第2号車 零下の空に眠る獅子
冷気が漂うであろう列車の外。澄んだ空には星々が輝いている。弱々しく輝く王の心臓を呆然と見上げていると扉を叩く音がする。それに応じると失礼します、と若い男の声がして紺色の制服に身を包んだ男が現れる。帽子を脱いで一礼した男は微笑を浮かべながらこちらに歩み寄る。
「こんばんは。切符をご提示ください」
澄んだ夜空のような制服をまとう男が言う。
「切符……」
レオはくたびれたコートのポケットから切符を取り出すと帽子を被り直した車掌に差し出す。車掌は切符に穴を開けるとレオに返す。
「ありがとうございます、レオ様」
「……どうして俺の名前を?」
レオが怪訝な目で夜空色を見上げるとその瞳が細められる。星々の輝きを閉じ込めた瞳だ。
「車掌ですから、お客様のことを知っているのは当然のことです」
「……そう」
レオは車掌から視線を逸らす。
この夜想列車は特別な列車だ。乗ることができるのは一両につき基本一人。アナウンスで七両編成と言っていたから、乗客は七人程度か。乗車人数が少ないのだから、車掌が乗客の名前ぐらい知っていて不思議ではない。
レオはソファに座り直す。硬すぎもせず、柔らかすぎもしないソファはちょうどいい。氷のように冷たく硬い石畳に比べれば座り心地はいい。
「レオ様、夜の旅はどうですか?」
「悪くないです」
「そうですか」
車掌は眉を下げる。ロンドが言っていたとおり、口数の少ない青年だ。よく言えば寡黙で悪く言えば愛想がないというべきか、とロンドは教えてくれた。あまり話したわけではないから断言できないが、とつけ加えてロンドは苦笑していた。確かに話好きというよりも、口下手に見える。
疲れた表情。レオのその表情が話しかけにくくしているように思う。やつれた顔からはあまり生気を感じられない。
「まだ何か用でも」
レオの問いかけに車掌は首を横に振る。
「特にはありませんが……」
レオはまた窓の外を見上げる。澄んだ空に星々がきらめいている。ダイヤモンドをばらまいた空はレオには眩しい。
「星が好きなのですか?」
「好きというか、外を見る以外に他にすることもないですから」
素っ気ない返事に車掌は客室を見渡す。一人で過ごすには広い客室にはこれと言って何もない。あるのはソファとテーブルぐらいだ。他にすることもないと言われてしまうのも致し方ない。
「では、何かしたいことはありませんか? 必要な物がありましたら、ご用意しますよ」
「……食べ物を用意してもらうこともできますか?」
「はい。何か食べたい物でも?」
「肉が食べたい」
レオは即答する。
「肉?」
車掌は一度まばたきをする。歳は確か二十二歳。食べ盛りの歳と言えばそうだ。細身だが、よく食べるのかもしれない。
「用意できますか?」
「はい。その、具体的にこの料理がいいとかありますか?」
「……ハンバーグ」
「ハンバーグ、ですか」
「美味いじゃないですか、あれ。子どもが好きな定番メニューだし」
食卓に並んだら誰もが大喜びする料理。レオも例外ではなかったし、今でも好きだ。少しだけ特別な気分になる。
車掌はまばたきをする。切れ長の瞳は理知的で冷めた印象を受けるが、意外と見た目に反して子ども舌だったりするのだろうか。
車掌は微笑むとひとつ頷く。食の好みは自由だ。レオが食べたいと思うのならば、夜想列車が用意するまでだ。
「わかりました。用意しましょう」
レオは車掌を見上げる。歳の近そうな青年だ。物腰が柔らかそうで、人に好かれそうなタイプの男に見える。キラキラと輝く瞳の中に敷き詰められた星が瞬く。車掌の瞳は夜空を思わせる。
レオが車掌から目を逸らすと、ふわりといい香りがする。匂いのもとを辿れば、テーブルの上にハンバーグとコーンスープ、サラダ、ライス、水が置かれている。
自分が想像したものがそのままテーブルに現れた。その光景にレオはまばたきを繰り返す。
「いつの間に……」
扉の開く音はしなかった。車掌以外の気配もなかった。少し目を離した隙に、ぽん、と現れた料理は湯気が立っている。出来立ての温かい状態であることがわかる。
「何か苦手な物でもありましたか?」
「……いいや」
密室で起きた出来事にレオはまばたきを繰り返す。
「よかったです。どうぞ、召し上がってください、レオ様」
「……」
車掌はニコニコと笑っているが、レオからしてみればこの状況に疑問を持たずにはいられない。突然姿を現した料理を口にしていいものか、と不信に思っても無理はない。
