第76話 勉強会をしよう(7)

 ケーキを食べたあとにテスト勉強を再開しようかと思っていたが、僕の考えとは裏腹に、そのまま解散となってしまった。

 テスト勉強、特に英語に関しての不安が払拭できてはいないが、瑞希との「あ〜ん事件」に関してこれ以上冷やかされるのは精神衛生上良くないので、あえて引き止めるのはやめておくことにする。

「じゃあな、晃。」

 勇斗は遊んでばかりいたな。

「文系分野もしっかりやっとけよ。」

 大和みたいに頭が良ければ、僕だって苦労しないのに。

「瑞希ちゃん、ケーキご馳走様。」

 優愛はいつも幸せそうでいいなぁ。

 勇斗、大和、優愛の3人は、まだ騒ぎ足りないのか、玄関の外でも大きな声で話しながら僕の家を後にしていった。

「ところで瑞希さん。どうしてあなたは帰らないのかな?」

 僕と一緒に3人を見送った瑞希は、なぜだか靴を履く素振りも見せず、玄関で僕の隣に佇んでいた。

「晃君、英語の勉強が捗ってないんじゃない?」

 そう言った瑞希は呆れ顔だ。

「え?何で知ってるの?」

 僕はみんなの和には入らず自分の机で勉強してたから、間違いだらけの問題集は誰にも見られていなかったはずだけど。

「あれだけ必死に回答と見比べながらやってたら、誰だってわかるよ。」

 瑞希はそう言うけど、今帰った3人は全く気づいてない。

「英語だったら少し教えられるけど、一緒にやる?」

 瑞希の申し出はありがたい。この状況でひとりで勉強しても、撃沈する予感しかしない。

「ありがとう、すごく助かる。正直、途方に暮れてたところだよ。」

 僕は瑞希の両手を取り、強く握ると感謝を伝えた。

「ちょ、ちょっと!突然、手を握らないでよ。」

 真っ赤になって手を振りほどく瑞希。

 興奮して思わず手を握っちゃったけど、さすがにまずかったか。

「手なんか握っちゃって、ゴメン。嫌だったよね。」

 思わず優愛と同じような扱いをしてしまったけど、瑞希は幼馴染ではないのだ。いくら仲が良くなったと言っても、同様に扱ってはいけないことを気に留めて置かなければならない。

