⑦ ティーポットの唄うミュージカルナンバー

「そう。オペラ座の怪人の呪いが、とうとう劇団にもね……」

 お店のテーブル席についたあたしたちにミルクティーを出しながら、お姉ちゃんは考え深げな声を出した。

「しかもチュチュちゃんの命まで脅迫するなんて。これは放っておくわけにはいかないわ」

 いつになく真剣な声に、心がほっと包まれる。

 お姉ちゃん……。

 あたしを想ってくれてる人がいることに、目頭があつくなる。

「ほんとうは、オペラ座の怪人の正体に、心当たりがあるんです」

 レインの言葉には、涙も引っ込んだ。

「うそ。まじ? いつのまに」

「公演本番に向けて劇団全員ががんばってる中で、犯人さがしみたいなことはしたくなかったから、黙ってた。でも、チュチュに脅迫状がきたとき、決めたんです。犯人をつきとめるって」

 お姉ちゃんはうなずいた。

「今回の事件を、魔法のミュージカルグッズでみてみましょう。もしかしたら、手掛かりが見つかるかもしれないわ」

 お姉ちゃんはカウンターの奥の棚から、白いティーポットとマグカップ、紅茶の茶葉を持ってきた。

 一見ふつうのティーセットだけど、お茶のおかわりを……というわけでは、もちろんない。

 あたしも二、三回しか見たことない、レアな魔法ミュージカルグッズ。

 いろんなお客さんが訪れる中で、なかでも深刻な悩みを持つ人に使う、かなり本気のやつだ。

「これはコーラスコープティー。困っている人が紅茶を入れながら、心から知りたいことや解決したいことを相談すると、茶葉たちがヒントをくれるの。ミュージカルの歌を奏でてね」

 つまり、その曲の歌詞が、そのまま解決のヒントになるってわけ。

 歌詞からメッセージを読み取って解決に導くのは、集中力とミュージカルの深い知識、それから理解がいるので、専門家じゃないとむずかしいんだって。

「さ、チュチュちゃん、茶葉をティーポットに入れて、オペラ座の怪人の正体を問いかけてみて」

 その専門家からのいきなりな名指しに、とびあがる。

「え!? あたし?」

 まさかの。

 あたしが、コーラスコープティーをつかって事件を解決するの?

「あら。だって、怪人の呪いをつきつけられているのはチュチュちゃんでしょう? 茶葉たちは一番困っている人の気持ちにこそ、全力で応えてくれるのよ」

 だだ、だけど。

 たった一曲の歌詞から、ヒントを読みとくなんて。

 名探偵じゃあるまいし。

「むりだよ。そんなの」

 半泣きの顔を向けても、お姉ちゃんはふんわり笑うばっかりだ。

「そんな顔、しないの。レインくんに幻滅されちゃったら大変でしょ」

 なんでここでレインがでてくるの?

 思わず本人を見ると、あたしに向かってうなずいてくる。

「だいじょうぶだ、チュチュ。曲の解釈ならオレも手伝う」

 その力強い瞳に、かたくなった肩がちょっとやわらぐ。

 レインなら、いろんなミュージカルやその背景についてもきっと詳しいだろう。

 よし、こうなったら。

 あたしはティースプーンを手にとった。

 茶葉の袋から、三ばい分すくって、ティーポットに落とす。

 そして、やかんからあついお湯を注いだ。

「お願い、紅茶さん。あたし、どうしても今回のミュージカルを成功させたいの」

 茶葉への問いかけもかんじんだ。

 なんて訊こうかな。

 ミュージカルを邪魔する犯人を教えてください?

 なんか、ちがうような……。

 ふと、レインの真剣な顔が目に入る。

 みんなががんばってる今、犯人さがしはしたくないと言ったレイン。

 一人、その正体を胸に抱えていた彼は、どんな気持ちだったんだろう。

『劇団員一人一人のケアも、大事な仕事だと思ってる』

 その言葉が思い浮かんだとき、心の中でジャンプするように、いい問いかけが浮かんできた。

 あたしのほんとうに知りたいこと。

 レッスンの邪魔をしたり、脅迫状を送ったり。

「オペラ座の怪人さんは、どんな気持ちから、こんな悲しいことをしちゃうのかな。教えてください、茶葉さん」

 真夜中にともる三日月みたく、お姉ちゃんの唇がほころんだ。

 ティーポットの中で、茶葉さんたちが踊るように飛び跳ねて、オルゴールのような、かすか音色が聴こえてくる。

 寂しげな前奏。

 一言ずつ、ためらいながら語っていくようなメロディー。

 それは途中でとぎれてしまわないか心配になるくらい、弱々しい旋律。

 でも、それに続くサビのメロディーはきれいだった。

 自然と、その歌の歌詞が口をついて出る。

「ぼくはきみの鏡だから」

 その続きを、レインが歌う。

「きみはぼくの想いすべてわかるはず」

 微笑んだレインと目が合う。

 これなら知ってる。

 オーストリアの皇后の生涯を描いたミュージカル『エリザベート』の中で、皇后エリザベートの息子のルドルフが歌う歌だ。お母さんに苦しみをわかってほしい。『僕はママの鏡だから』、ママは僕の気持ちをわかってくれるはずだって。

「オペラ座の怪人さん、寂しいんだ。だれかにわかってほしいって、心で叫んでる」

 レインがうなずいた。

「きっと、そうだ」

 ふんわりとしたお姉ちゃんの声が、紅茶の湯気のようにその場を包む。

「ひとまず安心ね。オペラ座の怪人さんの気持ちは、チュチュちゃんにとってよくわかるもののようだから」

「ええっ」

 レインも言う。

「鏡っていうくらいだから、犯人と同じようなつらさを、チュチュも味わったことがあるっていうことかもしれない」

 たしかに、怪人さんの気持ちを知りたいとはお願いしたけど。

 正直、すなおに喜べない。

 ヴィヴィちゃんにけがさせたり、脅迫状送りつけたりする人だよ?

 そう言うと、お姉ちゃんはふっときれいな眉毛をひそめた。

「エリザベートも、わからないわってはねつけてしまうのよね。そして息子さんが亡くなったあとではじめて、『わたしたちは鏡、この世で休めない者同士だった』と悲しそうに歌う」

 その言葉に、はっとした。

 真っ黒いドレスを着て、悲しげに歌うエリザベートの姿が、舞台で見るようにありありと心に浮かぶ。

「理解できるだれかの苦しみに気づくのが遅すぎて、後悔しないようにね」

 お姉ちゃんの言葉に、うなずく。

 いっしょうけんめいミュージカルを作ってるみんなの邪魔をするなんて許せないって思ってた。

 でも、そんな怪人さんにも、だれかにわかってほしい気持ちがあるんだとしたら。

 ティーポットから、悲しげな最後の一音が、ルドルフの消えそうな望みのように、小さく鳴っていた。


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