第一章 ー泣いていた君ー
1
ーー少年は目を覚ます。ゆっくりと上体を起こすと、ベッドが軋む音が僅かに鼓膜を刺激した。
けだるげに窓を見やると、その赤い瞳に映るは閃光。……いや、彼にとっては閃光と呼べるほどの目映さはなかった。ただの光線が、空に昇っていくだけだと少年は思う。
「…………」
あのときの夢を、久々に見た。十年前、故郷が一瞬にして無くなったときのこと。
彼は、いつも通りの日を過ごすはずだった。いつも通り母に起こされて、朝食を取って、幼馴染の少女と遊んで。そんな日を過ごすはず、だったのに。謎の閃光が、全てを狂わせた。
「……」
生き残りは、少年ーールウクだけだ、と。あの日、ルウクを救った女性は言った。何度みて回っても、他に生き残りはいなかった、と。
(……時間だ)
思考を打ち切るように窓から目を背け、彼はベッドから降り立った。
* * *
「かあさん、かあさん! はやくはやくっ!」
「はいはい。そんなに引っ張らないで」
ルウクが宿屋から出ると、はしゃいだ様子の子供が母の手を引いている光景を目にした。親子は楽しげに笑いながら、ルウクの前を横切る。
「……」
ドン、という音と共に、空に光の軌跡が描かれる。それは天高くで花のように弾け、見ていた人々の声を弾ませていた。
雑踏の中を歩き出すルウクの視界に、色とりどりの光が次々に打ち上がる様が映った。
「お兄さんお兄さん! どうだい、食べていかないかい? 今日は聖女様の出立の日だから、サービスするよ!」
周囲の光景に目もくれず歩いていくルウクに話しかける人間がいた。
そちらを見れば、彫りの深い壮年の男性が、屋台の中でソフトクリームを持っていた。男性は人好きのする笑顔を浮かべ、今一度ルウクにどうかと声をかけた。
「いや……いい。構わない」
「そうかい? こんな目出度い日に、暗い顔して歩いてるもんだから気になってね。また気が変わったら来てくれよ!」
「……ああ」
僅かに頷いて、ルウクは再び歩き出す。屋台が立ち並んでいた広場を、足早に抜けた。
そう。今日は目出度い日。自分が生きている内は二度とないかもしれない、世界の誰もが祝うべき日なのだ。
(……聖女の出立)
このエシュトと呼ばれる世界は、聖都と呼ばれる地と、そこを中心に広がる幾つもの大陸で出来ていた。
エシュトに伝わる神話。その内のひとつに、聖女の伝説があった。こうして聖都全体をあげて祭りが行われているのは、そこに理由があった。
(『聖都に根ざす世界樹、その実りは世界を潤し、人を育み、魔を滅する』)
ルウクは生来、神話などには興味がない。しかし、この聖女についての神話だけは、誰もが子供の内から教育されて知っている。そらで唱えられるほどに。
(『聖女、世界樹が救いを求める刻に生まれ落ち、やがて然るべき刻に光の翼を持って覚醒する』)
ただ、ルウクはこの文言の意味を正しく理解しているかは分からない。もともと勉強は嫌いだったし、自分を救ってくれた女性ーー育ての親も、勉強よりも戦いなどの生きる術を優先してルウクに教えたからだ。
「……ここか」
広間から歩いて数分後。ようやく目的地に辿り着いたルウクは足を止める。歩いていたのは、たったの数分。そう離れていないはずなのに、喧騒は遠くに聴こえた。いや、この空間が異質なのかもしれない。
ルウクが向かっていたのは、聖都を聖都たらしめる場。この世界、エシュトの全てを統べると言っても過言ではない大聖堂だった。
大聖堂の前には円形の庭園が有り、その中央には見上げるほどの高さの純白の石像がある。そこで、人々が静かに祈りを捧げていた。
「……聖女、エレナ」
あたたかな優しい微笑みを浮かべ、周囲の人々と同じように手を組んでいる。そして、彼女の背には身体を包み込めるほどの大きな翼が生えていた。
(…………)
エレナ。前代の聖女であり、旅の最果てでーー力尽きた、と言われる女性。ルウクには、その程度の知識しかない。
けれど、なぜだろうか。子供の頃から、エレナのことを考えると、身体の奥底から嫌な感覚がこみ上げる。胸が掻きむしられるような痛みに襲われる。……だから、ルウクはエレナのことが苦手だった。出会ったこともない、過去の人間に向けて、そんな感情を抱いていた。
