③ 魔法の国への入場券
あたしとレインは、失せ物探しをいったん休憩して、木陰のベンチでアイスクリームを食べることにした。
冷たいレモンシャーベットが、のどに心地いいけど、胸はどぎまぎだ。
ちらと横を見ると、レインは足を組んで、アイスを持っていない左手をベンチに投げ出してる。その手のすぐ前に、あたしの背中があることには気づいてないんだろうけど。
これじゃ、ほんとにデートみたい……。
ふいに、レインが手に持ったコーンに、メロン色の液体が伝っているのが目に入った。
「レイン、アイス! 溶けてる!」
「あ、やべ」
レインはあわててぱくりとアイスの溶けてる部分を食べた。
珍しいな。
レインがぼけっとするなんて。
落し物が見つからないから?
ううん、それだけじゃない。
今までの経験が告げている。
レインも緊張して落ち着かないんだ。
そのはずだよ。レインは劇団ポップドロップをしょって立つ看板俳優。劇場が呪われてるって噂をとっぱらうために、あんなにがんばってた。
事件は解決したけど、いったん広まってしまったうわさが晴れるかどうかは、明日の舞台にかかってる。プレッシャーを感じるのは当たり前だ。
仲間のあたしたちを気づかって、一生懸命そんな自分を隠そうとしてるんだ。
よし。
あたしは決心した。
元気づけてあげなくちゃ。
あたしだって人を癒すミュージカル屋の手伝いやってるんだから、きっとできる。
でも、どうやって?
うーん。
考えながら目の前に広がる丘を見つめていると、てっぺんにある人の姿が見えた。 黒いタキシードで、白い仮面をつけたまま、堂々と芝生に寝ころんでいる。
間違いない。
あたしはベンチから立ち上がった。
「レイン。ちょっと待ってて」
「え? おい、チュチュ――」
「すぐ戻るから」
あたしは、丘を登りにかかった。
てっぺんまで登りきると、あたしはすぐにその人の名を呼んだ。
「ファントムお兄さん!」
「チュチュちゃん。ロンドンにはめずらしいこのすばらしい日よりに、美しい公園で、そんなにあくせくするのは風流じゃないな」
タキシードを着て仮面をつけ丘に寝そべる変人、ファントムお兄さんは、あたしの相談事を聞くと、寝たままうなずいた。
「なるほど。仕事にかこつけてまんまと公園に遊びに来られたついでに、カレシを元気づけたいというわけか」
いくつかのやや事実と違う点は、このさい目をつぶる。
「それで、そのカレシに、どんな曲をプレゼントしたいんだい?」
あたしはすぐに答えた。
コーラスコープティーを使わなくても、今レインに必要な曲はわかった。
「『お砂糖ひとさじ』」
それはメリー・ポピンズが歌う歌。
どんなやっかいなことも、お砂糖一つまみほどのちょっとした工夫で、楽しくなるって歌なんだ。
「でも、ここにはピアノもないし、どうやったら歌をプレゼントできるかな」
くるりんと、ファントムお兄さんは芝生から身を起こした。
「いいだろう。残業代はつかないが、きみのカレへの愛に免じて、今回は特別だ。これをあげよう」
ファントムお兄さんから渡されたのは、メリーゴーランドの絵が描かれたチケットだった。
「なにこれ?」
「見てのとおり、入場券だ。魔法の国へのね」
えぇ?
ファントムお兄さんは立ち上がった。
「それじゃ、そろそろ仕事があるから。健闘を祈る」
「あっ、ちょっと!」
ひらひらと手を振ると、ファントムお兄さんは行ってしまった。
相談する人、やっぱり間違ったかな……。
あたしは丘を下って、レインのいるベンチに向かった。
途中、さっき立ち寄ったアイスクリーム屋さんを横切る。
あれ……?
視界のすみで、なにかが光った気がした。
横を見ると、屋台の上に、さっきはなかったものがある。
ミニチュアのメリーゴーランドだ。
赤いテントの下で色とりどりの花や飾りをつけたお馬さんたちが、くるくる回ってる。
あたしは、そのぜんぶが、すきとおってることに気がついた。
かけよって、じっと見つめる。
すごい。
これぜんぶ、お砂糖でできてるんだ……!
「チュチュ、チュチュ」
はっとしてとなりを見ると、レインが立っていた。
「なかなか戻ってこないから心配したぞ」
「ごめん。レイン、それよりこれ、見て」
あたしはメリーゴーランドの砂糖菓子を指さす。
「すげー。よくできてんな」
「ずっと見ていられるよね」
あたしたちはしばらく黙って、それに見入った。
くるくる、くるくる……。
見ていると、別世界に引き込まれそうになる。
あれ。
「レイン、レイン!」
「ん、どうした。……えっ」
丘が、小川が、木が。
いつの間にか、あたしたちの周りの景色も回ってる……!
気がついたら、周りにたくさんのお馬さんが走っていた。
『お砂糖ひとさじ』のメロディーに合わせて、優雅に走ってる。
これって……。
あたしも、お馬さんに乗って、ロンドンの街の小道を走ってることに気づく。
茶色くすきとおったからだに、ピンクの花をつけたお馬さんだ。
後ろから、白くて立派なお馬さんに乗って誰かがやってくる。その人はあたしの横に並んで、軽やかに通り過ぎ、あっという間に見えなくなった。
チューリップのついた帽子をかぶって、紺のスーツを着ていた。そして、腕にはオウムの柄のついた傘。
あれって……!
「なにぼさっとしてる。チュチュ、メリーを追うぞ! 彼女が落としたものはなにか、つきとめるんだ」
すぐとなりを、黒いお馬さんにまたがったレインがかけていく。
「う、うん。そうだね」
あたしもあわてて、そのあとを走る。
だんだん、紺色の背中が近づいてくる。
「待って! メリーさん――」
もう少しで、声がとどくかも。
そう思ったとき。
メリーさんはぴょんとお馬さんから降りて、傘を開き――風に乗って、空に舞い上がった!
「くそ」
レインは迷わず馬を乗り捨て、近くの家のレンガに足をかけて登り始める。
「チュチュも、早く」
え。えぇ?
ええい、もうどうとでもなれ!
レインのまねをしてレンガに足を乗っけるけど、滑ってなかなか登れない。
レインに手を貸してもらって、ようやく屋根まで上りきる。
屋根の上は、見渡す限り煙突がいっぱい。
そのずっとさきを、傘を広げたメリーさんが飛んでる。
煙突から煙突へ飛び移って、レインは追いかける。
あたしはかろうじて、肩幅ほども離れてない煙突を移動することで、距離をつめていく。
でも、それもすぐ限界がきた。
少しだけ遠くの煙突に足をのばしたとき。
宙を舞う、不安な感触。
あたしはまっさかさまに、落ちていった。
「チュチュ!」
レインが飛んできて、あたしを追うように、飛び降りる――。
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