5


*  *  *



「……ぅ、く……っ」


 目を覚ました時、そこにあったのは天井だった。上体を起こす際に全身に軋むような痛みが走って、ルウクは顔を歪める。


「きゅうー!」

「ぅわっ!?」


 寝ていたベッドの傍らにいたらしい、白い生き物ーーフイが、ルウクの顔面に飛び込んでくる。


「きゅう、きゅう!」

「おい、やめろ! くっつくな!」


 まとわりついて顔をぺろぺろと舐めるフイを何とか引き剥がそうとするが、フイは小さな身体のどこにそんな力があるのか。掴まれている顔が地味に痛く、離れない。


「おーおー。少年が起きたと思ったら……随分と気に入られてるねぇ」

「見て……ないで! 何とかしろ!」

「いやぁ、無理だよ。どうやらフイは少年の方に懐いてるみたいだし」

「くそっ……」


 フイが顔面から肩に移動したことで諦めがついたが、非常に憎々しい。何も考えていないような呑気な顔と、毒気を抜かれるようなつぶらな瞳に腹が立つ。

 このまま見ているとイライラするだけだ。気を取り直して、ルウクはリヴェルの方を見て。……ぽつりと一言。


「誰だ、あんた」

「はっ!? ちょっとちょっと少年、頭でも打っちゃったの!?」

「打ってない。誰だ」

「リヴェルだよリヴェル! 騎士の皆が名前を呼んでたでしょ!」

「覚えてない」


 それより、別のことで頭がいっぱいだったのだ。あの状況で出会った人間のことを覚えている余裕なんてなかった。そこまで考えたところで、ルウクはハッとして周囲を見回す。ここは宿屋か、誰かの家だろうか。ベッドが四つあり、ルウクの隣のものにエリシアが寝ていた。


「……ふぅ」

ゲートでの移動は疲れるっていうからねー。ましてやエリシアちゃんは精神的にも負担が来ていただろうし、気を失っても仕方ないね」

「……あんたは?」

「オレ? まぁ、オレも確かにキツかったけど。君達よりオトナ!だからね!」

「……」


 胡散臭い上に、面倒臭そうな男だと思い、ルウクは目を細める。


「改めて自己紹介! オレはリヴェル・オブザーバーだよ。よろしくね、少年!」

「……」

「名前は?」

「……ルウク。ルウク・エイデン」

「そっかそっか、良い名前だね! じゃあよろしく、少年!」

「……」


 ーー名前を聞いておいて呼ばないのか。そんなツッコミが脳内に浮かぶものの、なるべく長く会話をしたくなかった為に胸に仕舞うこととした。


「あとはエリシアちゃんと、そこのもう一人の少年だね」

「は?」


 リヴェルの言葉が理解できず、ルウクは首を傾げる。彼の視線を辿ってみれば、ルウクの寝ていたベッドの、エリシアとは逆側の隣に誰かが寝ていた。

 柔らかそうな金髪。左耳に青い結晶の形をしたイヤリングをしており、身体つきは細身に見える。寝顔は幼く、けれど端正でもあった。


「う、うぅ……ん」


 様子を見ていると、少年が眉を顰め、声を漏らす。そして、間もなくゆっくりと目を開けた。エリシアの青色とはまた違う輝きの碧眼が、ルウクを捉える。


「……だ、誰……?」

「それはこっちのセリフだ」


 目線でリヴェルに説明を求めると、彼は軽い世間話のような口調で説明を始める。


「君、オレ達より後にゲートを通ってきたんだろう?」

「なっ……!?」

「ちょうどオレが少年達を運ぼうと抱えた辺りでひゅーって落ちてきて。おにーさんはビックリしちゃったよね」

「おい! それはつまり、こいつはーー」

「落ち着いて。彼の話を聞いてみようよ」


 自分達の後にあそこを通った。つまり、この少年こそが聖堂騎士団の総長であるガーダを退けた賊であり、あの場に残った騎士たちの守りをかいくぐって追ってきたのではとルウクは警戒した。