「……っ」
耐えるように歯を食いしばり、ルウクは俯きがちに歩き出した。祈る人々のーーエレナの脇を通り過ぎる。
そうだ。本当の目的地は、ここじゃない。彼女の前じゃない。……なのに、なぜ足を止めてしまったのか。
(何も考えるな)
必死に唱えながら、ルウクは行く。大聖堂の、その中へ。
大聖堂は、普段であれば決められた人数の巡礼者のみしか立ち入りを許されていない。が、今日は特別に一般人にも開放されている。ルウクはどの立場かといえば、一般人であり、訳ありの人間だ。
「こんにちは。祈り場でしたら、あちらですよ」
「……いや」
入口近くにいた聖者に話しかけられ、ルウクはちょうど良い、と思い続ける。
「紹介状を持ってきた。教皇に会わせて欲しい」
「……。これは、これは……」
丸まった紙を差し出す。始めは訝しげな表情を浮かべていた聖者だったが、そこに書かれていた文を読むと目を丸くした。
「……どうぞ、こちらへ」
僅かに固い表情で、ルウクは聖者の先導のもと歩き出す。
……聖者に渡したのは、ルウクが育ての親であるシレーヌから受け取った紹介状だった。そこに書いてあるのは『聖女の護衛役にルウクを任命する』といったものだ。
世界樹が救いを求める刻に聖女は覚醒する、という神話のもと。覚醒から十年後、聖女は世界各地に点在する遺跡へ巡礼の旅に出ることとなる。
そして旅を終え、再びこの聖都へーー世界樹の元へと戻ってくる。遺跡で祈りを捧げた聖女の声が世界樹へと届き、それに応えた世界樹が浄化の光を放つ。そして、瞬く間に魔のモノが滅するだろうーーというのが神話の顛末である。
(エレナは……世界樹の前で死んだ)
聖女エレナが、伝え聞いたような慈悲深く平和を願う女性だったとして。彼女の祈りは、叶えられなかった。
それどころか、世界樹の前で息絶えたからか。直後に天変地異が起こり、地面は砕け、海は割れーー人類は全滅しかけたという。
(どうして、あの人は俺にこんな役目を)
出立する聖女の護衛役に、自分を任命したシレーヌについて考える。本来は彼女が大聖堂側から指名を受けていた。だというのに、彼女は突然、ルウクにそれを投げてきたのだ。
『聖女様は、君くらいの歳の少女だという。恐らく護衛は筋骨隆々な大人ばかりではないか? ならば、同年代の子供もいた方が聖女様も居心地が良いだろう。よし、決まりだ』
……そう言って、すぐさま紹介状を書き、ルウクに渡してきたというわけだ。
(そもそも……聖女の護衛役を聖堂側から依頼されるなんて、あの人は何者なんだ)
自分のことは全く話さない育ての親を思い、小さく溜め息をついた。
その後、ルウクは大司祭の間へと通された。大きく聳える豪奢な扉を門番が開け放つと、赤いカーペットの伸びる先に静かに座す大司祭の姿があった。
長椅子に腰掛けた大司祭は白い髭をたくわえ、それに手を当てながらルウクを見やる。
「ふむ。……出ていて良い」
「承知いたしました」
ルウクを先導していた聖者が、うやうやしく礼をしてから退出する。その場にはルウクと大司祭、警護と護衛に当たっている聖堂騎士ふたりが残された。
「あいにく、教皇様は身体の調子が優れないのでな。私がこの場を任されている。……さて、君のことは聞いているよ、ルウク・エイデン君。シレーヌから直接、我らの元に手紙が届いた。君が持っている紹介状とは別にな」
聖堂騎士の一人がルウクに近付き、紹介状を渡すようにと手を差し伸べて来た。素直に従うと、そのまま紹介状は大司祭の手元へと渡される。
大司祭は紹介状をゆっくりとした手付きで広げ、眺める。しばらくの間、時計の針の音だけが周囲を支配していた。
やがて、読み終わったのだろうか。大司祭は丁寧に紹介状を丸め直し、傍らの騎士に預けた。そしてルウクを静かに見据えると、厳かな声色で告げる。
「私は、シレーヌのことは信用している。彼女が君のことを推薦するのであれば、そうしても良いのではと思うほどに」
「……」
「しかし、我々は君の実力を知らない。聖女様の旅は過酷だ。もちろん、君が幼少よりシレーヌの手ほどきを受けていたことも、今は一人で旅をしていることも承知だが……言葉で聞いただけでは、誰も納得しないだろう」
