2
* * *
夕焼けの中。少女が、しゃくりあげる声が聴こえる。小さな手で、何度も何度も目を擦っている。
「なに泣いてるんだ?」
声をかけると、びくん、と肩が震えた。そんなに大きな声を出したつもりはなかったのに、と思い。ルウクは困って頬を掻いた。
「んー……。そう……あのさ。そんなに泣くなよ」
「うっ……うぅ。だって、だって……」
「だって、……なんだ?」
躊躇うように、少女は声を詰まらせた。しかし、じっとルウクが見つめ続けていたからか。視線を切るように俯きながらも、小さな声で答えた。
「わたしの髪……へんな色だって、みんなが……」
「髪? 確かに、変わってるな……ってうわ! そういう意味じゃないって!」
地面に落ちる涙の量が明らかに増えた。ルウクは慌てて訂正すると、どうしたものかと周囲を見回した。時は夕刻、人気のないところで少女が泣いていた為、助けを求めようにも大人は誰もいない。
「……そうだ!」
「? ……えっ。あ、あの」
「おれの家に行こう! おまえの髪は変じゃないって、母さんは言ってくれる!」
少女の手を引いて、ルウクは歩き出す。力なく、頼りない手だった。母さんの手とは大違いだな、と思った。
行動としては困窮に困窮を重ねた結果、信頼できる大人の言葉なら少女を元気づけられるのではないか、という発想だ。
「……」
果たして、それは功を奏したのか。少女の名前を聞くことすら忘れていたルウクの行動は、少女にとってどのような思い出となっているのだろうか。
ただ、事実なのは。その一件以降、少女ーーエリシアとは、家族ぐるみで付き合う中になったということだった。
「…………」
もう戻らない、安らかに揺蕩う過去。その中に埋もれていた意識が、静かに浮上していく。
ルウクは寝転んだまま窓の外を見つめる。……鳥が鳴いていた。僅かな物音すら鼓膜を強く震わせるーー早朝か、とルウクは思った。
ゆっくりと身を起こす。両隣のベッドではエリシアとリヒトが寝息を立てて眠っていた。
(あの男……)
そして気が付く。一番ドアに近い位置で寝ていたはずのリヴェルがいないことに。無意識に窓を見れば、さっきは寝ていて見えなかったが、彼は外に出ているらしい。こちらに背を向けている為、何をしているかはよく分からなかった。
「……」
そうっとベッドから出て、二人を起こさないように部屋を出る。シンとした宿屋の中は、まだほとんどの人間が眠っていることを如実に表していた。
「よし。じゃあ、また頼むよ」
宿屋を出たルウクは、少し離れたところに立っているリヴェルを見つけた。どうやら、彼は鳥に話しかけているようだ。その鳥は明るい桃色をしており、首にポシェットを提げている。
「ってイテテ! なんでお前はいつも事あるごとにオレをつつくんだよ!」
「……」
……なぜか長いクチバシで頭をつつかれている。
恐らく、あれは手紙の受け渡しを請け負う『
桃色の伝え鳥は、何度かつついて気が済んだのだろうか。満足そうにピュイと鳴くと、大きな両翼で羽ばたき、間もなく飛び去って行った。
「はぁ。やっと言ったよ……って。少年、見てたなら止めてよー!」
「そんなことする義理はない」
「何かオレに対してすっっっごくドライだよね! そんな心象悪くなるようなことした覚え無いんだけど!?」
「そんなことより、さっきのは何だ」
リヴェルは、大袈裟なほどガックリと肩を落とす。が、そうしていてもルウクが無反応を貫くだろうと察したのか、手にしていたものをルウクに軽く広げてみせる。それは、手紙のようだった。
「元々、オレは聖都に友達と来てたんだよ。で、あの騒動の時にそいつは祈り場の方に行っててさ。あれから一体どうなったのか、連絡を取り合ってたってわけ」
どうやら、さっき送っていたのは友人への返事の手紙だったらしい。ルウクは納得すると同時に、疑問が次々と湧き上がる。
「あれから……聖都は? 大聖堂は……」
「聖都は全く影響がないね。どうやら、賊は完全に大聖堂内だけを襲っていたらしい。……ただ、リヒト以外の聖女の護衛役や、逃げ遅れた巡礼者、多くの騎士達は犠牲になった」
「……」
「幸い……と言っていいかは分からないけど、
それは……幸いではある、が。やはり、甚大な被害が出ていたらしい。
きっとそうなるだろうと分かっていたことだ。だが、ルウクの胸は重苦しいもので埋め尽くされる。リヴェルも同様なのか、痛切な表情で続ける。
「数少ない生き残った騎士が言うには、賊は一人。闇に紛れるような色のローブに、深くフードを被った魔導士。仮面も身につけているから、はっきりとした容姿は何も分からない。背格好からは男かなってくらいらしいね。……そして恐らく、その魔導士は禁呪によって力を得ている」
「禁呪……」
「そう。人の身に余るほどの力を得られる代わりに、人の道からは大きく外れた、禁じられた魔法さ」
仮面の魔導士が行ったのは、死亡間もない遺体を傀儡にする『
しかし。それだけのことをして、甚大な被害を出した仮面の魔導士が大聖堂を襲った理由は、全くの不明らしい。
