8

 旅路の始まりは、それから数時間後のこと。聖都で多くの人々に祝福されながら旅立っただろう『代わりの聖女』とは、全く違う。誰かに見送られるわけでもない、さあ行こうと声をかけて歩き出す程度の、何でもない出来事だった。

 一行は朝にリヴェルが話していた通り、三日ほどかかる町を目指す。町中にある聖堂と、近くにあるはずの遺跡が目的地だ。そこまでは高原で、特に視界を遮るものもない道のりを歩く。


「きゅう、きゅう!」


 最初の町を出て数時間、夕焼けで空が赤く染まり出した頃。ルウク達は、野宿の準備を始めていた。

 町を出れば結界の外。いつでも魔物に襲われる可能性はあったが、幸いにも未だ魔物には遭遇していない。それに、開けた場所にいるので、近くに現れれば気が付けるだろう。

 一行は全方位を見渡せる位置に焚き火をつくり、そこで夜を明かすことにした。


「あっ、フイ! 私達から離れちゃダメだよ!」

「きゅうー!」

「んぐっ!?」


 道中で通りがかった木々から拝借した枝を一か所に集めていると、エリシアの肩からフイがぴょんと飛び出し、近くにいたルウクの顔面に張り付いた。突然のことにルウクは声を上げる。……地味に呼吸ができない。


「ぅ……ぐ、こ、この……!」

「フイ! ルウクが嫌がってるから止めて」

「きゅ!」

「むぐ……っ!」


 エリシアに返事をしながら、フイはルウクの顔面から頭に移動する。が、そのとき鼻を踏み台にされ、またもルウクは唸り声を上げる羽目になった。


「こいつは、何なんだ……!」

「ごめんね、ルウク。ここまでフイが人に懐くのなんて初めてで、私にもよく分からないの」

「……おい、頭から退け」

「きゅう?」


 頭上から聴こえるのは、とぼけた鳴き声。初めて聖都で出会った時のことといい、この謎の生物は一体全体なんなのだろうか。


「フイは、ずっと聖堂に籠もりきりだった私の前に突然、現れたの。……もう、十年になるかな」

「……」

「私、ひとりが辛くて、心細くて泣いてばかりいたの。聖堂の人達は皆、優しかったけど。……それでも、あの時は嫌で嫌で堪らなかった」


 当たり前だ。突然、故郷から離されて一人に。しかも、その故郷も崩壊してしまったのだから。帰ることは出来ないし、そもそも帰る場所も無くなってしまった。例えエリシアが泣き虫な性格でなかったとしても、到底、耐えきれる孤独ではないだろう。


「ある日、いつものように部屋に閉じこもって泣いてたら……窓の外が、急に光りだして。思わず開けてみたら、光の玉が私に向かって降りてきたの。無意識に手を差し伸べてみたら、だんだんと光が消えていってーーそこには、眠ってるフイがいたんだ」

「十年前から、ずっと今と同じ姿なの?」

「うん。最初は魔物じゃないかって、疑われてたけど……光の色が、使徒様が降臨した時の天啓の光と同じだって言われて。それからは、何も言われなくなったの」

「『使徒様』?」


 聞き慣れない単語に、ルウクは首を傾げる。すると、他の三人は驚愕したようにルウクを凝視した。


「君、使徒様を知らないの!? 常識でしょ!」

「……」

「ははぁ、少年、イマドキの子にしては珍しいねぇ」

「……」

「ルウク、昔から伝承とか覚えるの苦手だったもんね」

「……悪いか」


 育ての親であるシレーヌからは、生き残るのに必要な術しか教えられていない。いや、勉学についても彼女は教えようとはしていたらしいが、途中で投げられた。ルウクのやる気の無さも去ることながら、シレーヌも勉学については苦手な分野だったからだが。

