彼女は台風の目

第32話 彼女は台風の目(1)

 海風を切りながら颯爽と下り坂を自転車で下りる。

 交通量も少なく見晴らしの良いこの坂は、昔から僕達の小さなサーキット場だった。

「風が気持ちいいね。」

 僕の自転車のハブステップが登校時の定位置となった瑞希が、目を細めながら言った。

 風になびく彼女の髪はどこまでも軽く、そして美しかった。

「ねぇ!あれって優愛ちゃんじゃない?」

 瑞希が、海沿いの道を走る白いマウンテンバイクに乗った少女を指して言った。

 テトラポットで弾ける白波をバックに、マウンテンバイクが女子高生が扱っているとは思えないくらい速いスピードで走り去っていく。

 さすが現役バスケ部。瞬発力なら陸上部にも引けを取らないだろう。

「優愛ちゃーん!」

 瑞希が声をかけるが、優愛が気づいている様子はない。

「あーん、どんどん差がついちゃう。」

 そりゃそうだ。

 あちらは本格的なマウンテンバイク。対してこちらは量販店のママチャリ、しかも二人乗り。追いつける要素が見当たらない。

「もっと速く。優愛ちゃんが行っちゃうよ。」

 いやいや、追いつくの無理だから。

 そうこうしているうちに、優愛の姿は見えなくなってしまった。

 黒潮の流れの影響で、この街に面した海岸の波は高い。

 台風の時などは、この道路は高波に暴露されるため、通行止めになるほどだ。

「なぁ、瑞希。」

 僕は今朝から言わなければならないと思っていた事を言うために、瑞希に声をかけた。

 言わなければならない事とは、ちょっとしたお礼なのだが、恋愛初心者の僕には、その「ちょっとしたお礼」さえも伝えるのが難しい。

「なあに?」

 瑞希が僕の肩越しに、顔を近づけてきた。

 ち、近いって!

「その、アレだよ。」

「何?アレじゃ、分かんないよ。」

 察しろよ!・・・ってさすがに無理か。

「オムライス、ごちそうさま。美味しかったよ。」

 は、恥ずかしい。

 一言、お礼を言うだけなのに、こんなにも恥ずかしいとは思わなかった。

 両頬が熱い。『顔から火が出そう』とはこういうことかと実感する。

「ホント?嬉しい。うちのお父さんがね、お礼に夕飯を作れって煩くて、迷惑かもって不安だったんだ。でも、晃君のお父さんも喜んでくれたんだよ。」

 瑞希はなんだか嬉しそうだ。

「じゃあさ、また作ってあげるよ。晃君は全然料理しないでカップラーメンばっかり食べてるって、晃君のお父さんが言ってたし。」

 あのオヤジ、僕の食生活をバラしやがったな。

「そんな・・・悪いからいいよ。」

 さすがにそこまでしてもらうのは、気が引ける。

「自転車に乗せてもらってるお礼って事で、いいんじゃない?」

 まあいいか。どうせ、社交辞令だろうし。

「学校には慣れたのか?」

「転入してまだ3日目だからね、まだまだ慣れるには時間がかかりそう。」

 瑞希が視線を前に向けた。瑞希の目には、まだ視界に入ってきていない校舎が見えているのかもしれない。

「その割には、随分とクラスに馴染んでるように見えるけど。」

 僕の言葉に瑞希は「馴染んでるように見えるか」とだけ言い、口を噤んでしまった。

「お〜い、晃ぁ〜。瑞希ちゃ〜ん。」

 沈黙を破ったのは、後ろから聞こえる気怠そうな声だった。

 振り返らなくても分かる。この声の主は勇斗だ。

「今日は早いな。」

 勇斗といえば「遅刻寸前に自電車を鬼漕ぎして校門をくぐる人」というのが代名詞なのに、今日はチャイムまで随分と余裕があるようだ。

「まあね。たまには早いときもあるさ。」

 自慢にならない事を言ってる勇斗が、なぜだかドヤ顔だ。

「目覚まし時計が狂ってたとか?」

 瑞希が‘‘ピンときた!’’と、言っているかのような顔をした。

「そうそう、なぜだか電波時計が狂ってて・・・そんな訳、あるかい!」

 勇斗得意のノリツッコミが炸裂。

「最近、亜美が煩くってさ。」

 亜美というのは、勇斗の妹の事だ。

「確か今年から中学生だったっけ?」

「そうそう。まだまだガキなのに、口ばっかり達者になっちゃって。今日も「毎日遅刻寸前だなんて信じられない。もっとちゃんとしてっ!」なんて言うんだぞ。」

「勇斗と違って、亜美ちゃんはしっかりしてるからな。」

 亜美ちゃんとは最近会っていないけど、勇斗の家に行くと必ず後をくっついて来るのが可愛かったと記憶している。

「そうだ!昨日一緒にいた後輩の女の子誰だよ?!」

 勇斗が自転車から身を乗り出して聞いてきた。

「一緒にいた後輩の女の子?」

「そうだよ!ゲーセンから出てきて、そのままスタボに入ってっていっただろ?」

 『スタボ』とはシアトル系のアレンジコーヒーを出すチェーン店で、最近駅前にできた人気店だ。

「そうそう!凄い偶然なんだけどさ・・・。」

 奇跡的なことが起こったと勇斗に報告をしようとしたとき、肩に乗せられている瑞希の手が、凄い力で僕の肩を掴んできているのに気づいた。

「瑞希?ちょっと肩が痛いんだけど・・・。」

「ねぇ、晃君?」

 あ、ちょっと後ろを見るの怖いかも。

「私と一緒に部活に行ってくれなかったのに、いったい何をしていたのかなぁ?」

 ま、まずい!

 勇斗!助けろ!

 僕は勇斗にアイコンタクトをした。付き合いの長い勇斗ならきっと理解してくれるはずだ。

 勇斗と目が合った。

 無言で頷く勇斗。

 頼むぞ、お前だけが頼みの綱だ。

 ‘‘ゴクリ’’と唾を飲み込む音が耳の奥で響いた。

「じゃ!俺、先行くわ!」

 右手を軽く上げ、いつも以上の速度で自転車を漕ぎ出した勇斗は、あっという間に小さくなっていった。

 う、裏切り者ー!

「晃く〜ん、ゆっくり話を聞かせてね。」

 耳元で囁く瑞希の声が悪魔のそれ聞こえたのは、僕の耳がおかしくなったせいではないだろう。

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