べさせる味だった。料理の勘は、悪くないみたいだ。


「あ、ビール飲みます?てゆか、あたしも飲んでいいすか?」

 僕は黙って二人分の発泡酒を持ってきて、手渡してやった。その瞬間、亜里沙は子供みたいにはしゃいで大きな声を出し、僕に怒られた。

「さっき飲んだんじゃないのか?」

 僕は精一杯の皮肉を言った。亜里沙が持ってふらふら歩いてたカールスバーグビールの瓶。まだ、玄関に置いてあったのだ。

「飲んでないすよ。だってあれは護身用…」

 と言いかけてから、亜里沙はあわてて口をつぐんだ。

「護身用?」

「いや…その、とにかく何でもないっすから。ぱーっと食べて飲みましょう!」

 わざとらしくグーを突き出して、亜里沙はパスタを掻きこみ始めた。


 やっぱりわけありなのだ。場合によっては、よく事情を聴き出してから警察に突きだ…いや、相談するように説得した方がいいんだろうか。


 それにしてもえらい拾い物だ。せっかく静かになった部屋で、ゆっくりと休もうと思ったのに。冷やしておいたとっときのナイアガラまで飲まれてしまった。


「寝るぞ、もう」

 十二時過ぎ頃、僕たちは布団を敷いて寝た。亜里沙は僕が洗い物をしている間、ハイテンションで布団をひいていた。ったく川の字で雑魚寝である。ますます運動部の合宿みたいになってきた。

「夜中だからもう静かにしてくれよ?」

 ワイングラスを片付けると、僕は電気を消して自分の布団の方に入った。さっさと寝てほしいのに亜里沙はジャージで体育座りしてやがる。

「どうしたんだ?」

「何か目が冴えて。せっかくだし、このまま、寝るって言うのも、なんかないって言うかなさすぎるって言うか」

「ありだよ。ありまくるよ。こっちは仕事してきたんだ」

「え、でもほら。眠れないじゃないですか」

「それは君だけだろ?」

 出来るだけ冷ややかに言ってやったが、相手はめげそうにない。

「だって、どきどきしません?知らない人の知らない部屋にいきなり泊まるとか、こう言うの!」

「しない。ここ、僕の部屋だし」

 お泊りの中学生か。限りなくうざい。

「とりあえずー、映画でも観ません?」

「…頼むから、せめて静かに寝かせてくれない?」

 かなりいらっとした僕は、テレビのチャンネルを亜里沙からもぎとって投げ捨てた。ぶつぶつ文句を言っていたが、何だかんだでごそごそと亜里沙は、自分の布団に入ったらしい。


 二分後。


「…あのー」

「なに?」

「なんて言うか…泊めてもらって悪いんで。この際エッチとかします?」

 僕は黙って、拳を振り上げてみせた。これ以上、こんなガキにいじられてたまるか。

「すみません…あの、本当冗談です。…今なんか、どーしても引っ込みつかなくて言いました」

「次やったら、家出少女で警察に突き出すからな」

 と言うと、亜里沙は途端に青くなった。

「ひいっ、警察だけは!殿、拙者静かに寝ますから!もう死んだように静かにしますから!夜中におトイレ行きたくなっても、我慢してますから」

「いや、それは普通に行けよ。そしてなぜ殿と侍」

「侍じゃない忍者です。もー忍者のように、静かにしようと思って」

 どっちでもいい。にしても、あーっ何たる面倒くさいのを、拾ってしまったのだ。失恋した状態で、考え得る最悪の事態を引き当ててしまった気がする。そもそも、

(本当に大丈夫なのか、この子…?)

 偶然だが、警察の名前を出したら、本当にちょっと顔色を変えた気がする。カールスバーグの瓶も拾ってきてはみたけど、あれにはとりあえず殴られた痕があったりとか、血とかがついていたわけではなかったわけだし。

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