第36話 彼女は台風の目(3)
結局、瑞希の機嫌を治すことはできないまま、ズルズルと時間だけが経過し、放課後を迎えてしまった。
恋人同士ではないのだから「ゴメン」っていうのも違う気がするし、どうやって改善すればいいのか分からないというのが正直なところだ。
こういう時に勇斗や大和ならうまく立ち回る事ができるのだろうが、あまり恋愛経験の豊富ではない僕は、異性の感情の機微を感じ取るなどという器用な真似などできやしない。
下足に履き替え、昇降口から外に出ると、春の眩しい太陽が目に入ってきた。
暖かな日差し、雲ひとつない空。
この上ない春のひとときを台無しにするのは、両手に持った満杯のゴミ袋。
今日は不運なことに、ゴミ捨てじゃんけんに負けてしまい、校舎の裏にあるゴミ捨て場所へ教室で出たゴミを捨てに行くところだ。
「いちいち干渉しないでって言ってんの!」
突然大きな声がして、小鳥が飛び立った。
体育館へと続く渡り廊下の横を歩いていたとき、中庭の方から聞き覚えのある声が聞こえてきたのだ。
声のトーンからして、誰かと言い争っているようだ。
「咲希ちゃん、どうしたの?」
トラブルなんかに首を突っ込みたくはないが、彼女とは知らない間柄ではない。僕は仕方なく、相手が強そうな男でないことを願いつつ声をかけた。
相手の姿は中庭の桜の木に隠れて見えないが、どうやら複数人を相手にしているわけではなさそうだ。
振り向いた咲希ちゃんの目は赤かった。
「晃先輩には関係ありません、どっか行ってもらえませんか?」
無造作に目を擦り、そう言い放つ咲希ちゃん。
うっ・・・。
それほど深い間柄じゃないから、しょうがないんだけれど、その言い方は胸に突き刺さるものがあるな。
「咲希、先輩に向かって、そういう言い方はないんじゃないの?」
桜の影から聞き覚えのある声がした。
「お姉ちゃんは黙ってて!」
お姉ちゃん?
肩の下まで伸ばした艷やかな黒髪、はっきりとした二重の大きな目、少し小さな鼻と口。凛とした立ち姿。
桜の木の影から姿を見せたのは、咲希ちゃんの姉である戸田美桜先輩だった。
美桜先輩は、僕の顔を見て少しだけ‘‘ハッ’’っとしたような表情を見せたが、すぐに笑顔に戻り僕に軽く会釈をした。
「妹が失礼しました。はじめまして。私は咲希の姉で、美桜といいます。」
み、美桜先輩が僕に話しかけている!
僕は感動のあまり数秒の間、思考がストップしてしまった。
両手にゴミ袋を持って立ちつくすなんて、きっと美桜先輩の目にはとてつもなくアホな後輩に見えていたことだろう。
「あのっ、僕は速水晃、2年生です!」
やっとのことで正気に戻り、必死にひねり出した言葉が自分の名前だけ。気の利いた言葉ひとつ言えなかった。
「とにかく、私は私の好きにやるからね!」
そう言って、突然、走り出す咲希ちゃん。
「咲希、待ちなさい!」
静止しようとした美桜先輩の手が、虚しく空を掴む。
何があったか詳しいことは分からないが、あまりよろしくない事態であることは理解できた。
「僕、追ってきます。」
このままではいけない。
そんな直感が頭をよぎり、僕は両手に持っていたゴミ袋を中庭に放り、咲希ちゃんが向かった方向に走り出した。
背中側から「お願いします」という、いまにも消え入りそうな美桜先輩の声が聞こえてきた。
「もしかしたら、もう学外に出たかもしれないな。」
咲希ちゃんが走り去った方向には東門ぐらいしかない。
そう思った僕は弓道場の横を通り抜け、自転車置き場に置いてある自分の自転車に鍵を差し込み、ペダルを漕いだ。
さて、咲希ちゃんはどっちだ?
学校の門を出た僕は左右を見渡すが、咲希ちゃんの姿は見当たらない。
海沿いの道を進めば、学校から見つけられるだろうから、北側の坂を登った可能性が高い。
学校の横の坂道を登れば駅前商店街に到着する。賑やかな所が好な咲希ちゃんが行きそうな場所だ。
僕は咲希ちゃんが商店街方向には進んだと予想を立て、自転車のペダルを踏み込んだ。軽い坂道が両足に負荷をかける。
学校の北側には数件の梅農家があり、そこを抜ければ住宅街だ。
自転車を飛ばして梅農家の間を駆け抜ける。住宅街に差し掛かるあたりで、徒歩の咲希ちゃんにはすぐに追いついた。
「咲希ちゃん、待って!」
一度振り返ったが、すぐに前を向き早足で歩き続ける咲希ちゃん。
「ちょっと待ってってば!」
咲希ちゃんに追いつき、僕が自転車を降りたのを確認すると咲希ちゃんは足を止めた。
「なんですか?晃先輩には関係ないですよね?」
僕の方に向き直った咲希ちゃんに、不機嫌さを隠す様子は見られない。
そんな咲希ちゃんの顔を見て、僕は「美人が怒った顔って、ほんとに怖いんだよな」などと不謹慎なことを思ってしまった。
「関係ないなんて言わないでくれよ。咲希ちゃんが心配だったんだ。」
咲希ちゃんと僕の目が合う。
「なんですかそれ、もしかして口説いてます?」
溜息混じりの咲希ちゃんの言葉で、僕は自分がとても恥ずかしいことを言ったことに気がついた。
「違う違う!全然そういうんじゃないから!」
慌てて手をブンブン振りながら、僕は自分の言葉を否定した。。
「別に、どっちでも良いですけどね。」
僕の横を歩く咲希ちゃんは至って普通だ。こんな事で動揺してしまう自分が逆にはずかしい。
「歩くの疲れちゃいました。そこ、乗せてくれます?」
咲希ちゃんが言う「そこ」とは、僕の自転車についているハブステップの事だ。
「それとも誰かの指定席ですか?」
一瞬、瑞希の顔が浮かんだ。しかし「誰かを乗せるな」とは言われてないし、咲希ちゃんを乗せても別に構わないだろう。
「晃先輩。突然ですが、何かを奢ってもらう約束は今日にしますね。」
そんな約束してないし!
「せっかくなんで、市内の駅ビルまで行きますよ。」
咲希ちゃんがハブステップに飛び乗った。
どうやら断ることはできなそうだ。
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