第31話 交錯する想い(8)
テレビの前のソファから聞こえる一ノ瀬さんの陽気な声を聞きながら、僕はテーブルの上に準備されていたオムライスを口に運んだ。
少し濃い味のチキンライスを薄焼き卵で巻いた、昔ながらのオムライスだ。
懐かしい味。母さんが作ってくれたオムライスと同じ味だ。
野菜炒めや目玉焼きしか作らない父さんがオムライスを作るなんて・・・。僕は明日雨になるんじゃないかと、本気で心配になった。
「お風呂、ありがとうございました。」
リビングに入ってきたのは、淡いピンク色のスウェット姿の瑞希だった。
瑞希が脇に抱えたスポーバッグからは、シャンプーとトリートメントだと思われるボトルが2本顔を出している。
男である僕の感覚では、わざわざ自宅のものを持参しなくても、あるものを使えばいいのにと思ってしまうが、きっと女の子というのは身の回りの様々なものにこだわりがあるのだろう。
見えるわけがないのに、ボトルの隙間からスポーツバッグの中身が見えないか凝視してしまうのは、哀しい男の性なのだろう。
「お風呂の形も、うちと一緒なんだね。」
瑞希がこちらを見て微笑んだ。
僕は先程の脱衣所での出来事を思い出し、顔が熱くなるのを感じて、瑞希から目を逸らした。
そんな僕の気持ちを知ってか知らずか、僕の正面の椅子に腰を下ろす瑞希。心なしか瑞希の頬が朱に染まっている気がするのは、きっとお風呂に入った影響であろう。
瑞希のシャンプーの甘い香りが鼻腔をくすぐる。
きっと瑞希が使っているのはいつもと同じシャンプーなのであろうが、お風呂上がり、とりわけドライヤーで乾かしたあとの髪からは強く香りが漂う。
例え僕が同じシャンプーを使ったとしても、こんなにもいい香りにはならないだろう。
別に僕は匂いフェチではないのだが、男性と女性とではどうしてここまで匂いが違うか疑問に思ってしまう。
瑞希と目が合った。
考えていたことが見透かされているように感じ、僕は照れ隠しにオムライスを口に掻き込む。
口いっぱいに広がるケチャップの味。
よく料理番組で特集される、ドミグラスソースのオムライスなんかよりも、ケチャップの酸味が効いた昔ながらのオムライスのほうが僕は好きだ。
「オムライス、美味しい?」
突然、瑞希が料理の感想を聞いてきた。
「まあ、美味いよ。」
「ふ〜ん。」
頬杖をつき、どことなく嬉しそうに僕を見る瑞希。
何なんだいったい。
「お父さん、ご迷惑になっちゃうから、そろそろ帰るよ。」
急に椅子から立ち上がり、瑞希は一ノ瀬さんに帰宅を促した。
「もうちょっとだけ、どうせ帰る家は隣なんだし、少しぐらい遅くなっても良いじゃないか。ねぇ、速水さん。」
大抵の酔っ払いは質が悪い。これじゃ、どっちが子供なんだかわからないな。
「だ〜め、これ以上ご迷惑はかけられない。」
「そんな〜。」
大の大人が女子高生に叱られる姿は滑稽なものがあるが、母親のいない一ノ瀬家では、きっとこの状況が普通なのであろう。
「もう一杯、もう一杯たけ。なっ。」
そういえば、瑞希のお母さんはいったいどうしたのだろう。僕の母さんと同じく亡くなったのか、それとも離婚か?
もしかしたら、何かの都合で東京に残っているだけかもしれない。
あまり詮索するのも良くないと思い、話題に出さないようにしているが、機会があったら聞いてみることにしよう。
「それじゃ、ありがとうございました。」
ようやく一ノ瀬さんを立たせた瑞希が、スポーツバッグを脇にかかえ、リビングの入り口で頭を下げた。
「玄関まで送るよ。」
僕は手持ち無沙汰にいじっていたスプーンを食器の上に置くと、急いで椅子から立ち上がった。
「うん、ありがと。」
いつもの制服と違うラフな格好の瑞希が、上目遣いで僕にお礼を言う。
お風呂上がりのせいなのか、瑞希の目がやけに潤っていて色っぽい。
鼓動が少し早くなっているのは、見慣れない格好のせいだと僕は自分に言い聞かせた。
「それじゃ、また明日。」
「うん、また明日。」
玄関で小さく手を振る瑞希。
少しさびしい音を立てて玄関の扉が閉まった。
「さてと、食器でも片付けるかな。」
時間が経ってしまうと面倒になってしまうので、そうなる前にテーブルの上にある皿とスプーンを僕はシンクに運んだ。
あれ?
シンクにはケチャップの付いたお皿が、既に3つ置かれてあった。
「父さん、これって。」
僕はソファでテレビを見ている父さんに声をかけて、シンクを指さした。
「あぁ、晃が帰ってくるのが遅かったから、先に皆でご飯を食べたんだよ。」
「皆でって?」
「私と一ノ瀬さん、それと瑞希ちゃんに決まってるだろ?」
え?瑞希がうちでご飯?
何で?頭がついていかないぞ。
「瑞希ちゃんの作ったオムライス、美味かったな。」
テレビのリモコンを操作し、夜の情報番組にチャンネルを合わせながら父さんが言った。
「瑞希が作ったの?!」
もう訳がわからない。
「当たり前だろ?父さんはオムライスなんか作れないぞ。」
話を聞いていて、頭が痛くなるのを感じた。
瑞希が作ったと知っていたら、お礼くらい言ったのに。
「母さんの味に似てたな。」
一瞬だけ寂しそうな表情をする父さん。
「そう・・・だね。」
僕は一言だけ言葉を返し、口をつぐむ。
それきり会話は途切れ、リビングには食器を洗う音と、陽気なキャスターの声が響いていた。
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