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「聖女様!!」

「きゃっ!?」


 前にいた騎士が扉を開け放つ。その先にあった部屋は、なるほど聖女という人間の位の高さを示すように広々としていた。

 部屋にいた人間は二人。天蓋付きのベッドに腰掛けていた聖女と、その近くの壁際に背中を預けていた若い男だった。


「よっ。その様子じゃ、なんかあったみたいだな」

「リヴェル殿、どうかお力添えを! 今現在、この大聖堂に賊が入り込んでいるようです!」

「賊? おいおい、まさかこんなタイミングでか」

「今すぐ『ゲート』に聖女様と、この少年、ルウク殿をお連れします! リヴェル殿も共に!」

「……!」


 ルウクは、それらの会話を聞き流していた。いや、その瞬間、世界中の音が全て無くなったと言っても過言ではない。


「っ……」


 そして、それはーー対する少女も、同じだったかもしれない。


「……る」


 対する少女。銀髪碧眼を持つ、聖女と呼ばれる少女が、驚愕の表情を浮かべたまま、小さな口を動かした。


「ルウ……ク?」

「エリシア……!?」


 ようやく時を取り戻したルウクも、脳裏を支配していた彼女の名前を呼ぶ。その途端、彼女ーーエリシアの海のように青い瞳が、きらりと潤んだような気がした。


「きゅうー!」


 エリシアの膝の上にいた白い生き物、フイが鳴き声を上げながらルウクの足元へとやってくる。

 それを意に介すことなく、ルウクはエリシアのことを思い出す。


 十年前のあの日、故郷が閃光に滅ぼされてしまうまで。いつもルウクはエリシアという少女と遊んでいた。

 あまり同年代の子が多くない町だったというのもあるが、いじめられがちで泣き虫な彼女のことが放っておけなかったというのが大きかった。


(なぜ……死んだと、そう、思っていたのに……)


 ルウクの胸を占めるのは、再会の喜びよりも困惑の方が大きかった。なぜなら、当時に言われたのだ。『ルウク以外の町の人間は全員死んだ』と。今でも、ハッキリと覚えているのだ。


「ルウク、あのね……」

「ちょっと待った! 今は話し込んでる場合じゃないのは分かってるよね? 話すのは後!」

「は、はい!」


 リヴェルと呼ばれた男がエリシアを制止する。どう見ても騎士とは程遠い出で立ちの、肩ほどの茶髪を流している男は、なぜか訳知り顔でこっちだと先導していく。


「!」


 カーテンの間に手を通し、隠されていたスイッチをリヴェルは押す。するとゴゴゴという音を立てて傍の壁が開き、隠し通路への入口をルウク達に示した。


「行こう」


 リヴェルを先頭、あとは騎士たちの間にルウクとエリシアを挟む形で進む。

 ルウクは後ろにいるエリシアの気配を感じながら、何とも筆舌に尽くし難い気持ちを抱いていた。


(エリシアが生きていた……聖女? まさか……なぜ)


 そんなことを考えている場合じゃないと理性は咎めているのに、心は湧き上がる疑問に対し幾つもの声を上げていた。



 一行が辿り着いたのは、明らかに今までの部屋とは違う異質な部屋だった。

 天井と床全体に大きな魔法陣が描かれており、それらの中心を繋ぐように青色の光が滝のように流れている。周囲には雫のように光の粒が舞い、一種の芸術品のような美しさすら感じる光景だ。


「ここは世界樹の真下。世界樹から漏れてるマナの力を借りて、ここをゲートにするのさ。……よし。じゃあ、後は……」

「はい」


 リヴェルに視線で促され、エリシアは頷き前に進み出る。肩に乗るフイをそのままに、彼女は手を祈るように組んで、目を閉じた。


(……!)


