2

「失礼いたします。お待たせしまし……あっ」


 入ってきた聖者が声を上げる。ルウクが生き物の頭を捕まえながら振り向くと、聖者は驚愕の表情を浮かべていた。


「いや……まさか、その子が……」

「?」

「きゅうー?」

「ルウク様、その子は一体……?」

「一体も何も……窓から入ってきた」


 どうやら生き物のことを知っているらしい。迷惑を被っているぞと、ことさら不満げな声色にしてやる。それに気が付いたのか、申し訳ありませんと聖者は頭を下げて近付いた。


「この子は、なんといいますか……とある方が大事にしていらっしゃるのです。元より人懐っこい子ではありますが、ここまで懐くとは……」

「どうでもいいから、早く何とか」

「申し訳ありません。……ほら、フイ。おいで」


 聖者が生き物に向かって手を差し伸べる。フイと呼ばれた生き物は、聖者の手をじっと見つめていたかと思うと、急に興味を無くしたようにぴょんと床に降りた。


「きゅう。きゅ!」


 そして、そのまま開いていた扉の隙間を抜けていく。ふさふさした空色の尻尾まで見えなくなると、一気に静寂が訪れた。


「……」

「……その。申し訳ありません。主以外の人間に対しては気まぐれなようで……」

「……別に。つき纏われるのが嫌だっただけだ」


 何度も頭を下げられて、逆に罪悪感が沸いてしまった。ルウクはもう良いと話を切り上げ、早く聖堂騎士の稽古場に行こうと持ちかけた。



 長い廊下を歩く。今までのやり取りでルウクが多く喋る気質ではないと分かっているのか、聖者も必要最低限の言葉しか掛けてこなかった。

 響くのは、コツコツという靴音。一般人の声も、この区画までは聴こえて来なかった。


(……代わり映えがしない)


 だだっ広い癖に、目に入る光景は似たようなもの。立ち並んだ扉、等間隔で配置された窓。たまに絵や花瓶が飾られているくらいだ。……正直、つまらないとルウクは思う。


「こちらの階段を下りて、突き当たりになります」


 ルウクはホッとする。ようやく、この長ったらしい移動時間とはオサラバになりそうだ。

 前を歩く聖者に続いて、階段を下りようとしたーーそのとき。


「っ!?」


 背中に刺さる視線。じっとりと躙り寄る違和感。まるで両肩にそっと手を置かれ、人外の力でゆっくりと握りつぶされているような、そんな異物感がルウクの全身に滲んだ。

 突然のことに、こめかみから冷や汗が流れる。魔物が放つ殺気とは違う。そんな単純なものじゃない。……人間。感情を持つ、人間の強い意識が、こちらに向いている。射抜こうとしている。


「……!」


 全身に力を籠めながら振り向く。ーー誰もいない。さっきまでルウクが通ってきた長い廊下が、どこまでも続いていた。


「いかがされましたか?」

「……」


 全身に走る緊張は解けない。振り向いた瞬間に視線は感じられなくなったが、油断は出来ない。

 聖者の訝しげな声が聴こえるが、返事をする余裕はなかった。ルウクは顔を動かさずに目線だけを周囲に散らし、警戒する。


「…………。いや、何でもない」

「?」


 不気味なほど、何も感じられなくなった。どれだけ気を凝らしても、どこにも何もいない。ルウクは大きく長い息を吐いて、聖者に答える。聖者は僅かに首を傾げたが、すぐに歩を進めた。



「お初にお目にかかる、ルウク殿。私はガーダ・グランティア。この聖堂騎士団の総長」


 稽古場に辿り着いたルウクを待っていたのは、五人の騎士。その中心に立つ騎士が、恭しく礼をしてルウクを出迎えた。

 長身の男性で、歳は壮年だろうか。短く切り揃えられた髭と、精悍な顔つき。鎧越しにでも鍛えられた肉体を持っていると把握できる。

 このエシュトという世界における、一番の防衛線ともいえる大聖堂の騎士団総長なのだ。とてつもない実力を持った人間なのは確かである。こうして普通に話しているときも、立ち振る舞いに隙がない。


「ルウク殿には、ここにいる騎士四人。そして私と手合わせして頂く。そして、そのうち三人に一本を取れれば、聖女様の護衛役として旅に同行する。そういった条件であると把握しておりますが、間違いは?」

「……いや」


 言葉少なにルウクは首を振る。五人の内、一人が騎士団総長だなんて。実質、四人中三人から一本を取れと言っているようなものだ。

 まぁ、突然やってきた男ーーそれも子供を信用できないというのは分かる。しかも、今のルウクは『武器を手にしていない』のだから。

 だから、この扱いに特に不満はなかった。


「それでは、早速ーー」

「総長……っ!」


 突然、扉が勢いよく開け放たれ、ひとりの騎士が入ってきた。はぁはぁと息を切らし、押さえた腹からは血が大量に流れている。ガーダ総長が膝をつき傷を診ようとするが、騎士は暴れれながら回らない舌で叫んだ。