美味そうなのが何とも憎らしい。美味しそうな匂いもするせいか、腹が減ったような気がする。疑いよりも食欲が上回ってしまうあたり、欲に忠実だとレオは思ってしまう。
「警戒しなくても大丈夫です。この列車は皆さまが快適な夜の旅をできるようにすることが役目ですから」
疑いたくなる気持ちはよくわかるが、夜想列車と車掌には乗客に危害を加えようとはしていない。
夜を思う旅を。そのためのサービスであることをわかってほしいと車掌は訴える。
「……」
レオは車掌を一瞥すると、ナプキンを膝にかける。恐る恐るナイフとフォークを手に取り、ハンバーグを切る。肉汁が溢れ、美味しそうな香が一層強くなる。一口サイズに切った塊を見つめたレオはいただきます、と言ってハンバーグを口の中に放り込む。デミグラスソースと肉汁の相性は抜群で美味い。
「……美味しい」
「お口にあってよかったです」
レオは次々と料理を食べていく。ハンバーグも美味いが、他の料理も美味い。サラダは新鮮な野菜を使っているようで瑞々しく、コーンスープはほどよい甘さだ。自分が思ったとおりの好みの味が揃っている。
夢中で食べるレオを見て車掌はほっと胸を撫で下ろす。パクパクと無言で食べるレオの瞳はキラキラと輝き、美味しそうに食べてくれる。勢いがよく、見ていて気持ちのいい食べっぷりだ。
あっという間に料理を平らげたレオは水も飲み干し、空になった皿にナイフとフォークを揃えて置く。
「ごちそうさまでした」
心なしかレオの声が明るい。綺麗に平らげられた皿を見て車掌は満足気に笑う。
「食後に何かデザートでも召し上がりますか? バニラアイスとかいかがでしょうか?」
「食べます」
食い気味に返事が来る。落ち着いた見た目に反して、食に関してはいい反応をする。
「飲み物はどうしましょうか? ジュースもコーヒーも紅茶もありますよ」
「では、コーヒーを」
「温かいものでいいですか?」
レオが頷くとテーブルの上から空になった食器が消え、アイスクリームとコーヒーが現れる。ほんのまばたき一回という一瞬でテーブルの上が変わった。
「あの、本当にこれは……」
「まあまあ。どうぞ、アイスが溶けないうちに」
車掌に促され、レオはスプーンでアイスを掬う。白く滑らかな冷たいそれを口に入れる。滑らかで冷たい食感と甘味が口の中に広がる。
「……」
ゆっくりとアイスを食べていくレオはニコニコと笑う車掌を一瞥する。白銀の髪と夜空を思わせる瞳に目を引かれる。自分よりも少し年上に見える車掌はどこか不思議な雰囲気の持ち主だ。車掌の声音はそっと寄り添ってくれるような心地よさを感じる。
レオが尊敬する人に似ている。見守るような目も、気遣う声の感じも、兄貴分を思わせる。
「……ごちそうさまでした」
レオはアイスを平らげる。まだ湯気が立ち上るコーヒーカップを手で包み込む。じんわりと温もりが指先から広がっていく。
「ご満足いただけましたか?」
「はい。美味しかったです」
どこから出てきたのか気にしないことにする。この列車は特別な列車なのだ。何が起きても不思議ではないのだろう。
レオはコーヒーを一口飲み、外の景色に目をやる。不思議なのは外の景色も同じだ。カップを置き、窓に触れると、冷たく硬い感触が指先に沁み渡る。
「……外は冬なのか、春なのか、どちらですか?」
「と言いますと?」
レオは一口コーヒーを飲むと、星空を指さす。キラキラと瞬く星の中から目当ての星を探し出す。
「アルクトゥールス、スピカ、デネボラ」
レオは星を結ぶように指さす。その動きは三角形を描く。
「春の大三角です」
「そうですね」
星空の中でも明るい星たちを結んでできる三角形は春を代表する星たちだ。もうひとつ星を繋いだ菱形は春のダイヤモンドと呼ばれる。
「だけど」
レオは窓を開ける。冷たい風が頬を撫でる。凍てつくようなその風は春の夜とは思えない冷たさだ。
「外の気温、冬並みに寒いのですが」
吐く息が白い。気温は氷点下なのではないかと思うほど冷たい。このような気温の夜を春の夜とは言わないだろう。少なくとも、レオの住んでいる地域ではありえない。レオが知っている春の夜は肌寒い程度で、氷点下とは程遠い気温なのだ。
「この列車は夜を想う旅をする列車です。お客様によって想う夜は違いますから」
「料理だけじゃなくて、外も想うままにってことですか?」
「仰るとおりです。隣と言っても、一号車の窓から見える空も三号車から見える空も違います。この空はレオ様が乗る二号車でしか見られないものです」
