28

「うぅ……っ」


 リヒトの意識は、ふいに浮上する。目を覚まして初めに分かったのは、顔に掛かるふわふわとした感触。


「……フェンリル?」


 未だにぼんやりする頭で、しかし思い当たるものに至り声をかけた。すぐ下で、リヒトの呼びかけに呼応するように狼の声が響いた。

 ゆっくりと起き上がり、リヒトは自分が乗っているものに目を向ける。それは、リヒトが幼少の頃より契約していた使い魔の狼『フェンリル』だった。


「君が助けてくれたんだね……ありがとう」


 抱き締めるようにして顎を撫でると、フェンリルは目を細めて喜ぶ。

 ずっと屋敷に閉じこもっていたリヒトにとって、フェンリルは唯一の友達だ。それでも、出ている間は契約しているリヒトの魔力を常に消費する為、リヒト側から呼ばない限り現れないのだが。


「うわぁ……あんなところから落ちたんだ」


 目を凝らさないと分からないほど遠くに、自分が落ちたであろう穴が見える。身体の頑丈さには自信があるが、さすがに無事では済まない高さだろう。フェンリルはリヒトを助ける為に、自らの意志で出てきたのだ。


「本当にありがとう」


 ブルルッ、と誇らしげに鼻を鳴らして、フェンリルの姿は空気に溶けていく。それを見届けてから、リヒトは周囲を探索した。


「動かないかぁ……」


 エレベーターのようなものを見つけたが、どうやら電源が落ちているらしい。分からないなりに弄ってみたが、うんともすんとも言わなかった。

 自分が落ちた穴は、恐らくこのエレベーターが通るはずだったのだろう。これさえ動かせれば、皆と合流できると思ったのだが……。


「おーい!!」


 天井に向けて叫ぶ。声が反響する。……それだけだった。上にいる三人からの返事は、いくら待っても来ない。


「ぅ……ぁああ……ん」

「えっ?」


 場が、シンとした時。リヒトの後ろにある扉の先から、かすかに声が聴こえた。耳を澄ませてみる。……やはり聴こえる。それは小さな女の子のようなーー。


「まさか!?」


 思わず扉に向き直る。聞き覚えのある声。誘拐されたミナの声にそっくりーーいや、恐らく本人だろう。確信めいた予感があった。


「早く助けなきゃ……あっ」


 そこにあったのは。さっき見つけたものと全く同じ、カードキーか魔力認証で解錠する装置だった。気が付いた途端、リヒトの動きは止まる。息が詰まる。呼吸を忘れて、思い出して。ごくりと、唾を飲み込んだ。


「……。……」


 震える手で、リヒトは魔力認証の装置へ手を翳しーーピッ、と無機質な音が、やけに耳に響いた。……扉は、開いた。


「……ダメだ。今、こんなことを考えてる場合じゃない。……はやく、助けなきゃいけないんだから」


 早鐘を打つ鼓動。心臓を握り潰すように、胸に当てた手を握った。目を閉じて深呼吸をして、目を開けて。そこまでして、ようやくリヒトは扉の先へと足を踏み入れた。


「……あっ。そうだ」


 リヒトは自分の持っていた杖を、扉の隙間に挟み込むように置く。自動的に扉が閉まらないための措置だ。今のところ、ここを開けられるのは自分だけだ。皆がやってきた時に通れるように、と。

 本当なら、魔物がいるかもしれない場で魔力増幅用の杖を失うのは悪手かもしれない。が、それで合流したくとも出来なくなる可能性を考えたら、それしか対策を思いつけなかった。

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