6

「号外! 号外だよー!」


 買い物が終わり、帰路についていた頃。酒場の近くを通りかかったとき、大きな声で人々に呼びかける男と、その周囲の人だかりが目についた。


「聖女様が、ついに旅立たれたのか……!」

「ああ、これでようやく魔物に脅えなくて済むのね!」

「!」


 どうやら、叫んでいる男は新聞の号外をバラ撒いているらしい。地面に落ちていたそれを見てみれば、そこには聖女が旅立ったことを示す記事が一面いっぱいに記されていた。

 しかし、ある一点を眺めてルウクは眉を顰める。聖女のものとされている肖像画は、エリシアとは似ても似つかない少女のものだったのだ。

 銀髪碧眼のエリシアに対して、その少女は黒髪に緑の瞳。さすがに同一人物とは思えない。


「ルウク」


 ルウクの様子を見てか、エリシアがそっと耳打ちしてくる。


「聖女は、一般的には聖都で人々に見送られながら旅立つことになってるの。でも、本当はそうじゃなくて」

「替え玉……か?」


 こくり、とエリシアは頷きつつ続ける。


「エレナ様が殺されてしまったことを受けて、世間には聖女の姿を公表しないことにしてるの。だけどそれじゃ、人々は本当に聖女がいるのかって不安になる。だから、他の人に聖女として振る舞って貰うんだって」


 そう話すエリシアの表情は暗い。彼女が決めたことではないにしろ、納得はしていない様子だった。


「私……その人とは、一回だけ会ったことがあるの。凄く優しくて、私にも笑顔で接してくれる人だった」

「……聖堂のやり方が不満か」

「……」


 エリシアは、ハッキリとは答えなかった。しかし、否定の言葉ひとつなく、無言。それこそが肯定のように感じられた。


「……本当は私が負わなきゃいけない責任とか期待とか、ぜんぶ押し付けちゃってるようなものだから。もしも、あの人の身に何かあったらって……不安になるの」

「そっちにも、護衛役はいるんだろう」

「うん。それは、そうだけど」

「なら……お前が悩んでも仕方がないことだ」

「……うん」

「きゅう?」


 エリシアは唇を結んで俯いてしまう。肩に乗っているフイが不思議そうに鳴いた。

 ルウクはエリシアを見つめる。彼女は、もう昔みたいにすぐ泣き出したりしないだろう。それが分かっていても、ルウクの心中は穏やかではなかった。胸がもやもやして、嫌な感覚がする。気を紛らわしたくて、両手を強く握り締めた。

 そして、何度も口を開いたり閉じたりしながらも、やがて声を発する。彼自身が想定していた以上に、ぶっきらぼうな声で。


「だから……そんなときこそ、祈ればいい」

「ーーえ?」


 顔を上げたエリシアは、ルウクの言葉に驚いたのか。ぽかんとした表情をしていた。

 穴が開くほど見つめられていることに、何だかバツが悪くなって。なぜか少し熱くなっている頬を掻きながら、ルウクは彼女から顔を逸らす。


「だから、どうせ。……飛んで行くことなんて、出来やしないんだ。だったら、もう無事を祈ってやる以外にすることなんかない。無駄に心配だけしたところで、なんの意味もないと……それが言いたかっただけだ」

「ルウク……」

「……さっさと帰るぞ!」


 また思いのほか声が大きくなった。ルウクはさっさと立ち去りたいーーもとい、この空気を何とか消し去りたくなって、どんどん早足で歩を進めた。


「あっ。ルウク、待って!」

「!」


 エリシアの声が遠いことに気が付いて、ルウクは足を止める。そっと振り返ってみれば、ぱたぱたと小走りでやってくる彼女の姿。


「……」


 横に彼女が並んだのを確認してから、ルウクは歩き出す。視線は足元を向いていた。


(……歩幅)


 自分の一歩と、彼女の一歩。その歩幅に大きな差があることに、全く気が付いていなかった。よく考えてみれば、さっきまで彼女が自分に合わせて、時おり小走りになっていたように思う。

 十年前は、さして歩幅の差などなかった。だから、その感覚で歩いていた。けれど、もう二人の身長も体格も大きく違っている。だから歩幅も違うのだ。

 そんな当たり前のことを、ルウクは今さら理解したのだった。


「……」


 歩くペースを落とし、彼女が普通に歩けるぐらいに合わせる。ルウクは彼女に察知されないように、自然にやってみせたつもりだった。

 しかし、エリシアは小さくあ、と声を漏らし。やがて、ふんわりと頬を緩めた。


「ルウク」

「……なんだ」

「ありがとう」

「……それは、何の礼だ」

「色んなこと。……本当に、ありがとう。ルウク。……うれしかった」


 エリシアは笑顔を浮かべている。それは、再会してから見た彼女の表情の中で、ひときわ柔らかく、眩しい笑顔に思えた。

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