「……」
レオは窓を閉める。コーヒーを飲み込み、少し冷えた身体を温める。じんわりとちょうどいい熱がレオの身体に沁み渡る。
「俺が想う夜の形はこうってことですか?」
寒空に浮かぶのは春の星々。それがレオの想う夜空なのか。
「ええ」
車掌は窓辺に立つとレオがしたように三つの星を繋げて三角形を描く。
「レグルスは獅子の心臓と呼ばれる星ですね」
春の大三角を構成する星のデネボラよりも明るい星。獅子座の尻尾にあたるデネボラから少し離れた位置で輝く星、レグルスは獅子座の心臓にあたる場所で静かに瞬いている。
車掌はレオを見つめる。
「レオ様のお名前はあの星座に関係があるのですか?」
「たまたまですよ」
クエスチョンマークを裏返したような特徴的な形を持つ星座、獅子座。黄道十二星座の内のひとつでヘラクレスによって退治され、天に上げられた獅子だ。レグルスは獅子座の中で一番明るい星で一等星である。一等星ではあるが、他の一等星の中では最も暗い星である。
「俺は獅子のような迫力もないし、威厳もない」
車掌はレオを上から下まで見つめる。全体的にくたびれた印象の青年だ。髪は伸ばしたままで、服も薄汚れている。ズボンの裾は擦り切れ、靴も泥で汚れている。声音に力強さはなく、気だるげだ。食事のときは少しだけ明るい表情を見せたが、今は何にも興味がないような表情だ。
知的だが、疲れきっていて、諦めたような顔。レオの苦労が窺える。
百獣の王と呼ばれるような迫力はない。レオには悪いが、車掌の目にもそう見える。
「眠れる獅子だなんて言葉がありますが、俺には縁のない言葉です」
レオは嘲笑気味に吐き捨てる。
「本当にそうでしょうか?」
眠れる獅子。大きな力を持っていながら力を発揮できていない人物に対して使われる言葉だ。レオはくたびれて見えるせいか、だらしない印象を受けるが小綺麗にしていれば普通の青年だ。
車掌は夜想列車の乗客のことを把握している。それは、彼が周りからどう言われていたのかも把握しているということでもある。
「あなたは頭の回転が速い人なのではないですか?」
「頭の回転が速いだけではいけないと思うのですが」
レオの声音に怒りが含まれる。表情にもそれが現れ、眉尻がわずかに上がっている。
「知識があったとしてそれを使えなければ意味がない」
レオはコーヒーを飲み干すと深々と息をつく。
特別頭がよかったわけではない。学校での成績は確かに上の方だったが、所詮はテストの点数によるもの。日常でどこまで頭が働くかが勝負だと考えているレオにとって、他の成績上位者のことが理解できなかった。勉強はできるが、勉強したことを会話に織り交ぜて話すということはあまりなかった。それどころか、教科書を丸暗記しているだけの生徒もいた。
それを知識と言っていいのか。レオは疑問に思っていた。知っているだけではもったいないと思う。
「身につけたことを活かせなかった。それを後悔しているのですか?」
「後悔……までではありませんが、自分ならもっと上手くできたと思うことは多々ありました」
レオはテーブルの上の拳に力を込める。
「無能な人間の下につくのは本当に苦労する」
そのせいで多くが犠牲になった。レオにとって思い出したくない苦い記憶だ。
革命を。今よりもよい暮らしを望む同志が多くいた。その革命のリーダー代行は無能だった。本来のリーダーは捕らえられ、そのリーダーを助けようと動こうとしていたはずなのだが、代行はレオたちのような若者を使い捨ての駒のように扱っていた。徐々に代行に対する不信感が募り、組織から人が離れていってしまった。その間にも情勢が悪化しているにも関わらずだ。内部分裂している場合ではないのに、統率が取れなくなってしまった。
『お前が代行だったらなあ。レオにはその才があると思うのだが』
何度か言われた言葉だ。若いながらに先を見通す目を持っているのに、惜しいものだと先輩に言われたことがある。
眠れる獅子。リーダーが戻ったらきっと目覚めてくれるはず。そう言った先輩は代行の命令で争いの激しい中心の方に派遣された。そして、レオの前にその姿を現すことは二度となかった。頼れるリーダーの姿を見ることも叶わなかった。
「俺は眠れる獅子なんかじゃない。あの人たちこそ、上に立つに相応しい人だった」
頼れる兄貴分の先輩、思慮深いリーダー。だからレオは彼らを慕い、革命のために動いていた。代行のような自分のことしか考えていない者を慕い、尽くしたいとは思わない。
