第75話 幕間 〜 一ノ瀬正樹
岬の灯台からぐるりと回ると、磯に降りることができる。
小さな磯だし交通の便悪く「地元民だけが知る釣りの穴場」と速見さんが言っていた。
「速水さーん、釣れましたか?」
私はノンアルコールビールを足元に置いて、イソメを付けた仕掛けを投げた。
しなったロッドが“ビュッ”という鋭い音を立て、スピニングリールに巻いたラインを勢いよく送る。
はるか上空に放たれた仕掛けは、弧を描きながら下降し・・・足元に“ポチャン”と寂しい音を立てて落下した。
「一ノ瀬さん、45°ですよ。45°の角度に投げて!」
少し離れた場所から、速水さんがアドバイスをくれた。
結婚する前に行ったきりだから、釣りをするのは20年ぶりだ。
しかも付き合いで何回か行っただけだから、全くの初心者と言っていい。
「オモリの重みを感じながら、キャストの速度を上げてって、ロッドが45°ぐらいのになったら、指を離すんですよ。」
速水さんが熱心に教えてくれるが、そんなにすぐに上達するわけもなく、仕掛けは再度足元に落ちた。
「速水さんは、釣れましたか?」
先程、何匹か釣っていたなと思い、釣果を聞いてみる。
「メバルが何匹かと、カワハギが一匹釣れてますね。」
なるほど。どうやら魚はいるらしい。
私は再度ノンアルコールビールを喉に流し込んでから、速水さんを見た。
性格は全く違うが、速水さんとは馬が合う。
ゆったりとした空気。出会って間もないが気のおけない人と過ごす時間。
魚なんて釣れなくても、こういう時間を過ごすのはとても楽しい。
「心の栄養ってやつだな。」
時間に追われる東京での忙しない生活で久しく忘れていた感情に、私は少し温かい気持ちになった。
「一ノ瀬さん!引いてる、引いてるよっ!」
速水さんの声で我に返り、私は急いでロッドを立てた。
ロッドがしなり、ラインが勢いよく出ていく。
重い。かなりの大物のようだ!
「一ノ瀬さん、ゆっくりでいいから、慎重に糸を巻いていこう。」
近くに来た速水さんが、ランディングネットを手に取った。
前言撤回!やはり釣りは釣れた方が断然楽しい。
「もう少しだ。一ノ瀬さん頑張って!」
隣で速水さんも興奮している。
魚の姿が見えた!
「よし、そのまま。動かないで。」
ランディングネットを伸ばした速水さんが、魚を頭側から掬い上げた。
やった!結構大きいぞ。
年甲斐もなく興奮してしまう。
「凄いですよ一ノ瀬さん、チヌ・・・クロダイですね。」
速水さんが、30センチはありそうな黒色の鯛を見せてくれた。
「新鮮だし、刺身で食べたら最高ですよ。」
確かに、黒鯛を肴に日本酒で一杯なんて、考えただけでヨダレが出てしまう。
「速水さん、写真撮っても良いですか?瑞希に夕飯は作らなていいぞって送りたいんで。」
私は鞄からスマートフォンを取り出した。
「折角なので私が撮りますよ。一ノ瀬さんはクロダイの方を持って下さい。」
「記念撮影なんて、何だか学生に戻った気分ですね。」
「そのままSNSに上げちゃいますか?」
「それも良いですね。」
無論、私はSNSなどやっていないのだが、それを否定するほど無粋な性格はしていない。
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