17
* * *
「エリシアちゃん、そんなに落ち込まない方がいいよ」
「……すみません」
部屋に戻った四人は、なんとも言えない空気の中にいた。
エリシアはベッドに腰かけて、擦り寄ってくるフイの頬を撫でる。浮かない顔だった。
「でも……エリシアさんは聖堂にいたんだから、落ち込むのも仕方ないですよ。あの人達、何だか、こう……冷たく感じましたし」
「……」
「まぁ、向こうにも事情はあるんだよ。実情として、納金額の増減なんかが環境に左右されることはあるだろうしね」
ーーあんまり、見ていて気持ちの良いやり取りではなかったけどね。そうリヴェルは続けた。
「……たった三日で、お金を捻出するなんて出来るのかな」
「……」
「先月の分を用意できたのも、つい最近って……。それなのに」
「……」
ルウクはエリシアの、どんどん俯いていく顔を見つめる。彼女の手の中にいるフイが、少し悲しそうに、きゅう、と鳴いた。
「……正直、難しいんじゃないかな。お金を稼ぐ方法は限られてるし、それを実行するのにもある程度のお金、もしくは魔物を戦えるぐらいの力が必要だから」
言いにくそうに、しかしリヴェルはハッキリと事実を伝える。エリシアはピクリと肩を震わせた。
(……泣くんじゃないのか)
内心、ルウクは心配していた。幼い頃の彼女が、ひどく泣き虫だったことを知っているから。だから、宿屋の主人に同情した彼女が泣くのではと思った。
が、次に顔を上げたエリシアは、決意をしたような強い眼差しを持っていて。ルウクは、何も言わないまま、僅かに目を見開く。
「あの! み、みんなが良ければ、なんだけれど。私、少しなら自分のお金を持っているの。だから、これをーー」
「それは……止めた方が良いと思うな」
「っ……」
「……エリシアちゃん。オレだってさ、本当は君のやりたいことを出来るだけ叶えてあげたいんだ。でもね」
リヴェルはエリシアから視線を外して、窓の外を眺める。
「一回、そういうことをしたとするよ。エリシアちゃんのお陰で、その人は確かに助かるとする。……でも、それだけじゃ終わらないんだ」
「……」
「もし、さ。また別の人が、エリシアちゃんに助けを求めたらどうする? また、同じようにお金をあげる?」
「……はい」
「じゃあ、何度も何度も、そういうことが起きて。いつしか、エリシアちゃんのお金は無くなってしまいました。ーーそして、またお金に困っている人が現れたら? エリシアちゃんに助けを求める人がいたら?」
エリシアは悲しそうに眉を潜めて、唇をぎゅっと結ぶ。リヴェルの言いたいことを、もう察しているのだろう。
「それで、エリシアちゃんは本当に、本当に辛い思いで、助けを求める人に『ごめんなさい』をした。すると、どうだ。……その謝罪を聞いた人は、叫ぶんだよ」
リヴェルは優しい声色で、けれど厳しい言葉を、エリシアに突きつける。
「『なぜ、助けてくれないんだ』。『他の人のことは助けたのに』。『なぜ、自分のことは見捨てるんだ』ーーって、ね」
「……っ!」
「人ひとりが出来ることには限界があるんだ。それを考える前に、大きなことをしようとしない方がいい。特に……人の人生に関わることはね」
両手を広げて。その範囲で、出来ること。自分に出来ること。それ以上のことを、しない方がいい。求めない方がいい。リヴェルはそう、エリシアに言った。
「エリシアちゃんの、見知らぬ人でも助けたいって気持ちは立派だし、出来る限りオレも協力したいよ。……でも、そう。『出来る限り』でしかないんだ。それ以上でも、それ以下でもない」
「……」
「だから、ね。何か大きなことをやる時。そんな考えが浮かんだ時。それがもし、自分だけじゃなくて、他人に関わることだとしたら。ーー誰かの人生に影響を与えることの意味を、少し考えてみて欲しいんだ」
「……はい。ごめんなさい……」
「よし」
リヴェルは頷いて、少し散歩に行ってくると言い残し出て行った。
沈黙に支配された空気は、喉奥に何かが詰まったような感覚で、とても居心地が悪い。しかしルウクは何も言えずに、ただそっとエリシアを観察する他なかった。
「あの、さ。エリシアさん。もし良かったら、僕も協力するよ。一緒にお金を出せば、それぞれの負担は半分で済むし」
「……え?」
「リヴェルさんの言葉は、もっともだと思う。でも、もし一人の手で足りないのなら二人でやればいいんじゃないかって、僕は思うんだ」
リヒトの声や表情は、決してエリシアを慰めたいがために言っているようなものではなかった。彼は本気で、協力すればいいと提案しているのだ。
「ーーそれでも、いつかは足りなくなるだろうけれど。一人でやるよりもずっと、多くの人を助けられる。……罵倒を受けることになっても、辛い気持ちだって分けられるから」
「リヒトさん……」
エリシアは驚いた様子でリヒトを見て、しかし考え込むように俯く。彼女の両手に包み込まれたフイが、どこか心配そうに見上げていた。
(綺麗事だ)
ルウクは、リヒトの言葉に心からそう思う。名前も知らない他人の為にという点もそうだが、まだ出会ったばかりであるリヒトが、エリシアにそこまでする理由もないように感じられたからだ。
(どうしようもないほどのお人好しか?)