レオは星空を見上げる。獅子座の中で一番明るい星は一等星の中では暗い星。獅子の心臓と呼ばれる星のくせに他の一等星に比べれば暗い。獅子の心臓は静かに脈打っているように見える。覇気のない弱々しい鼓動だ。王を冠する名の星の癖に情けないと思う。
そして、それが自分にも重なる。
「俺に才能なんて……」
「期待されていたのですね」
「期待……。光栄なことですけど、結局俺は成し遂げられなかった。だからこの列車に」
レオは言葉を飲み込む。
あの時、ああしていれば。そんな後悔が胸中を占める。結局、後悔という言葉を使うと言い訳じみてしまい、嫌だから使わなかったのに、一番的確な言葉になってしまった。
見るからに気落ちしているレオに車掌は夜空色の目に輝きを宿す。
「私はレオ様の全てを知っているわけではありません。ですが、あなたはもっと胸を張って自信を持っていい方だと思います」
車掌は空になったコーヒーカップを手に取る。すると、コーヒーカップは消え、代わりに一枚の写真が手中に収められる。少し色の褪せた写真には五人の青年と中年の男性が一人写っている。車掌は写真をテーブルに置く。
「これは……」
「懐かしいですか?」
レオは震える手でその写真に触れる。左から二番目に写る青年は自分だ。くしゃくしゃな笑顔でカメラの方を向いていた。そのレオの肩を左から抱いているのはレオが最も慕っていた先輩だ。他の三人も歳の近い仲間で、中年の男性は革命のリーダーだ。思慮深いリーダーはレオのような下っ端に対しても気軽に接してくれた父親のような人だった。
「……これも、この列車だからですか?」
「はい」
レオは懐かしむように写真を撫でる。先輩の眩しい笑顔が懐かしい。
『なあ、レオ。あの星、何て言うか知っているか?』
先輩の声が甦る。先輩と一緒に寝転がりながら星を見ていた。春の少し寒い夜だった。春に芽吹いた草と少し湿った土の匂いが鼻をついたのを覚えている。瑞々しい草花は真っ直ぐ空に向かって背を伸ばし、そよ風に揺れていた。
『レグルス。獅子の心臓と呼ばれる星だ』
先輩は人懐っこい笑みを浮かべてレオを見た。レオはその星の名前を知っていたが、自慢げに言う彼に何も言えず、小さく頷くだけにした。
『いつか、リーダーがこの国の心臓部分になれるといいよな』
懐の深い、民人の父になってほしい。そのためにも俺たちも頑張ろうな、と彼は拳をレオに向けた。レオも大きく頷き、その拳に自分の拳をぶつける。力強いその拳にこの人についていこう、と決意を新たにした。
『レオは人を支える才能がある。だから、リーダーを、皆を支えてくれよ。俺は頭よくないから、お前みたいなのに戦略とかは任せる。今から考えておけよ。革命が成功したときに何をすべきか、何をしたいか。そのときが来たら、お前のその力を存分に奮ってくれ』
『俺にそんな才能は……』
『リーダーも褒めてたぞ? もう少し学んで、経験を積んだら、自分たちを支えるブレインになるって。本人は自覚していないし、今はまだ眠っているだけだってよ』
期待しているぞ、と彼は満面の笑みを浮かべた。その笑みは写真のものと同じ笑みだった。
レオは手の内の写真を握る。グシャと写真に皺が寄る。あのとき、彼に行かないでくれともっと強く言っておけばよかった。行くべきタイミングはあの時ではなかったのだ。あと数時間待てば、チャンスがあったはずだったのに。そうすれば彼はまた一緒に星を見てくれただろうに、彼は帰らぬ人となった。リーダーとも会えたはずだったのに、彼を救うことができなかった。
レオの頬を涙が一筋流れる。その涙が慕っていた兄貴分の顔の横に染みを作る。明るく笑う彼の顔が一層懐かしくなる。
「……以前、この列車に一人の男性が乗車されました」
車掌はレオから視線を逸らすように獅子の心臓を見つめる。空に浮かぶ心臓が一瞬強く脈打つ。
「その方もこの二号車にご乗車されました。自分には叶えたい夢があるが、それはもう叶わないと気落ちされていました」
レグルスの輝きが少し震える。瞬きが狂う。
「ですが、自分の可愛い弟分たちがきっと何とかしてくれると笑っていました。今はその才能が眠っているだけで、いつかきっと目覚めて心臓部分になるはずだと仰っていました」
その青年は朗らかに笑い、車掌さん、あの星を見てくださいとレグルスを指さした。
「いつまで寝ているんだかわからないけれど、心臓は間違いなく脈打っていますよね、と彼は仰いました」
「……」