 それを横から見ていたルウクは思う。彼女の姿は、まるでーー前代の聖女、エレナのようだ、と。


「ーー」


 エリシアは口を開き、ルウクには全く理解できない言葉を紡いだ。魔法の才があれば少しは分かったのだろうか、それが言語なのか呪文なのかすらも判別できなかった。

 彼女の声に呼応するように、周囲のマナは輝きを増し、明滅を始める。魔法陣を繋いでいる青の滝も同様だ。


「くっ……!」


 やがて、目を開けていられないほどに光が強くなり。眩い閃光のような光の奔流がルウク達を襲った。


「……!」


 反射的に顔を覆っていた腕を離し、恐る恐るルウクは目を開ける。すると、そこにあったのは……何というべきだろうか。まるで宙に絵を描いたように、白く輝く長方形の光線が浮いていた。光線に囲われた中には、見たことのない景色がある。


「これがゲート……」


 エリシアですらも、驚きに口元を覆っている。この光景を目にするのは初めてだったのだろう。


「さぁ、皆様はこの扉を通り別の地へ」

「我らはここを守ります」

「えっ……で、ですが!」

「我らの想いは、総長と同じです。聖女様を、皆様をお守りする。それが我らにとっても、世界にとっても、救いになると信じております」

「ですから、早くーー」


 言いかけた時、何者かの足音が聴こえた。それは段々と大きくなり、こちらに向かっているのが分かる。


「足音が軽い。総長では、……ないな」

「!」

「そんな、まさか……っ!」


 この大聖堂の騎士団総長。そんな彼を退けて、ここにやって来る者がいるというのか。だとしたら、それはーー。


「問題ありません。後は我々が」

「問題ないわけあるか! ずっと……ずっと、あの男は強いはずだ! あんた達より、ずっと!」


 場の人間は目を見開いてルウクを見る。今まで口数が極端に少なかったルウクが、吐き捨てるように叫んだからだ。


「あの男が始末されたとするなら、あんた達に勝機はない! だから、」

「……ルウク殿。感謝いたします」

「なっ……」


 何を言っている、とは、続けられなかった。……騎士たちが、とても穏やかな笑みを浮かべていたからだ。


「我らの命を助けたいと、そう思ったのでしょう?」

「ちがっ」

「では、そのように勝手に解釈いたします。……ありがとうございます」

「……っ」


 無駄だ、と思った。もはや、何を言っても騎士たちは考えを変えないだろう。ここで、エリシア達を守るという意志は固く、止められないということをルウクは悟った。

 だから、もう何も言葉を重ねることも出来ず。歯を食い縛って、顔を逸らすしかなかった。


「よし。じゃあ、頼んだよ」

「はい。リヴェル殿も、どうか皆様をよろしくお願いいたします」


 リヴェルはエリシアとルウクの手を取り、軽く一言だけかける。騎士は恭しく礼をして、皆の無事を祈る言葉を告げた。


「……皆さんも、どうかご無事で。エレナ様のご加護があらんことを……」


 エリシアは苦しげに、絞り出すように言った。それを聞いて、騎士たちは嬉しそうに笑った。


「行くよ、二人とも!」

「はい……っ!」


 リヴェルに引っ張られるようにして、ルウク達はゲートに飛び込んだ。光の滝に飲み込まれる、直前。ルウクは一瞬だけ、振り向いた。

 残された騎士たちが、武器を構えて侵入者を待っている。待っている。……扉が、開きーー誰が入ってきたのかを認めるより前に、ルウクの視界は白く染まった。

 息も出来ないほどの、強いマナの力。光に飲み込まれ、全身がもみくちゃにされるような感覚。それらを感じながら、ルウクは意識を保っていられない。


(……)


 ルウクは気絶する寸前、すぐ傍にいるエリシアを見つめた。既に気を失っているのか、目を閉じている。


(エリ……シア。俺は……)


 何を考えているのか、自分でも分からない。ただ、まともに動かない腕を彼女に向けて伸ばしていた。伸ばして、そうして、触れられない内にーールウクの意識はぷっつりと途切れた。

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