第86話 幕間 〜 渡辺日菜乃
雨の次の日はぬかるんでいるため、グランドの状態が悪く、走るのには不適切だ。
グランドの状態は走るフォームに顕著に影響するため、バランスの悪い走り方をする部員にとってはいつも以上に疲れを感じる一日となるだろう。
「みんな、アップが終わったら集まって。」
各自の準備運動が一段落した段階で、部長がトラックの中央に部員達を集めた。
「今日は体験入部の人がいるよ。」
部長の簡単な紹介の後、体験入部の子、戸田咲希さんが軽く会釈をする。
「今の時期に入部って遅くない?」
「見てあの髪、あそこまで明るい茶髪ってありえないんだけど。」
ヒソヒソと会話する部員たちの声が風に乗って聞こえてきた。
「あ〜、そこ喋らないで。今日は3000から始めるよ。体験入部に負けるなよ。」
部長の指示に従って、トラックに集まる部員達。
部長が発破をかけたからか、いつもよりもみんなの表情が真剣だ。
私のようなハイジャンパーは長距離競技にムキになって走ることはないが、トラック競技の選手たちは自分をアピールする良い機会なのだ。
「よーい、ドン!」
部長の掛け声とともに、一斉にスタートを切る部員たち。
その中でも頭一つ飛び出たのは・・・戸田さん?!
戸田さんはスタートと同時にぐんぐんスピードに乗り、部員との距離を離していく。
「まさか、あのペースで走り切るつもり?」
「どうせすぐにバテてペースダウンするよ。」
戸田さんを揶揄するような誰かの声が聞こえてきた。
いや、きっとその「まさか」だ。
そう確信させるほど、戸田さんのフォームは綺麗で力強かった。
中盤で流していた私は、地面を蹴る足に力を入れ、一気に集団から躍り出た。
ハイジャンパーをやってはいるが、私は何気に長距離走も苦手じゃない。
「日菜乃?」
私の行動を見て気づいたのか、部長もペースを上げる。
その行動が集団のペースを引き上げた。
「え?ちょっとペース速すぎない?」
「ヤバい、ついていけないかも。」
何人かの部員達がペースについていけずに脱落していく。
無理もない。このスピードはインターハイでもない限りお目にかかる事がないペースなのだから。
しかし、戸田さんとの差は縮まっていないように見える。
もうちょっとペースを上げないと、抜くのは厳しいのかもしれない。
「ゴメン日菜乃、私もちょっとキツイかも。」
今度は長距離走者である部長が脱落した。
奇しくも戸田さんが言ってた通りになってしまったわけだ。
私が戸田さんに声をかけといて何だが、部の面子にかけて負ける訳にはいかない。
私はさらにペースを上げるべく、地面を強く蹴り、ストロークを大きくした。
残り500メートル。
あとちょっとで戸田さんの背中を捉えられる。
そう思った矢先に、戸田さんの走るペースがさらに上がった。
何なのこの子?!
捉えたと思った背中が、一気に遠ざかった。
信じられないことに、戸田さんはまだ余力を残していたのだ。
何とか意地で食らいついているものの、私には彼女を抜くだけの力は残っていない。
残り100メートル。
相変わらず戸田さんのペースは落ちることを知らない。
あと、10メートル。
このままゴールしてしまうのかと思った直後、戸田さんのペースが急激に落ちた。
結局、先にゴールしたのは私。
なんだか狐につままれたような気分だ。
「イタタタタ。」
片足を引きずるようにゴールした戸田さんは、トラックの中に座り込むと、スパイクを脱いで脹脛を擦る。
「こんなんで足が攣っちゃうなんて、完全に練習不足ですね。」
なるほど、最後のペースダウンは足が攣っちゃったというわけね。
戸田さんが初めて見せる笑顔は、どこか清々しい感じがした。
それにしても、あのペースで走っておいて練習不足って、この子どれだけ高いポテンシャルを持ってるっていうの?
「先輩には失礼ですけど、ハイジャンパーに負けるなんて、すごく悔しいです。」
勝った・・・と言えるかどうかは微妙だけど、とりあえず部の面目は保ったかな?
「あなた、すごいじゃない?!もちろん入部するわよね?」
3位でゴールした部長が、戸田さんに走り寄った。
「えっと、それは・・・。」
ゴールした部員達が次々と戸田さんの周りに集まり、いつの間にか人だかりができている。
困惑するような表情の戸田さんであったが、居心地が悪そうには見えなかった。
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