第1幕 オペラ座の怪人の呪いをやぶれ!
① 変わり身王子
誰かが言い争う声で目が覚めた。
「オレは反対だ。あの子をダイヤの代役になんて」
聞き覚えのある男の子の声と。
「彼女のダンスはすばらしかったわ」
女の子のしゃべり方だけど、ちょっと低めの、独特の声。
「技術はまだまだだ」
「それでも将来性はピカイチよ。アンタとの相性も悪くないわ」
二つの声はばたばたと忙しい足音と一緒にだんだん近づいてくる。
「いい加減観念なさいな。監督にもはねつけられたでしょう」
「納得できない」
目を開けて声のほうに顔をむけると、さっきの靴ひもを結んでくれた男の子と、短い金髪に紫のスポーツバンダナをして、女の子のようにほっぺたに手をあててる……男の子? その彼(彼女?)が、右手をあげて、人差し指から小指までを、ウェーブのようにひらひらさせた。
「はぁい、調子はどう? よくなったかしら」
そう言われてわれてはじめて、自分がパイプ椅子をつなげてつくったベッドに寝ていることに気づく。
そうだ。
オーディションの合格発表のとき、自分の名前を聞いた途端、目の前が真っ白になって。
あたしが上半身を起こすのを手伝ってくれながら、そのふしぎな男の子は、ウインクした。
「これからたっくさんお稽古が待ってるんだから、元気になっておかないとネ。こねずみちゃん」
へっ。ねずみ?
「チュチュちゃんなんて、ちっちゃなねずみちゃんみたい。かわいい名前ネ」
両手を組み合わせてうっとりしたあと、ほどいた手を差し出してきた。
「アタシの名前はヴァイオレット。ポップドロップの名脇役。今回の『雨に唄えば』では、あなたが演じるキャシーの恋敵のリナ役よ。よろしくね」
『雨の唄えば』の主人公のドンと映画界で噂になってる女優、リナをこの子が……?
男の子がやるの?!
「よ、よろしく。ヴァイオレット、くん」
とまどいつつも手を握って握手すると、ヴァイオレットくんは、やーんと身体をくねくねさせた。
「乙女にくん付けなんて! ヴィヴィちゃんでいいわ……って、あーん!」
ヴィヴィちゃんを押しのけたのは、もう一人の彼だった。
「お前、ほんとにオレと組む覚悟あるのか」
さらりとしたチョコレート色の前髪からのぞく厳しい目つきに、一瞬身体がすくむ。
彼って、ほんとに、さっき靴ひもを結んで踊り子糖をくれた子……だよね。
「彼はレイン・シング。『雨に唄えば』で主役のドンを演じるわ」
ヴィヴィちゃんが言って、ええっ!
この子が……?
衝撃半端なかったけど、考えたら納得。
審査員席にいたのも、主役を演じるからなんだ。
「はい。よろしくお願いします! 精一杯がんばります」
頭を下げると、レインくんはふっと意地悪な笑いを浮かべた。
「ふん。口先だけじゃないことを祈るぜ。ま、今から体調管理もできないようじゃさきは知れてっけど」
な。
なんなのこの言いぐさ!?
さっきとは別人すぎる。
理由を考えたら、すぐピンときた。
「オーディション会場で優しかったのは、人気俳優のイメージを保つためだったんだ! そうでしょ!」
「はぁ?」
とぼけても無駄なんだから!
「あんたは仮面を被った化け物なんだ。『雨に唄えば』の、かっこいいドンどころじゃないよ。このオペラ座の怪人め!」
叫んだ時、なぜかレインは(たった今からくんづけをしないことに決めた)――ヴィヴィちゃんも、どきりとしたような顔になった。
気になったけど、あたし、一度啖呵きり始めたら止まらないんだ。
「本物のスターだったらこういうとき、新人に優しく激励の言葉をかけるもんでしょうが!」
どうだ、言ってやった。
でも、ふっとレインは肩をすくめて、
「呆れた甘ちゃんだな。いいか、この世界で成功しようと思うなら、先輩から甘やかしてもらおうなんて思うな」
むむむ。
「だいたいオレは審査でも反対したんだ。こんな未熟な新人に、キャシーなんて大役がつとまるわけない」
どかどか、どっかん!
あったまきたーっ!
「言っときますけどね! こちとらスパルタ訓練も、足におまめができて、水虫と間違って絶望するほどのダンスレッスンもドンど来いよ! それでもね、イギリス紳士のエチケット的なもんがあんでしょ」
そう言うと、レインは大げさにおじぎしてみせた。
「失礼しました。せいぜい、オレの足をひっぱることのなきよう。レディ。それじゃ、自主練がありますんで」
「ってちょっと、待ちなさいよ」
きーっ。決めた。
本番、絶対ばしっときめたる。
決意を新たになんかしていると、横でパチパチと音がした。
「ブラボー」
ヴィヴィちゃんがたおやかなしぐさで拍手している。
「レインに意見するなんて、さすがキャシー役を勝ち取っただけあるわ」
そう言われて、ずしりと心になにかが落ちる。
あたし、キャシーをやるんだ。
ほんとの、ほんとに……!
「ごめんなさいね。悪気はないのよ。レインは、ちょっとストイックすぎるところがあって」
あたしはあわてて手を振る。
「そんな、ヴィヴィちゃんは悪くないよ」
うーんとまたまた、右手をほっぺにあてて、そのひじを左手で支え、困ったわのポーズをつくって、ヴィヴィちゃんは言った。
「でも珍しいわね。彼、新人さんはもちろん、共演者はみんな大事にするのに。どうしてあなたに限ってあんな意地悪を」
そんなの、かんたん。
あたしは断言した。
「二重人格なんだよ」
困ったわのポーズはそのままに、ヴィヴィちゃんは目をまんまるくする。
「まぁ」
「一人の身体に、善人と悪人。あれは怪人。間違いない」
ヴィヴィちゃんは大きいスミレ色の目をぱちくりさせて、ぷっと噴き出した。
「チュチュちゃんは、その怪人とこれから組んで、舞台に立つのね。大変だわん」
ほんと。
さきが思いやられる……。
ふいに顔を近づけられて、びくっとする。
「なにかあったら、このヴィヴィちゃんに言いなさい。劇団は家族よ」
そう言ってもらえると安心する。
ちょっと変わってるけど、この子、いい子みたい。
「ありがとう」
ヴィヴィちゃんはあたしの手を取って、ベッドから起き上がらせてくれる。
「今日は疲れたでしょう。監督にはあたしから話しておくから、もう帰りなさい。一刻も早く、あなたが今日栄光への第一歩を踏み出したことを、応援してくれた人たちに伝えなくっちゃね」
電撃に打たれたように、あたしはとびあがった。
そうだ。
はやく知らせなきゃ。
あたしの大切な人に。
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