第70話 勉強会をしよう(4)

 キッチンのカウンターの上に乗せられた電気ポットから水蒸気が立ち昇る。

 お湯が沸騰したのを確認した僕は、マグカップにインスタントコーヒーを入れお湯を半分ほど注いだ。

 スティックタイプの砂糖を2本入れて素早くかき混ぜ、冷蔵庫から出した牛乳を入れる。

 コーヒーが程よい温度になったのを確認した僕は、さっき焼き上がったトーストと一緒にトレーに乗せ、リビングのテーブルに移動した。

 南側に取り付けられたテラス戸から庭に差し込む朝日が見える。もう少し時間が経てば、リビングにも日が差し込むことだろう。

 トーストを一口頬張った僕は、先日美桜先輩が口にした言葉を思い返していた。

 先日の言葉というのは、美桜先輩と一緒に図書館で勉強をしたあとに口にした「私ね・・・」の事だ。

 会話の流れ、そしてあの雰囲気からして「私ね・・・」のあとに続くのは、「速水君のことが好きなんだ」であると僕は確信している。

 ヤバい、ヤバい。自然に顔がニヤけてくる。

 こんな表情を美桜先輩に見られたら、絶対に気持ち悪い人だと思われてしまう。

 僕は食器を片付けるついでに、冷水で顔を洗った。

 今日は、以前から皆と約束していた勉強会の日だ。

 あまりデレデレした顔をしていたら、何を言われるか分かったもんじゃない。


 ――ピンポーン。


 使った食器を洗剤で洗い、ちょうど水切りかごに並べていた時にチャイムが鳴った。

「おはよう。」

 一番乗りは瑞希だ。

 デニム生地のワンピースに薄手の白いアウターを合わせた瑞希は、まるでファッション誌から抜け出てきたモデルのように可愛らしい。

 僕は一瞬、瑞希に見惚れて言葉を失ってしまった。

「どうしたの?ケーキ買ってきたよ。」

「いや、隣の家に行くのに、随分とお洒落してくるんだなと思って。」

 僕の言葉を聞きき、瑞希が小さく溜息を付いた。

「・・・が、分かって・・・ないなぁ。」

 瑞希が何かを言ったが、よく聞こえなかった。

「何?よく聞こえなかったんだけど。」

 聞き返す僕に、瑞希は若干不満顔だ。

「別に。はい、ケーキ。冷蔵庫に入れておいてね。」

 不機嫌そうに、持っていた手提げ袋を僕に渡す瑞希。

「あ、うん。ありがとう。」

 瑞希が持っていたのは駅前にあるケーキ屋さん『ボヌール』の袋だった。

 『ボヌール』は最近駅前にオープンした小さなケーキ屋さんで、この街の出身であるパティシエ夫婦が切り盛りしている店だ。

 ボヌール店内のショーケースには色とりどりのケーキが並び、舌だけでなく目でも楽しませてくれるとクラスの女子達にも評判が良い。

「晃、入るよ〜。」

 チャイムも押さずに入ってきたのは、優愛と勇斗だ。

 どこかで待ち合わせてから来たのか、偶然会ったのかは分からないが、同時に到着した勇斗と優愛。

 昔から喧嘩ばかりしているふたりであるが仲は良く、何かというと一緒に行動している。俗に言う「気のおけない存在」ってやつなのだろう。

 勇斗の服装はカモ柄のイージーパンツにライトグレーのパーカー、優愛はスキニージーンズにシンプルな長袖のカットソーを合わせている。

 早い話が、ふたりとも普段と変わらない格好というわけだ。

「大和は・・・来てるわけないか。あいつは時間にルーズだからな。」

 勇斗の言う通り大和は時間にルーズ、というか全体的におおらかな性格をしている。初対面の相手に対して遅刻することは無いようだが、僕らの集まりで時間通りに来ることは稀。

 サッカーのピッチに立ったときの大和と普段との差は大きく、中には「そのギャップがかわいい」なんていう女子もいるから驚きだ。

「今日、親父さんは?」

 勇斗の問に対する答えを僕は持ち合わせていない。

 朝早くに出かけたのは知っているけど、男子高生と男親の関係なんてそんなもんだろう。

「晃くんのお父さんなら、私のお父さんと一緒に釣りに行ってるよ。」

 僕の代わりに勇斗の問に答えたのは瑞希だ。

「私のお父さん、晃くんのお父さんに釣りを教えてもらうんだって言って、昨日は珍しくお酒を飲まないで寝ちゃってたよ。」

 今の時期に漁港から投釣りするなら、アオリイカ、ワラサ、キス、アジ狙いってところかな。

 夕飯の準備をした後に「大漁だった」なんて言われたら悲惨なので、後で釣果を聞いてみることにしよう。

「立ち話も何なんで、皆さんどうぞ二階へ。」

 勇斗が僕の部屋へと皆を促す。

「ちょっと待て!なんで勇斗が仕切るんだ?」

「細かいことは良いじゃねぇか。優愛、行こうぜ。」

 家主の言うことなど聞かず、勇斗と優愛が階段を駆け上がる。

「おじゃましま〜す。」

 逆に、僕の様子を伺いながら階段に足をかける瑞希。

 どうやら今日のお客様の中で常識的なのは、瑞希だけらしい。

「先に部屋に入ってて。飲み物持っていくから。」

 小学生の時から変わらない勇斗と優愛に若干呆れつつも安心感を持ち、僕は自然と口角が上がるのを感じた。

 冷蔵庫から冷えた麦茶のボトルを出して、コップと一緒にトレーに乗せる。

 瑞希の持ってきたケーキは少し勉強をしてから出すことにして、代わりにキッチンにあったクッキーのパーティパックを手に取った。

 最初にやるのは優愛の数学の特訓だな。勇斗の古文と漢文は勝手に勉強してもらうとして、僕が不安なのは英語だ。

 早く大和が来てくれると助かるんだが・・・。

 今日のスケジュールを考えながら、自分の部屋の前に立つと部屋の中から賑やかな声が聞こえてきた。

「瑞希ちゃん、これ持ってて。こういうのはベッドの下が一番怪しいんだから。」

「優愛ちゃん、そういうことしちゃダメだって。」

「いやいや、今はデジタルの時代だぜ。俺はPC内のフォルダが怪しいと思うね。」

「勇斗君も勝手にいじっちゃ怒られちゃうよ。」

 ・・・あいつら、何をしているんだ?

 勢いよくドアを開けた僕の目に飛び込んできたのは、ベッドの下を覗き込んでいる優愛と、PCの電源を押した状態で固まっている勇斗。

「久しぶりに来たから、晃の嗜好を確認しようと思って・・・。」

 優愛、それ言い訳になってないから。

「俺はPCのセキュリティチェックを・・・。」

 今、一番プロックしなければならない驚異は、お前だよ勇斗。


 ――ピンポーン。


 僕が口を開こうとした瞬間にチャイムが鳴った。

「晃〜。来たぞ〜。」

 玄関から聞こえる大和の声。

「あ、大和が来たみたいだぞ。」

「待たしちゃ悪いから、早く行った方が良いよ。」

 乾いた笑いと共に、僕に対応を促す勇斗と優愛。

 ふたりとも、次は無いからな。

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