レオは写真をテーブルに置くと小さく息をつく。
「……ごめんなさい、先輩。俺、遅かったですね」
「はてさて。その方はレオ様の知り合いとは言っていませんよ」
車掌は何のことやら、ととぼけるように言う。
「この流れで先輩ではないなんて、言わせませんよ」
レオの低い声はどこか機嫌が悪い。
「……ああ」
レオは宙を仰ぐ。
後悔。あの時ああすれば、もっと早く気がついていれば。そんな後悔が次から次へと溢れてくる。
願わくば、後悔のあの時に戻ってやり直しがきけば。何度も何度も思った。何度も何度も夢見た。
「俺は何もできなかった……」
蘇る記憶は残酷なものが多い。革命とは言うものの、やっていることは戦争だ。仲間だけでなく、関係のない人たちも巻き込まれた。革命のために多少の犠牲はやむを得ないと思わないとやっていけないような状況に追い込まれた。だが、本当はそんなことがあってはならないとわかっていた。犠牲は最小限にと思いつつも、レオは何かを成し遂げたと言える自信がない。
レオは手で視界を覆う。視界が暗くなり、列車が揺れる振動に身を任せる。
「何もかも、もう遅いんだ」
「……」
車掌は目を伏せる。彼の経歴をある程度知っている身からすると、彼が今まで歩んできた道のりの過酷さは知っている。だからこそ、彼の後悔がわかる。自分も同じ立場だったらレオと同じように激しい後悔に押しつぶされそうになってしまう。
「……レオ様。私がこのようなことを申し上げられるような立場ではないことは十分承知していますが、ひとつ」
車掌は静かに切り出す。
「あなたは何もできなかったと仰いましたが、あなたに救われた人がいることを忘れないでください」
車掌の囁く声にレオの身体が震える。
「多くの犠牲があったこと、あなた自身も思うように動けなかったこと……。あなたには多くの後悔があったと思います。その中でもごく一部ではあると思いますが、救われた方もいらっしゃいます。ですから、どうか、ご自分を責めないでください」
「……」
「あなたが何もできない人ならば、あなたを頼りにする人はいらっしゃらないと思います。後を託されるということは認められていたということ。心臓というのは身体の中でも大切な器官になります。心臓になぞらえられた方のことを、私は何もできない人間だと思えません」
『レオ。お前、この間大活躍だったらしいな。孤児院の子どもたちがお前宛てにって』
歳の近い同期から差し出された手紙の束。巻き込まれる前にと孤児院の子どもたちを避難させたレオに宛てられた感謝の手紙。拙い文字や絵にレオはどれほど勇気づけられ、頑張ろうと思ったことか。先輩にも褒められ、誇らしかったことをよく覚えている。
レオの口元が自然と弧を描く。いいのだろうか、という迷いはある。
それでも。
レオは身を正し、視界を覆う手を下ろす。潤んだ瞳には強い意志が込められた光が宿っている。
「寝坊してしまいました」
「……よく眠れましたか?」
「寝すぎてしまいました」
レオの声は震えている。
「もっと早く目が覚めていたらよかったのに」
レオは涙を拭い、星空を見上げる。
獅子の心臓と呼ばれる星は先ほどよりも強く輝いている。
百獣の王と呼ばれる獅子のような威厳は自分にはない。それなのに眠れる獅子と呼ばれる理由がわからなかった。だが、頼れる兄貴分の言葉を思い出すと、自分は人を支えるという道を選ぶべきだったと思い知らされる。
「俺、やり直せますか?」
後悔は消えない。ずっと引きずるだろう。それでも、前に進み、次に備える切り替えが大切になる。
「さあ。それは駅に着いてから先のことですから、私からは何とも言えません」
「そうですか。……あの、この写真、いただいてもいいですか?」
とても大切で、懐かしい、強くありたいと思えるものだ。
「どうぞ、差し上げます」
「ありがとうございます」
レオは車掌を見上げる。どこか気だるげだった表情は凛々しく引き締まり、瞳には強い光が宿っている。
「次こそは、上手くやってみせます」
志のある若者は芯のある声で宣言する。
「はい。私も楽しみにしていますね」
車掌は星空を見上げる。獅子の心臓は他の星々よりも強く輝き始めていた。寒空の下、獅子の目覚めが近いようだと車掌は頬を緩ませた。
遠く、冷たい空に浮かぶ獅子の心臓が大きく脈打った。これから強くありたいと願うように。
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