当然だ、とルウクは思う。元より、聖女の護衛役に選ばれていたのはシレーヌなのだから。それが、推薦された代理であると言って子供が出てくれば不信感を抱くのも至極当たり前の話である。
「どうだろう。君の力を示して欲しいと言ったら」
「……何をすれば?」
「簡単なことだ。我らが聖堂騎士と手合わせをして貰う。そうだな……五人中、三人から一本を取ることが出来れば、力を示せたと認めよう」
「……その五人が、護衛役に就くわけには?」
……ルウクは、別に護衛役に就きたいとは考えていない。恩義があるシレーヌの頼みだから、それだけだ。だからか、ふと思い立ったことが口から出てしまった。
大司祭は一瞬だけ虚を突かれたような表情を浮かべると、すぐに笑みを浮かべる。
「確かに、それも悪くはないが。彼らには、この大聖堂ーーひいては、世界樹を守る使命があるのだ。加えて、聖女様は旅の間は身分を隠し、一般の巡礼者として振る舞うことになっているのでな。ぞろぞろと騎士を引き連れるわけにはいかんのだよ」
だから、巡礼者が護衛を雇い、旅をしている。護衛役の選出には、そういった名目が通じる人間でなければいけないのだと大司祭は言った。
(護衛なんて筋骨隆々の男ばかりーーなんて言っていたくせに。面倒だっただけか?)
シレーヌの言葉を思い出して、ルウクは呆れに似た感情を抱く。このエシュトという世界全体に関わることを、面倒だからという理由で突っぱねたとしたら……ある意味で、なかなかの大物だ。
「どうだ、引き受けてくれるかな?」
「……。ええ」
「そうか。ありがとう」
大司祭は笑みを浮かべると、手早くその後の予定を立てた。今から二時間後、聖堂騎士団の稽古場にて手合わせを行う、と。
時間を待つ間、ルウクは巡礼者用の客間へ留まることとなった。外出はしても構わないとのお達しだが、特に見たいものも行きたい場所があるわけでもない。ルウクは備え付けのベッドに寝そべって、天井を見上げた。
「……?」
しばらく、ぼうっとしていると。視界の隅に、妙なものが映った。目で追ってみれば、それは窓の外にあるようだ。ルウクは身体を起こし、警戒しながら窓に近付く。ーーすると。
「……?」
窓から見える小さな庭。その生け垣の中から、白い何かが飛び出している。ふりふりと動くそれは獣の尾に似ているが、魔物のような異質な気配は感じられない。しかし、ただの小動物にも見えなかった。
ルウクは静かに窓を開け、それを観察してみる。間もなく生け垣の中から白い何かが顔を出した。
「きゅう」
体毛は白で丸い頭。全身を覆えそうなほど大きく長い耳と、空色の尻尾。まんまるの身体に、小さな手足。かくしてその正体はーー謎の生物だった。ルウクが今までの人生で見たことのない生き物が、そこにはいた。
更に、白い生き物は額と腹に赤と青の石のようなものが付いており、それは陽光を受けてキラキラと光っている。ますます意味不明な存在だと、ルウクは眉を顰め、警戒心を強めた。
今のところは害意が見られないが、もし不審な動きをするようならーーと思った次の瞬間。
「きゅう? ……きゅうっ!」
つぶらな瞳がルウクを捉えたかと思うと、生き物は嬉しそうにきゅう、と声を上げたのだ。その姿は、まるでよく見知った友人と会えたかのような反応に感じられて。……そんなわけあるか、とルウクは自身の発想を否定する。
「きゅうー」
思考に飲まれている内に、白い生き物はぴょんと窓枠に跳んできて。ルウクの目の前までやってきた。そして、呆気に取られているルウクに対し、またしても鳴く。
(何なんだ……こいつは)
おおよそ知能が低そうな顔をしている、とルウクは思った。見るからに呑気そうだ、と。そのせいか、じわじわと警戒心が解けていくのを感じていた。
そのまま、生き物はルウクの手元まで歩み寄ってくると、指先の匂いをくんくんと嗅いでいた。
「きゅ? きゅう。きゅうきゅう。きゅうー!」
「……わけが分からん」
……早く、時間にならないだろうか。
しばらくの間、ルウクを呼びに聖者が現れるまで。ルウクは時を忘れて、謎の生き物と交流をする羽目になったーー。
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