さっき、この村の人間に石まで投げられていたのに。もしルウクが同じ立場であれば、少なくともこの村の為に金の無心などしたくない。ーー勝手に苦しんでいろ、とすら思うかもしれない。
……それに。ルウクは、リヴェルの言葉に思うことがあった。
「ねぇ、君だってそう思うだろ?」
「……」
「ルウク……ルウクは、どう思う?」
二人の視線が、ルウクに注がれる。それから逃れるように、窓の外へと顔を向けた。……先程あったことを知らなければ、とても静かで、のどかな風景だ。
「…………やめておけ」
「どうして?」
「……。結局、いつか限界が来ることは変わらない」
「それでも放っておけないならどうするのさ」
「……」
「……はぁ、そうだよね。君は他人のことは、どうでも良さそうだもんね。そもそも僕らの感覚が理解できないのも当たり前か」
ルウクが無言で返すと、リヒトは少し苛立ったように言った。
「リヒトさん、それは」
「他人のことなんてどうでもいい。……お前達とは違う」
「うん、それは分かったよ。だから、君に同意を求めた僕が悪かったなって。ごめんね」
謝罪する声色ではない。むしろ挑発するような響きに、ルウクの胸もムカムカしてくる。
「……俺が言っていることは、あいつと同じだ。自分が出来ることだけをする。……それだけだ」
その範囲を越えた行為。優しさも手助けも施しも、何もしない。するべきではない。ーーその方が、自分のやるべきことに全力でいられる。それだけを考えていられる。
「……」
「……」
いつしか、一触即発の空気が漂い。ルウクとリヒトは互いに睨み合っていた。
きゅう、とフイの鳴き声が遠くに聴こえる。
「……二人とも、もう止めて!」
「!」
「エリシアさん……でも」
「私は、二人に喧嘩して欲しかったわけじゃないの。どちらの意見も、きっと間違いじゃないって思うよ」
ーールウクが覚えている、昔のエリシアは。人の喧嘩なんて見ようものなら、その渦中に自分がいなくとも泣きべそをかいていたのに。今の彼女は、ルウクとリヒト、しっかりと二人ともを見つめている。喧嘩を止めるため、声を上げる。
「もし、自分たち同士の意見の食い違いとか、譲れないものの為の喧嘩なら、仕方ないよ。でも今のは、私の言葉が原因で起こった喧嘩でしょ? だから……」
「……エリシアさん」
「私が原因で、二人に喧嘩をして欲しくないの。……今回のことは、私が二人にごめんなさいを言わなくちゃいけないの。……ごめんなさい」
「え、エリシアさん! なんで君が謝るのさ! そんな理由、どこにも……!」
謝罪の言葉とともに、エリシアが頭を下げる。リヒトは慌てて止めさせようとするも、エリシアはそのままで。
「私、もっとちゃんと考えなきゃいけない。みんなの言ったことを、ちゃんと考えないと。答えを出すのは、それからだから。……だから、それを早く言わずに二人を喧嘩させちゃったのは、私のせいなの」
「エリシアさん、そんな……」
「……」
ルウクは、もうイライラはしていない。しかし、モヤモヤはしていた。原因は勿論ーー彼女が聞いたら悲しむだろうがーーエリシアのことだ。
(……自分のせいにするな)
ーー俺の言葉が足りないのは、俺が一番わかっているから。と、そう思った。思っただけで、言葉にしなかった。……出来なかった。
それは、彼女が泣き虫ではなくなったからか。彼女が、自分のせいだと勝手に自罰的になっているからなのか。ルウクには、わからなかった。
「……」
「ちょっと! こんなときにどこに行くのさ?」
「……」
一瞬止まって、しかし無言でルウクはこの場を去った。居たたまれなくなったから。
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