「結局、その魔導士は暴れた後、忽然と姿を消してしまったらしいんだ。逃げていった少年達を追うでもなく、エリシアちゃんを捜すでもなく、何かを盗み出したりするでもなくね。変だろ?」
「……不自然だ」
「オレもそう思うし、多分みんなそうじゃないかな。……ただ、ひとつ」
リヴェルは声を落として、真剣な表情でルウクに話していく。
「聖堂騎士団総長のガーダ・グランティア。彼は状況証拠としては死んだと言われているんだけど……」
「それは、あいつだって言っていた」
ガーダが死亡したのはリヒトが目撃した。それに、状況証拠が残っているのだ。なぜ歯切れの悪い言い方をするのか分からず、ルウクは続きを促す。
「実はーー遺体が、見つかってないんだよ」
「!」
周囲の血痕や、魔法を行った跡。禁呪が解かれたのか、完全に動かなくなった騎士。それらの戦闘の痕跡や出血量から、ガーダは死亡したのだと思われるがーー遺体が無くなっている、ということは。
ルウクはリヴェルの顔を凝視する。リヴェルは頷き、ハッキリと断定口調で告げた。
「ガーダ総長も、仮面の魔導士の魂環の法によって傀儡にされているだろうね」
「……!」
そうではないか、と思いはした。けれど、そうでなければいい、とも思っていた。しかし、リヴェルはその可能性を容易く潰す。
「とにかく、今後またその魔導士が現れるとも限らない。聖都はしばらく封鎖、大聖堂も関係者以外は立ち入り禁止になったみたいだ」
「あんたの友人は……いや、あんたも関係者なのか」
「うーん。微妙」
「は?」
「オレはお偉いさんと仲が良いんだよ。友達の方は……あくまで俺経由でかな」
さっきまでの神妙な表情を崩して、何でもないことのようにリヴェルは言う。……この掴みどころのない態度が、ルウクには何とも気に入らない。
「一般人は、聖堂の人間と仲良くなんてそうならない」
「なりにくいってだけで、なるときも有るさ。教皇様も大司祭様も、人間なんだから」
「……エリシアとも知り合いだったのか」
「まぁ、ちょくちょく会ってたかな。オレもリヒトと同じように護衛役に呼ばれてたし」
「あんたの友人もか」
「……いや、彼は辞退してた。今は難しいって」
「今は?」
聖女の旅。それを完遂すれば、世界樹が発するマナの光によって、魔のモノーーこの世に蔓延る魔物が消え去ると言われている。
町や村には聖堂の者による結界が張られているが、食料品などを運ぶ人間はどうしても結界の外に出なければならない。要は、危険なのだ。
だからこそ、戦い慣れている傭兵などが金を稼げるわけだが……基本的に、多くの人間が早く魔物など消えて欲しいと思っているだろう。
「まぁ、彼は魔物に手こずることは無いだろうけれど……別に、護衛役について適当に考えたわけでも、聖女様の旅を手助けしたくないと考えてるわけでもないとは言っておくよ。ーーまぁ、いずれ少年も会うことになるかな」
「は?」
「彼は後々に合流すると思うよ。その時をお楽しみに!ってわけで。この話はこれでオシマイ!」
会話を一方的に切り上げたリヴェルは、ルウクを置いて宿屋へと戻っていく。ひらひらと振ってくる手が妙に憎たらしい。
「……勝手に」
自分がエリシアの旅に着いていくと決められている。本当に勝手だ、と心の中で唱えた。
(……どうする?)
ーー自分は、エリシアについていくべきなのだろうか。
もちろん、まだ大聖堂の人間に認められてはいなかったとか、そういう問題もあるけれど。そんなことよりも、ルウクは自分がどうしたいのかが分からなかった。
(……もう、)
目の前にいるのに、失うのは嫌だ。それは確かな想いではある。けれど。
『死んでいった者への弔いは出来ます。生きてさえいればーー心の中でも』
ルウクは思い出す。大聖堂で起きた出来事を。
まず浮かんだのは、仲間の死を背負いつつ前を見据え、そして最期まで戦い続けただろうガーダ。
『……ルウク殿。感謝いたします』
『我らの命を助けたいと、そう思ったのでしょう?』
そう言って、死を覚悟してでも自分達を助けた騎士たち。
(オレは……感謝なんてされたくない)
だって、自分は何もしていない。ただ言われた通りに従っただけ。それどころか、聖堂騎士団が持っている誇りも強さも、何も知らない癖に軽んじるような言動を取っていた。
(無神経……そんなの分かってる)
ルウクは故郷の崩壊の日から、自分の感情を表に出すことが非常に困難になった。表情はいつも無愛想だし、ぶっきらぼうな言い方しか出来ない。適切な言葉が出てこない。脳内に浮かばないのだ。それは事件のトラウマによるショックが強く影響してるのだろうとシレーヌは言っていた。
(だから、嫌だったんだ)
言葉には出来ないくせに、気持ちだけが波のように次々と押し寄せる。そのまま口から溢れ出してくれれば良いのに、すぐに喉奥へと飲み込まれてしまう。言霊として出るのは、言葉足らずで無神経なセリフだけ。
だから、ルウクは人と関わり合うのを止めた。育ての親であるシレーヌ以外の人間とは、出来る限り話をしないように生きてきた。
ーーだが。今、それで良いのだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます