⑩ 悔しさをナンバーに乗せて
翌日の日曜日。
うちの一階――魔法のミュージカル屋さんのテーブル席に、あたしとレイン、そし て、茶色のフードを被ったその子の姿はあった。
その子はいつものようにひかえめに微笑んでる。
「チュチュちゃんのおうちがこんなにすてきなお店だったなんて。お招きいただいてうれしいわ」
その子は、ここに来るまでに、ファンの人に見つからないようにかぶっていたフードをとった。
「今日呼んだのはね、たしかめたいことがあるからなんだ」
あたしのとなりの席に座ったレインもうなずく。
その深刻な雰囲気に、さっとその子の顔色が曇る。
ちょっと胸が痛んだけど、あたしは本題を切り出した。
「オペラ座の怪人の呪いってことにして、監督のスマホを操作したり、レッスン室にろうをぬったり、あたしの靴に脅迫状を置いたのって――ダイヤちゃんだよね?」
その子――ダイヤちゃんは、とたんに、今にも泣きそうな顔になった。
「チュチュちゃん、ひどい……! なにを根拠にそんなこと」
すがるような視線をレインに向ける。
「ねぇ、レインからもなにか言って」
レインはなにも言わずに、パーカーのポケットをさぐった。
テーブルの上で開かれたその手を見て、ダイヤちゃんが細く息をのむ。
ピンク、紫、青のビー玉だった。
「お前のスマホについてるものと同じだ。前の人魚姫の公演のとき、海の泡を表すために使われていた小道具――公演の最後に、ダイヤが監督からもらっていたものだ」
静かな声が、その場に響き渡る。
「キャシー役のオーディションのとき、受験者がつけるピンマイクの胴体部分に入れたんだろう」
ダイヤちゃんがうつむいた。
じっと、テーブルの上を見て。
悲しげにふっと微笑んだ。
「そうよ。全員、不合格になればいいって思った」
わっと両手できれいな顔を覆う。
「悔しかったの。わたし、劇団の中でずっとレインに憧れてて。となりで演技したい一心で勝ち取った相手役なのに。足を痛めてそれができなくなるなんて」
あたしはダイヤちゃんの肩に両手を置いた。
わかるよ。
あたしも、オーディションに落ちた時そうだった。
目の前がまっくら。
なにかを恨みたいほどの悔しさ。
「ダイヤちゃん。思いっきり、その気持ちを吐き出しちゃおう。ミュージカルナンバーで」
涙に光る目で、ダイヤちゃんが不審そうにあたしを見る。
彼女に処方する曲。
それはもう、決めてあった。
さっきからなにもいわずに、ただピアノにスタンバイしてくれてる人に、合図する。
「お姉ちゃん」
「は~い」
ピアノのキーから流れてきたのは、深い洞窟からはってくるような音。
あたしは、ダイヤちゃんの両手をとった。
「歌って、ダイヤちゃん」
どこか不気味。
でも誘うような、リズミカルな演奏。
お姉ちゃんの抜群なピアノ伴奏を聴けば、音楽をやってる人なら、歌いださずにはいられない。
打たれたように体をびくりとさせ、しばらく視線をさまよわせたあと、ダイヤちゃんは小さく歌い始める。
その声が、座ったまま歌っているとは思えないほど、曲調にふさわしく感情たっぷりになったのはすぐのことだった。
曲は、オードリーが主演した映画『マイ・フェア・レディ』の『いまに見てろ』。
言葉の専門家の教授から厳しい訓練を受けてるヒロインが、なかなか思い通りに言葉遣いを習得できないくやしさから歌う曲。
教授、今に見てろよ、あんたよりずっと偉くなって、見返してやる!
最後にそう叫んだダイヤちゃんの目はまだ濡れていたけど、曲の効用が表れていた。それは、『次の目標』。
イライザのくやしさが次第に教授への恋心に変わるように。
挫折のあとには、夢に近づく階段が表れる。
はじめて聴いたけど、さすがはポップドロップの看板女優だ。強い声質、それでいて透き通った声。
歌い終えたダイヤちゃんは、どこかさっぱりした顔だ。
そのいすのとなりにしゃがみこんで、レインが言った。
「明日、監督に打ち明けて、いっしょに謝りに行こう」
「みんなの邪魔をしたことは、ごめんなさい。……でも」
ばっと、ダイヤちゃんの目があたしをとらえた。
「チュチュちゃん、次の公演では、あなたから主役を奪い返すから。覚悟してね」
あたしはぐっと親指をつきたてた。
「望むところだよ!」
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