16
「……さっきのは、何だったんだ」
「ーーえっ?」
考え込んでいたところに話しかけられたものだから、一瞬だけ反応が遅れる。ルウクはリヒトから目を逸らし、口をもごもごと動かしながら、もう一言。
「……石を投げられていた」
「み、見てたの?」
こくり、とルウクは小さく頷く。そして、たどたどしい口調ながら、子供達の声や石を投げられたリヒトの悲鳴が聴こえたため居場所が分かったのだと説明してくる。
この村は大して広くはなく、賑やかというよりは、ひっそりと佇んでいるような静かさだ。ルウクがリヒトらの声が聴こえたのも当たり前といえば当たり前だろう。
「というか、見てたなら助けてくれれば良かったのに」
「……来た時には、もう子供が走り去っていた。……それより」
「それより?」
「……何かやらかしたのか」
「え」
来たばかりの村で何か問題事をしでかしたのか疑っているのだろうか。ルウクは何を思ったのか、少し間を置いてから別の言葉を添える。
「……お前か、お前の兄。どちらかに原因が無ければ、今のようなことは起こらないだろう」
「僕も兄さんも、何もしてない。勝手なことを言わないでよ」
「……なら、なぜ石を投げられたんだ」
「それは……知らないよ。本当に、何の心当たりもないんだから」
「……お前にないのなら、やはり」
「何なんだよ君はさっきから! 何にも知らないくせに、兄さんを悪く言わないでよ!」
「……」
リヒトが上げたのは、半ば叫ぶような声だった。ルウクは口を噤み、また沈黙が訪れる。……しかし、今度はリヒトの方からそれを破った。
「兄さんは……兄さんは、いつも優しくて。誰に対しても、笑顔で接している人なんだ。僕と目線を合わせて話をしてくれて、それで……」
「……」
「君が僕の家のことを、どこまで知っているのかは知らないけれど。そんなことを君に言われる筋合いはない。僕はともかく、兄さんのことだけは……」
口にしながら、思い出す。嫌なことを。兄が失踪する前日のことを。
喉元から、何かがせり上がってくるような感覚。そこから現れ出ずるのは、果たして単純な吐き気なのか。それとも何らかの感情なのか、リヒトには判断がつかなかった。
ただ言えるのは『これ以上、思い出したくない』という結論のみ。
「……」
ルウクが口を噤み、再び沈黙が辺りを包み込む。先刻とは別の気まずさ、そして少しの罪悪感のようなものがリヒトの胸に渦巻く。
「……あの、」
「お願いします! もう少しだけ、もう少しだけ時間を下さい!!」
とりあえず何かを言おうとした突如、宿屋の方向から人の声が聴こえた。リヒトは、ルウクが迷いなく歩き出したのを見て慌てて後を追う。
宿屋に着いてみると、入口の扉は開いており、すぐ側で主人が二人の男に土下座をしていた。二人の男の衣服には『聖者』ーー聖堂に身を置く者ーーの証である銀の刺繍が施されている。
「そうは言いましてもねぇ……もう納期はとっくに過ぎているのですよ? しかも、先月分を支払われたのもつい先日のこと」
「私共としても、この村にとってこの宿屋が大切な場所であることは把握しております。巡礼の者達も、よく利用させて頂いてますしね」
リヒト達からは、男達の顔は見えない。が、その声色からはどこか、ねちっこく責め立てるようなものが感じられた。
周囲にある家々は、扉は勿論のこと窓も閉め切り、カーテンで中を窺えないようになっている。この宿屋以外には人がいないのか疑ってしまうほどに静まり返っていた。
「聖堂への納金は、毎月きっちり、ちゃんと払って頂かないと私共も困るのですがねぇ」
「で、ですが! 半年ほど前から、どんどん納金額が上がっていて……」
「こちらにも色々とあるのですよ。この世界の均衡は、世界樹を護る聖堂あってこそのもの。例えば、この村の周囲にも結界が張られているでしょう。魔物を退ける結界術式は、聖者にしか扱えません」
聖者は、誰もが成れるわけではない。類稀な魔力を持ったもの。そしてマナの扱いに長けたものしか聖者になることは出来ない。
聖者や聖堂騎士を始めとした、聖堂のサイクルの維持。これらを成立する為には、金の循環が必要不可欠なのだと二人の聖者はつらつらと店主に語った。
「それとも」
聖者らの声が、一段低くなる。
「納金を拒否する、ということでしょうか?」
「……!!」
その言葉にーー宿屋の主人は血相を変えて、地面に顔面を擦りつけた。滅相もない、と叫びながら。
「どうか、それだけは……! それだけは、ご勘弁を!! 金は必ず納めます。ですから……っ!」
「……」
聖者は、果たしてどんな表情をしていたのだろうか。漂ってくる空気は冷え切っている。
「ーーあ、あの!」
「!」
そのとき。第三者の声とともに、宿屋の中から現れた影がひとつ。ーーエリシアだった。その後ろから、リヴェルも続いてくる。
「あなたは? その出で立ちを見るに、巡礼の者のようですが」
「は、はい。私は巡礼の旅の者です。……あの。先ほど、納金額が半年前から上がっていると話にありましたが……」
「ええ。それが何か?」
「……大聖堂が定めた納金額は、ここ数年は変わっていなかったはずです。それなのに、どうして」
「それはあくまで、『基準』に過ぎません」
不安げなエリシアの声を遮るように、聖者はキッパリと告げる。
「あなたは若い方のようですから、教えて差し上げますが。大聖堂が定めた納金額などというものは、あくまでも基準でしかありません。その土地の環境によって増額することも有り得る話なのですよ」
「……」
「とにかく。ご主人、少しだけ時間を差し上げます。三日後までに、納金を」
「う……は、はい……」
「では、これで。ーー私共の同志である、巡礼者が身を休める場が無くならないことを祈っておりますよ」
聖者らが、淀みのない足取りで去っていく。その姿が完全に見えなくなるまで、他の誰もが動けないでいた。
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