「嫌・・・って訳じゃなくて、突然だったからちょっと驚いちゃって・・・。」

 うつむいた瑞希の言葉は尻窄みとなり、後半はうまく聞き取れなかった。

「そんな事いいじゃない!それよりも早く英語を終わらせちゃおうよ。」

 当の本人がそう言うならいいけど、とても「そんな事」で終わらせていいような表情を瑞希はしてはいない。

「じゃあ、僕の部屋に戻ろうか。」

「それなんだけどさ、勉強はリビングでやってもいい?」

 部屋に促す僕を、瑞希が両手で制した。

「ほら、私達って、健全な高校生じゃない?そんな男女がふたりっきりで密室にいるなんて・・・ねぇ。」

 どうやらさっきの事で、ものすごく警戒されてしまったらしい。

「嫌、とかじゃないんだよ。ただご近所の世間体とか、色々とあるじゃない?」

 必死に言い訳をしてくる瑞希。でも家の中ので起こった事がご近所に広がるとしたら、瑞希か僕が言いふらすしかないんだけどな。

「分かった、分かった。準備するから、リビングで待っててくれる?」

 いくら瑞希が可愛いといっても、僕は美桜先輩一筋だし、そこまで警戒しなくてもいいと思うんだけど、やはり瑞希も女の子だから色々と心配なのだろう。

 僕は自分の部屋に戻り、英語の教材一式と瑞希の鞄をリビングへと持ってきた。

「コーヒーでも飲む?」

「ありがとう。でも紅茶があるならそっちがいいな。」

 遠慮がちに答える瑞希。

「じゃあ晃君、今回の試験範囲の過去完了の文法から始めようか。」

 僕は紅茶を瑞季の側に起き、渋々と正面の椅子に腰掛けた。

 教えてくれてありがたいという気持ちはあるのだが、苦手科目はどうしてもやる気が起きない。

 そのため、さらに理解できないという負のスパイラルに陥っている。

「英語っていうのは、簡単な文章の組み合わせだから、そんなに難しく考えなくていいんだ。」

 瑞希、それはできる人の感想だよ。

「過去完了は、ある時点まで継続していた行為や経験を表すんだけど・・・。」

 先生がそんな事言ってたという記憶はある。

「この例文なんかは分かりやすいよね。」

 瑞希が指差した例文を眺めながら、僕はコーヒーを口に含んだ。

 口いっぱいに広がる芳醇な香り。リラックス効果があるのか、すぐに眠気が襲ってきた。

 おかしい!コーヒーを飲んだら眠れなくなるんじゃないのか?!

「この例文の動詞の部分を置き換えると・・・って、晃君聞いてる?」

「き、聞いてます。聞いてますよ!」

 すいません、聞いてませんでした。

「じゃあ、この問題を解いてみようか。」

 溜息混じりで瑞希が「エクササイズ」と書かれた問題文を指差す。

「さっきの例文を応用するだけだから。」

「う、うん。」

 覚悟を決めて、ノートに英文を写す僕。

 その間にも瑞希は「過去分詞形が・・・」とか、「ここは助動詞が入るから」などと、学習ポイントを教えてくれた。

 そうこうしているうちに時計の針は17時を周り、太陽も随分と西の空に傾いてきた。

 繰り返し説明をしてくれたおかげで、何となく問題も解けるようになってきた。

「ありがとう瑞希。あとは自分で復習できそうだよ。」

 びっしりと書き連ねられた英語のノートを見て、僕は久しく感じてなかった充足感を覚えた。

「そうだね。晃君が頑張ったから、大分分かるようになってきたんだと思うよ。」

 まるで自分のことのように嬉しがってくれる瑞希。

「それでね・・・。」

 急に瑞希が顔を赤らめてうつむいた。

 いきなりどうしたというのだろうか?

「晃君に渡すものがあるんだけどね。」

 渡すもの?

 瑞希の表情からして、ただ事では無いことは安易に想像できた。

 瑞希がゆっくりした動作で自分のかばんを開け、中から一冊の雑誌を取り出した。

 裏表紙を上にして、取り出した雑誌をテーブルの上に置く瑞希。

「わ、私は良いと思うよ。こういうのはしょうがない事だし。」

 瑞希が意味不明な発言をする。

 わけも分からず、僕は瑞希の持っていた雑誌を受け取り、表紙を見た。

 瑞希が出した雑誌の表紙は、ショートボブの女性が下着姿で挑発するようなポーズを撮った写真。

 これって・・・エロ本?

 しかも見覚えがある・・・。

 これは・・・まさか?!

「晃君の部屋で優愛ちゃんが見つけて、私に渡してきたんだけど、その後すぐに晃君が部屋に入ってきちゃったから、慌てて自分のバッグに入れちゃって・・・。」

 やっぱり、これは僕のか?!

 本棚の奥にしまっておいたのに、何でこんなことになってるんだ?!

「ごめんね、返すタイミングが分からなくて。」

 できれば気づかないフリして、部屋に置いておいてほしかった。

「持って帰って、無かった事にしちゃおうかとも思ったんだけど、もしかしたら今夜困るかななんて思って・・・って、ヤダ私何言ってんだろ。」

 すいません、もう全て無かった事にしてもらえませんか?

「ゴメン、私そろそろ帰るね。」

 いたたまれなくなったのであろう。耳まで真っ赤にした瑞希が、早口でそう言って立ち上がった。

「う、うん。気をつけて。」

 この状態で瑞希と同じ空間にいるのは恥ずかしすぎると判断した僕は、お礼もそこそこに、瑞希を玄関まで見送り行くために席を立った。

「あれ?」

 荷物をまとめていた瑞希の手が止まる。

「どうしたの?」 

 どうやらスマホにメッセージが届いていたらしい。

「お父さんから・・・。」

 メッセージを確認した瑞希が、ばつが悪そうに僕の方を見た。

「お父さんから、クロダイが釣れたから晃君の家で待っているようにってメッセージが入ったてた。」

 この状況がまだ続くというのか。

 僕は頭に手を当てて、天を仰いだ。

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