第106話 海上に咲く大輪の花の下で何を想う(2)

 家の前まで瑞希と一緒に下校してきた僕は「また明日」と言い、自宅の自転車置き場に自転車を止めてカーポートの方へ振り返った。

 カーポートにはこの時間にしては珍しく、父さんの車が止まっていた。

「そういえば瑞希のお父さんと釣りに行くっていってたっけ?」

 ふたりして休暇でも取ったのだろう。

 昨晩はニヤニヤしながら釣具の準備をしていた父さんの気持ち悪い姿を思い出した。

 この時期だとキス、アジ。磯から狙うハタといったところだろうか。

「ただいま。」

 いつもは自宅には無言で入るのだが、今日は家族が待っている自宅だ。

 そう思うと口から自然と帰宅の挨拶の言葉が出た。

「おかえり。」

 父さんの声ではない。

「あ、こんばんは。来てたんですね。」

 リビングにいたのは人懐っこい笑顔が印象的な瑞希のお父さんだ。

「お邪魔してるよ。」

 そう言った瑞希のお父さんは、満面の笑みをこちらに向けてくる。

 あぁ、これは面倒くさいやつだ。

 数回かしか会ったことはないが、この憎めない親父のキャラクターは何となく分かってきている。

 聞いてほしいんだろ?「釣れた?」ってさ。

「ごめんね〜。急に押しかけて。何しろさぁ。」

 父さんはキッチンか。

 大方釣れた魚を捌いている最中ということだろう。

 リビングの椅子に腰掛けた僕を追うように、瑞希のお父さんもソファからテーブルセットに移動してきて、僕の正面に腰掛けた。

「晃君は釣りはやるの?」

「はい。ちょっとだけ。」

 高校に入ってからはあまり釣りに行かなくなったが、中学の時はそれなりの頻度で行っていた。

 そうはいっても釣れれば何でも良い、いわゆる『五目釣り』ってやつだが。

「良いよね釣り。あの竿がぐぐぐって引き込まれる感触。たまらないよ。」

 瑞希のお父さんは興奮気味に、エアフィッシングで大物が釣れた仕草を僕に見せてきた。

 エアフィッシングの間も、瑞希のお父さんは期待を込めた視線を僕に送ってくる。

 しょうがない、聞いてやるか。

「今日は何か釣れたんですか?」

 待ってましたとばかりに、瑞希のお父さんの表情が明るくなった。

「いや、大したこと無いんだけど。」

 あ、これは「大したことある」やつだな。

「今日は速水さんに連れられて、砂浜、サーフっていうの?に連れてってもらったんだけど・・・。」


 ――ピンポーン。


 ちょうどその時、玄関のチャイムが鳴った。

「晃くーん、うちのお父さん来てる?」

 瑞希、グットタイミングだ。

「えぇー!今来るかな?!話し始めたところなんだけど。」

 瑞希のお父さんが泣きそうな表情を見せた。

「でも大したことない話みたいですし。」

「大したことあるのっ!」

 自分で言っちゃったよ、この人。

「一ノ瀬さんも話すことがたくさんあるみたいだから、瑞希ちゃんも上がってもらったらどうかな?」

 キッチンで魚を捌いている父さんが見かねて声をかけてきた。

「お邪魔します。」

 リビングに入ってきた瑞希は、テーブルセットでくつろいでいる自分の父親を見ると、大股で近づき腰に手を当て大きな溜息をついた。

「お父さん、家にいな居ないんなら居ないって言ってよね。夕飯作って良いのか分からないじゃない。」

 思いのほか強い口調の瑞希に、僕は一瞬呆気にとられた。

 そこにいたのは誰にでも優しく柔らかい雰囲気の瑞希ではなく、夫を叱る妻、もしくは子供を叱る肝っ玉母さんのような姿だったからだ。

「でも、会社の同僚と一緒にいたらさぁ・・・。」

「でも、じゃない。」

「だって速水さんが・・・。」

「だって、じゃない。」

 有無を言わさぬ瑞希の態度で、瑞希のお父さんはすっかり小さくなってしまった。

「はっはっは、一ノ瀬さんはすっかり瑞希ちゃんの尻に敷かれてますね。」

 キッチンから声をかける父さんはいつになく楽しそうだ。

「そうだ。夕飯の準備をしてないなら、うちで食べていったらどうかな?一ノ瀬さんが釣った魚もあるし。どうかな、瑞希ちゃん?」

 父さんの言葉を九死に一生を得たとみたのか、一ノ瀬さんもしきりに「そうしよう」と瑞希を説得している。

「もう、今日は許してあげるけど、明日からはちゃんと連絡してよね。」

 瑞希はまだ言い足りないことがありそうではあったが、ひとまず瑞希のお父さんは首の皮一枚繋がった感じだな。

「晃は今年も夏祭りは勇斗君達といくのか?」

 瑞希のお父さんが瑞希の怒りを何とか治めたタイミングで、父さんが僕に話しかけてきた。

「そうだね。あとは学校の友達も誘ってる。一応、瑞希も・・・。」

 親に交友関係を伝えるのが何となく気恥ずかしいのは、僕がそれなりに成長した証なのだろう。

「お父さん、浴衣ってこっちに持ってきてたっけ?」

 瑞希が僕の隣に腰掛けながら、斜向かいに座った自分のお父さんに声をかけた。

「どうだったかな?」

 引っ越しの時の記憶を辿っているのだろう、瑞希のお父さんが宙をみあげながら無造作に顎を触った。

「でも、持ってきていたとしても着れないんじゃないかな?去年あたりから随分成長したもんな・・・特に胸とか。ねぇ晃君。」

 ちょっと待って!マジでそういうのを振るのやめて!

「お父さん、最悪。気持ち悪いんですけど。・・・それと晃君もいつまでも私の胸を見てるのをやめて。」

「ち、違うよ。お父さんの言葉で気になっちゃったっていうか・・・気になってしまったっていうか・・・気になってみたっていうか・・・。」

 やばい、思考回路がおかしくなってて全く言い訳が思いつかない。

 当然のことながら、こんな状態でも僕の視線は瑞希の胸に釘付けだ。

「・・・スイマセン。」

 色々と諦めた僕は深々と頭を下げて平謝りをした。


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