「と、とつぜ……! 仲間が……ッ! 仲間が、仲間を……!」

「!」


 どう見ても只事ではない姿に、一気に空気が張り詰めたものに変わる。騎士は半狂乱になっているのか、頭を抱えて叫び続ける。


「お、襲われた。襲ったんだ。みんな、みんなが……!」

「! くっ……」


 そのまま倒れ込んだ騎士の息を確認しーー総長は歯を食い縛った。しかしすぐに立ち上がり他の騎士に指示を出す。三人は偵察と人々の身の安全を確保、一人は自分と聖女の守護。一人はルウクの護衛とした。


「待て! 俺は」

「貴方は一般人です。巻き込むわけにはいきません」


 この稽古場には隠し通路があり、そこから聖女のいる部屋や、緊急時に使うための出口があるらしい。


「私が殿を務める。二人が先導だ」

「はっ」


 速やかに移動を開始する。ルウクは一度だけ後ろを振り返った。

 怖いほど真っ直ぐに前を見つめるガーダ総長の遥か後方に倒れる、息絶えた騎士の表情。苦悶に歪み、最期まで恐怖に満たされていただろう彼を。


「……」


 弔いなど、今はしている暇はない。それは分かる。しかし、放置される騎士の姿に、ルウクは何とも言えない気持ちになった。


「……出来ます」

「?」


 慎重に、しかし素早く薄暗い廊下を駆ける。ルウクの様子に感じ入るものがあったのか、ぽつりとガーダ総長は呟いた。


「死んでいった者への弔いは出来ます。生きてさえいればーー心の中でも」


 生きてさえいれば、弔いは出来る。いつだって、思うことが出来る。ガーダ総長の言葉には、状況に対して割り切るべきという感情と、ひとかけらの感傷があったような気がした。

 ルウクは心の中で、名も知らない騎士のことを思い、偲ぶ。かつて喪った家族や故郷の人々に対して、そうしたように。



「あの部屋です!」


 角を曲がり、前方。廊下の突き当たりに見えた部屋。そこに聖女がいると、騎士は叫んだ。

 部屋の警護に当たっていた方の聖堂騎士ふたりは、突然やってきた総長らを見て目を剥く。


「説明は後だ! とにかく今はーーッ!?」


 瞬間。後方から、マナーー世界樹から生み出される、あらゆる命の源ーーの高まりを感じ。一行はすぐさま後ろを振り向き、騎士達は盾を構えた。


「!」


 手のひらほどの大きさの火球が、遠くから一直線に飛んできた。素早くガーダ総長は身丈ほどの盾で防ぎ、火球の軌道は逸れる。大した威力はなく、壁に辿り着くより先にジュッと音を立てて消滅した。


「……お前は……っ!?」

「なっ……!」


 薄闇の中。現れた人物に、一行は口々に声を上げる。……それも、そのはずだ。

 そこに立っていたのはーー先ほど稽古場で息絶えたはずの騎士だったのだから。


「ぁ……あァ……ァ」


 死んだ時と同じように、騎士の表情は苦悶に歪んでいた。しかし、目玉が零れんばかりに見開かれた眼と、ゆらゆらと覚束ない足取りは死人の持つそれではない。

 手には騎士の剣が握られており、もう片方の手はこちらに掌が向けられている。……火の魔法を放ったのは彼のようだった。


「い、一体……」


 騎士がたじろぐ声が聴こえる。ガーダ総長は怯むなと叱咤しつつ、前を見据える。


「もしかすると、これは……」


 そして、僅かな間の後に声を上げた。


「ここは私が引き受ける! 皆はルウク殿を連れて、早く聖女様の元へ!」

「総長!? し、しかし……!」

「この先にも危険が待っていないとも限らない。警戒して進め!」

「は、……はっ!」


 ルウクは躊躇う。理由は分からないが、死んだはずの仲間が敵意を向けてきているという状況は異常だ。それに、先ほど稽古場に行く前に感じた気配のこともある。

 不吉な予感。大きな、何者かの意志が渦巻いているような……そんな気がするのだ。


「ここには何かが……いる。だから……」

「ええ。承知しています。ですから、私のことは心配せずに早く!」

「……っ」


 しかし。ルウクの口はそう上手く動いてくれなかった。自分の中にある感情を適切な言葉にして伝えることが出来ないまま、ルウクは騎士に促されるままに走り出した。

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