第10話

「……今から二ヶ月前、二学年の担任教師であったライオル先生が突然辞めた事、覚えてるか?」

「それは、まぁ。多くの生徒からも慕われていた教師の方でしたから俺も覚えてます」


 先々月。

 一人の教員がある日突然、教員の職務を辞した。それが、二学年の担任をしていたライオル先生。ただ、辞めた事情については一身上の都合であった筈。


 それが今更、どうしたのだろうか。


「今回、こうして『特級魔法師』であるメノハ・リエントさんを無理矢理呼び寄せた件には、彼が関わっていてね。君達は、『教団』と呼ばれる組織を知っているか」

「『教団』、ですか」


 隣でリュカが首を傾げる。

 俺も彼女と同様に、『教団』というその言葉に身に覚えはなかった。


 その反応を見た上で、アリス先生は俺達からメノハへと視線を移動。


「〝英雄信者〟」


 己に答えを求められたと察し、メノハが口を開く。


 ————〝英雄〟。

 その言葉に、表情が引き締まる。


「『教団』の連中は、かつて多くの人々に崇められた〝英雄〟を信奉する集団って聞いてるわ。そして、彼らの目的は、〝英雄〟を蘇らせる、または、新たな〝英雄〟を造り出す、、、、事」

「それは無理だろ」


 淡々と語るメノハの言葉に、堪らず俺は口を挟む。〝英雄〟と呼ばれていた人間が、どれだけ規格外であったか。

 それは、俺がよく知っている。

 身をもって、知っている。


 だから、言い切る事が出来た。


 蘇らせる事は兎も角、造り出す事なぞ土台無理な話だ。


「ええ。そうね。あたしも無理だと思う。でも、『教団』の連中はそうは考えてない。どんな手を使おうとも、その目的を果たそうとしてる」

「ああ、そうだ。メノハ・リエントさんの言う通りだ。あいつらに常識は通じない。あいつらに関しては、まっとうな思考を期待する方が間違っているんだ」


 アリス先生がメノハの言葉に同調。

 とはいえ、あえてここでその『教団』の話を持ち込んだという事は、これからの事にその『教団』が関わっているのだろう。

 ゆっくりではあるが、事の全貌が見えてくる。


「時にお前達は、〝英雄〟という存在がどのようにして生まれたか、知っているか?」



 ————偉業を成した結果、おいら達は〝英雄〟と呼ばれるようになった。

 それをあえて言い換えるならば、試練を乗り越えた先でおいら達は、〝英雄〟になったんだ。



 ……知ってる。知ってるさ。


 その〝英雄〟達から、〝英雄〟についてはイヤという程教わったから。


 ただ、そうして過去に向けられた言葉を思い返しながら感傷に浸る行為が、知らないが故の沈黙と捉えてか。


 アリス先生は言葉を続ける。


「〝英雄〟とは、逆境という名の試練を乗り越えた先にあるもの、らしい。……それが本当かどうかは知らないがな」


 少なくとも、古びた歴史書にはそう書いていると彼女は言う。


 〝英雄〟と呼ばれる人間達は、越えられない壁にぶつかり、けれども諦めず、自分の限界以上を、自分の『強さ』でどうにか勝ち取った連中。

 立ち塞がる壁を、見事壊してみせた者達。


 それが————〝英雄〟だ。


「早い話、『教団』の連中は、誰が〝英雄〟になろうと気にしない。ただ、この現世に〝英雄〟を造り出したいだけの傍迷惑な連中だ。そして、『教団』は、魔法師の卵が通う学び舎————このアカデミーに目を付けた」

「……じゃあもしかして、ライオル先生は、」

「ライオル元教諭は、『教団』の人間だった。そして、あいつはこのアカデミーに通う生徒の中から、〝英雄〟を生み出そうとしている。『ダンジョン』にて、己自ら、試練を造り出す事で、な」


