⑥ 我が家自慢の歌姫

 あたしがレインを連れてきたのは、もちろん、この場所。

 ハー・プリンセス劇場から歩いて十五分。

 大通りの三つめの路地を曲がって、少し行ったところにある、赤茶色のドア。

 ト音記号の看板は、夜になると自動的に明かりがついて優しく光る。

 レインはそれを、はしばみ色の目を大きく開いて、見つめていた。

「ここ、魔法のミュージカル屋じゃないか」

「そう」

 リズミカルに指を振って、あたしははじめてのお客さんにいつも使っている決まり文句をうたう。

「このお店はね、ただ音楽の商品を売ってるだけじゃない。悩んでいる人に、魔法のミュージカルで元気をあげたりもするんだ」

 きっとここの店主さんは、今困ってることだって相談にのってくれる。

「あたしもたまに手伝ってるんだよ」

 ちょっとだけ胸をはると、レインはさらに衝撃をうけたように、目をしばたたいた。

「魔法のミュージカル屋の手伝いを? 忙しいレッスンのあいまにか」

「うん! あたしができるのはお客さんの気分を変えるダンスくらいだけど。みんなに元気になってもらうの、楽しいよ」

 さっそくドアノブに手をかけようとすると、ちょっとうつむき加減なレインが目に入った。

 あたしはつられてちょっと下を向く。

 やっぱり、信じられないよね、こんなこと。

 魔法のミュージカルで人を元気にって聞いても、そんなことできるわけないってばかにしたり、疑ったりする人は多い。

 こういう人たちに辛抱強く説明するのは慣れてるんだけど。

 レインにもそれをしなくちゃならないのはなんか、つらい。

 どうしようかなと思っていると、ぽつり、声がした。

「やっぱお前、すげーな」

 カンカン照りが続いた日のあとようやくふった一滴の雨のように。

 小さなその声が、あたしは信じられなかった。

「ほんと言うと、ずっと思ってた。オーディションのとき、楽しく踊るって言いきったお前の、その直後のダンスを見たときから」

 うつむいていて、レインの顔がよく見えない。

「あれは、すごくがんばってきたのはわかるが、まだまだ勉強しなきゃだめなダンスだった」

 う。

 んなはっきり言わなくたって。

「でも、あのダンスには、オレのものにはない、なにかがあったんだ」

 え……?

 天才ミュージカル俳優のレインのダンスにもない、なにかがあたしのダンスに?

 まさか。

 聞き違いかなと思っていると、強い視線を感じて前を見る。

 レインが真剣な目で、あたしを射抜くように見ていた。

「チュチュ、こういうタイミングでこういうこと言うのはどうかと何度も思った。でも、どうしても、オレのなかにとどめておけなくて」

 レインが力強く、あたしの右手をとる。

 どっき、と胸が一回大きくはねた。

 えっ。

 なに。

 なにを言い出すの?

「ほんとうは、はっきりさせるまで言わないつもりでいたけど」

 心臓はその後、ばくばくと小さな音を超特急で刻み続ける。

 この前置き、まさか。

 ま、待って。

 いきなりそんなこと言われても、あたし。

 困るんだけど~。

「お前、オーディションで踊ったとき、ピンマイクの装置落としただろ」

 ……え?

「あ、あぁ。うん」

「あれはよくできた機械だ。そんなに簡単に落ちるものじゃない。不審に思って調べてみたんだ」

 なんだ。

 そういうことか。

 びっくりした……。

 一瞬で全身の力が抜けて、

「そしたら、中からこれがでてきたんだ」

 手に乗せられたものを見て、身体がこわばる。

 透明の袋に入れられたそれは、たくさんのビー玉だった。

 紫、ピンク、青……カラフルな色たちが、今は逆に不気味に見える。

 誰かがあたしのマイク装置を重くするために、わざとビー玉を入れた?

 レインはこくりとうなずく。

「それで、思ったんだ。このビー玉……」

 レインが言いかけたそのとき、かちゃりと赤茶色のドアが開いた。

 夜遅くても、とつぜんやってくるお客さんにそなえてきれいにまとめた金髪。少しの後れ毛を揺らしてでてきたのは、白いブラウスの上に、ベージュのワンピースを着ている。

「お帰りなさい、チュチュちゃん。疲れたでしょう。あら。今日はお友達も一緒なのね」

「ただいま、お姉ちゃん」

 どう、うちのお姉ちゃん、きれいでしょ。

 自慢しようと向きなおったら、レインは、まるでおばけでも見たかのように震えて、口を空けていた。

「『お姉ちゃん』……? おい、どういうことだ、お前、ティナ・チェルシーと一緒に暮らしてるのか」

「あれ。お姉ちゃんのこと知ってるの?」

「あほ。ミュージカルやっててその名を知らなかったら、そいつはまぬけか、本気で勉強する気がないやつだ。三年前、ハー・マジェスティー劇場の『オペラ座の怪人』のクリスティーヌ役で圧倒的な実力を見せつけておきながら、デビュー初日を終えたとたん謎の失踪をとげた伝説の歌姫が、なんでここに?」

 雑誌の見出しでも読んでるみたいにすらすらと言うレインを見て、ようやく腑に落ちる。

 そうだった。

 お姉ちゃんが超有名人だってこと、つい忘れちゃうんだよね。

「まぁ。お見知りいただいているなんて、ありがとう。嬉しいわ~」

 なにせ本人がこの、のほほんぶりだから。

「わたしもあなたのことはよく知ってるわ。レイン・シングくん。ロンドンミュージカル界の期待の星ね。そしてわたしの大切な妹の先輩俳優。チュチュちゃんをどうぞよろしくね」

 差し出された白い手を、レインは機械的に握る。

「は、はぁ……」

 にこにこ笑うお姉ちゃんと、ほうけたようにそれを見つめるレイン。

 あたしはさりげなく、本題を出すことにした。

「お姉ちゃん、相談があるの」

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