 落ち着けと諭してくるリヴェルになぜだと食ってかかる。確かに見た目は自分と同年代くらいの少年のようだが、外見で判断するのは非常に楽観的だと思った。


「その髪の色に、その瞳。君はリヒト……リヒト・シュテルン君だよね?」

「は……はい。僕は……リヒトです」


 起きたばかりで状況が把握できていないのか、金髪の少年ーーリヒトは目を擦りながら答えた。


「シュテルン……」


 聞き覚えのある姓に、ルウクは思いを巡らせる。答えが出る前に、リヴェルが解説を始めた。


「そ。シュテルンは有名な魔導士の家系。今は……夫妻は病気で亡くなり、嫡子である長男は失踪していて、弟である彼しか残っていないと聞いているけど……」

「はい。その、通りです」


 途中から言いにくそうに声を潜めたが、対するリヒトはハッキリと頷いた。目が完全に覚めたのか、彼は起き上がり。長い深呼吸の後に、真剣な瞳でルウク達を見据える。


「僕は、もともと聖女様の護衛役として依頼を受けていました。だから、巡礼者用の部屋にいて……」


 突然、部屋の外で怒号と悲鳴が上がり。そうっと様子を窺ってみれば、なぜか騎士が殺し合っている場面に出くわしたのだという。

 そして間もなく見つかったリヒトは、まともな騎士に道を示され、何とか一人で逃げていたとき。


「騎士団総長のガーダさんを見つけました。もう、虫の息で……手当てしようとしても、意味がないくらい、で……」


 ぎゅっと両手を握り締める。声色からも、悔しそうな響きが伝わってきた。


「ガーダさんは、言ってました。『敵はまやかしを使う』。『大切に想う人間の姿で惑わす』って」


 リヒトは、懐から何かを取り出す。それは、小さなロケットペンダントだった。端の方が破損しており、欠けていた。


「そして、僕にこれを……。『君は彼とは違う』『生きたものの眼をしている』と言いながら。その言葉の意味は、よく分かりません。でも……」


 リヒトはロケットペンダントの蓋を、そっと開く。ルウクらが見てみれば、そこに描かれていたのは若い女性と赤ん坊の姿だった。


「『自分の娘に、これを渡して欲しい』と。そう言って……僕に道を示した後に、息を……」

「…………」

「……そうか」


 沈黙が下りる。

 ルウクは、ガーダ総長の姿を思い出す。目の前で死んだ仲間を想いつつも、前を見据えた彼の姿を。


『死んでいった者への弔いは出来ます。生きてさえいればーー心の中でも』


 遺体を置いていくことに複雑な気持ちでいるルウクに、そう言った彼の姿を。


(生きてさえいれば……そうだ。弔うことも、何もかも、生きていなければ出来ない。生きていなければ……)


 たったひとつ。たったひとつの命が無ければ。それだけのことすら、叶わない。

 彼は、どんな想いで逝ったのか。それはルウクには知る由もないことだろう。けれど、きっと死ぬ気なんてなかっただろうとは、思った。


(誰もが同じだ。あのときだって、死ぬなんて思っていた人間は、誰もいなかっただろう……)


 あのとき。故郷が一瞬の閃光に消えた日。そこで潰えた命の中に、死期を悟っていた者は誰ひとりとしていなかっただろう。……それなのに。


「きゅう」

「っ!? お前、舐めるな!」

「きゅー!」


 不意打ちで頬を舐められ、ルウクは抗議の声を上げる。すると、フイは楽しげに鳴きながらエリシアのベッドの方へ移動した。


「んん……」

「エリシア!」


 ルウクは身体の痛みも無視して、エリシアの傍らへ駆け寄る。数秒の間の後に、彼女は目を覚ました。


「……るう、く?」

「エリシア……」


 開かれた彼女の瞳に、自分の姿が映る。その事実に、ルウクは大袈裟なほどに安堵した。


(……生きている)


 ガーダの死と、彼の遺した言葉を思い。そして故郷のことを想起したからか。ようやくルウクは、ここにいるのが幼馴染のエリシアで。彼女は今、自分の目の前で生きているということを理解した。ハッキリと、心の底から納得した。


「ルウク……」


 どこか不安げなエリシアは、何を考えているのか。さっきまでの自分と同じような感情を抱えているのかもしれない。

 ルウクは無意識に、ごくごく自然に、エリシアの手を取る。子供の頃、そうしたように。泣いていた彼女の手を引いて、歩いたように。


「きゅうー!」


 フイが、ひときわ喜びに満ちた鳴き声を上げる。そのとき、エリシアはルウクと目を合わせ、困ったように笑った。



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