第10話 おまじない

見渡す部屋はどこかのホテルかと思われるようなクリーム色の壁に、よくわからないタペストリーが飾られた部屋だった。黒いローテーブルが壁に置かれていて、椅子が一つ。極上の手触りの真新しいシーツのかけられた寝台と、モスグリーンのソファが一つ置かれた広い部屋だ。

タカトの家のリビングくらいの広さはゆうにある。


窓には分厚い遮光カーテンがひかれていて、夜なのか朝なのかの判断もつかない。


どこかはわからない。だが保健室でないことだけはわかった。


「あら、目が覚めた?」


部屋に一つだけの扉が開いて入ってきたのは目の覚めるような美女だった。

黒髪をゆるく三つ編みにしている。鳶色の瞳を向けて優しげに微笑んだ。


「あの、ここって」

「うふふ、そうね。貴方にとっては悪の根城ってところかしら」

「は?」

「ユキネさん、からかっちゃダメだよ。彼は起きたばかりで混乱しているだろうから、余計にね」


美女の後ろから、メガネをかけた男が現れた。こちらはスーツ姿の優男だ。


「あら、私を悪者扱いするのはやめてよ。ヒコが諸悪の根源でしょうに」

「はい、全くその通りなので、勘弁してください」


なんだかイチャイチャしだした見知らぬ二人に、タカトはただ眺めることしかできない。


「あの…?」

「ああ、ごめんごめん。ええと、僕は相羽マサヒコと言います。彼女は僕の奥さんの相羽ユキネさん」

「はあ、初めまして。隼瀬タカトと言います」

「うん、よく知ってるよ。運動神経がよくて、数学が得意で、音楽は聞く専門。最近はまってるスマホのゲームは一昔前に流行ったパズルゲームだよね。まだやってる人がいるなんて驚いたけど」

「な、なんなんですか?」


相羽というくらいなのだからサユキの関係者だろう。

サユキは一人っ子なので、兄妹の線はない。つまり親戚だ。

だがタカトの情報を知っている理由が全くわからない。音痴だってことはクラスの連中なら知っているが、スマホのゲームはヤスノくらいしか知らない筈だ。


「そして最近は不眠症なんだって?」

「相羽さ…サユキさんから聞いたんですか」


目の前の二人も相羽だったことを思い出して、サユキの名前を出せば、マサヒコはこくりと頷いた。


「そうだね。それでね、うーん、なんて言えばいいかな」

「もうじれったい。タカトくんの不眠の原因はね、ヒコのせいだってさっさと言っちゃえばいいのに」

「だって、それは違うっていうか。因果関係がおかしいっていうか。副作用的なものっていうか」


言い淀んだマサヒコの横でユキネが呆れたように肩を竦めた。


「だから、ヒコのおまじないのせいでしょう?」

「おまじない?」

「いや、おまじないなんて軽々しく言うべきじゃないよ。古代から脈々と伝えられる由緒正しい儀式だってこれで証明されたわけだから!」


優男が急に目を剥いて熱く語りだした。


「え、一体なんの話なんです…?」

「だから唄だよ、音楽だ。君にだけ聞こえるんだろう?」

「は?」

「昔からね、人の想いってのはとても強い。とくに愛はね。相手を想ってうたうんだ―――」

「マサヒコさん、私がたっくんに好きだってちゃんと伝えるから黙って!!」


扉を開けて一息に言い放ったのは、サユキだった。

制服姿ではなく、私服だ。

水色の落ち着いたワンピースを着ている。家での格好なのか、どこか寛いだ雰囲気だ。

形相は必死で、緩んだ空気は全く感じさせないが。


「僕は何も言ってないよ」

「盛大な自滅ね…サユちゃんってばほんと可愛いんだから」


男女ののほほんとした声が静まり返った部屋に優しくこだますのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る