 それにしたって、全員から視線を向けられるのは嫌な気分になる。特にリヒトは、ルウクを非難するように有り得ないと繰り返した。


「まぁまぁ、知らないもんはしょうがないでしょ。ここは少年の為に、オレ達がしっかりと教えてあげよー!」

「……そうですね。『知識を求める人には優しく丁寧に接するべきだ』と、ノルト兄さんにも言われたことがあります。……君が、知識を求めてる人の内に入るのかは知らないけど」

「……」


 いちいち何か一言、付け加えなければ気が済まないのだろうか。そう思ったが、面倒なので突っ込まないでおく。とりあえず、今後も知らないことについて口うるさく言われない為に、ここは大人しくしておこう。


「あのね。……エレナ様が亡くなった直後、世界が大変なことになったのは覚えてる?」

「……ああ。確か……天変地異が起きたんだろう」

「そうそう。地面は割れ、嵐が起きて、空が闇色に染まった……なんて、言われてる。ーー多くの人が、それで亡くなった」

「僅かに生き残った人々も酷く傷ついていて、死んでしまうのも時間の問題。人々は深く絶望しながら死を待って……そんなとき、現れたんだよ。『使徒様』は」


 闇に染まる空を、ふたつに割くように。一筋の光が天空より地上に降りて、それはやがてカーテンのように世界中へ広がっていった。

 そして、天空より舞い降りたのが『使徒』と呼ばれる者なのだという。


「その人は光り輝く翼を持っていて、自分のことを『聖なる使徒』だと謳った。使徒様が腕を振るうと、眩い光の波が、人々の傷を癒やしたんだ」

「そうしてから、使徒様は言ったの。こんなことになったのは、聖女であるエレナ様が、人間に殺されたせいだって。世界樹は人間の所業に怒り、マナを暴走させてしまったって」


 結局。使徒は、聖堂をつくり、そこで世界樹と聖女エレナを崇め奉ること。彼女の無念を決して忘れないこと。それが成されなければ、新たな聖女が生まれることはない。世界は、決して救われないと告げたそうだ。


「……その後、使徒はどうなったんだ」

「わからないの。伝承では、人々を見守るって言い残して、天に還ったとされているけれど……」

「それから、使徒様の姿はエシュト史のどこにも記されていないんだ。でも、人々は使徒様の言いつけを信じ、守っている。だからこそ、新しい聖女様が生まれたんじゃないかな」

「……」


 とりあえず理解はした。が、何となく腑に落ちない。……なぜだろう。分からなかった。胸の奥に、もやもやした感情が渦巻くのみだ。


「まぁ、人は死んだら長い時間をかけて新しく生まれ変わるともいうし。他の人々と同じように、その順番が聖女にも巡ってきたってだけかもよ?」

「その話は聞いたことがありますけど、どうにも使徒様の伝承と比べると現実味が……」

「……現実味のなさは、どちらも同じだ」


 その時代を生きていたわけでもないし、生まれ変わりなんて話も好かない。ーー人は死んだら、そこで終わり。ルウクは、それを身を持って知っているのだから。


「それで……この生物は、十年の間、お前と一緒にいるのか」

「あっ……うん、そう。ずっと傍にいてくれた、私の大切な友達」

「きゅうー!」


 微妙な不快感を振り払いたくて、ルウクは無理やり話題を元に戻した。エリシアは戸惑いつつも、すぐに笑顔で返してくれる。その時、フイはルウクの頭から軽々と飛び降り、エリシアの足を伝ってまた肩に戻っていった。


(気まぐれな奴)


 そういえば、初めてフイと出会ったときも。こちらへ来いと手を伸ばした聖職者を見つめていたかと思えば、急に興味を無くしたように部屋から去っていったのを思い出す。人懐っこくはあるが、それ以上に気まぐれなようだ。

 とりあえず、動物(?)になんてほとんど接したことが無いし、懐かれた経験は皆無だ。寄られるのも面倒なので、関わらないでくれとルウクは思っていた。


「ーーっ!」


 その時。すぐ近くーールウクの後方から、じっとりとねちっこく、しかし急速に自分達の方へと向かって来るような気配がした。その数はーーふたつ。

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