 アカデミー内に存在する『ダンジョン』は、関係者以外の立ち入りを一切禁じている。

 というより、この世界において『ダンジョン』はいわば財産の一つである。


 『ダンジョン』の中には何が隠されているのか。それは誰も分からない。

 しかし曰く、秘宝が。

 失われた秘術が。歴史の軌跡が。


 様々な金銭では価値が計れない代物が多く眠っているのだとか。


 だから、外部からの手出しをアカデミー側も極力嫌っている上、『教団』の人間を知らず知らずとはいえ、教職として迎えていた。なんて事実を知られるわけにはいかなかったのだろう。


 それ故に、アカデミーにやって来てもあまり不自然に見えないメノハに白羽の矢が立った。


「なら、教員が事の対処に当たればいいのでは?」


 俺は、抱いた当たり前の疑問を口にする。

 先程からずっと言葉を交わしているアリス先生に限らず、こうして二学年の担任教師達までいる。別に、あえてメノハに頼る必要も無かったのでは。ましてや、俺やリュカを巻き込む必要は何処にもないだろうに。


「当然の指摘である。しかし、それは出来ない」

「なぜ?」

「我々教員が動けば、学院長の御息女の命が失われてしまうからだ」

「……は?」


 ずっと黙り込んでいた眼鏡をつけた教師が、俺の問いに答えてくれる。

 しかし、返ってきた言葉は、予想の斜め上をいくものであった。


「どういう事よそれ」

「ライオルの奴がとんでもない置き土産をしていきおったのだ。……期間は二ヶ月。それまでに、『ダンジョン』に放った〝試練〟をアカデミーの〝生徒〟が打ち倒す事。それが出来なければ、学院長の御息女につけた首輪を爆破する、とな」

「……恐らく、絶対的な壁を作るために、教員という存在を徹底排除に動いたのだろう」


 事情を話してくれる教師の言葉を補足するように、アリス先生が言葉を続ける。


 ……道理で、ここ最近、学院長の娘にあたるユースティア・メロジアを見かけないわけだ。

 多くの学生から慕われる彼女が最近全く学院に姿を見せていなかった事に今更ながら納得する。


「首輪を誰に外して貰えばいいだけの話では?」

「試したとも。だが、ダメだった。そして、条件としてアカデミーの〝生徒〟のみと限定されているせいで、外部からの助けすら呼べない」


 だから苦肉の策として、外部から〝留学生〟としてメノハ・リエントを呼んだのだと。

 ……成る程。ならばその策はとても理に適っているように思えた。


「……でも、上級生に優秀な人間はいるでしょう?」


 それでどうにかならなかったのか。

 メノハのその指摘に対して、教員の男は首を左右に振るだけ。


「それがダメであったから、貴女の力をこうして借りることになっている」


 特に、ライオル先生は元々ここの学院の教員だ。


 優秀な人間ほど、その弱点を知り尽くし、更なる逆境をと場を整えている可能性は十二分にある。

 とすれば、一番可能性があるのはやはりメノハか。


「はぁ。それで、残ってる期間は?」


 ライオル先生が職を辞したのは、今から約二ヶ月ほど前。そして、約束の期間は二ヶ月……って、それかなりヤバくないか?


「……あと、三日ほどです。既にこちらは『ダンジョン』の方を諦め、どうにか付けられた首輪を取り外す方法はないかと探している状況です」

「……確かに、時間はないわね」


 そして、メノハの視線が俺に向く。


 しかし俺はその視線から逃げるように、そっぽ向いた。


「……俺は無理だ。期待しないでくれ。俺は、師匠あの人達のように強くない。そもそも、俺が〝落ちこぼれ〟である事は周知の事実な筈だろ。〝英雄〟なんて、無理だ」


 こと、〝英雄〟に関してのみ、根っこの部分から、ぽっきりと俺の中で致命的な何かが既に折れてしまっている。

 あの〝魂の牢獄〟で、『賊王』ヴァルヴァドに言われた一言。


 ————仮にもう千年修練を積んだとしても儂が勝てると言い切れる。


 あれは冗談でも何でもなく、ただの事実だ。


「じゃあ、助けられるかもしれない命を、あんたは見捨てるってわけね」

「……その言い方はないだろ。俺はただ、分をわきまえてるだけだ」


 意地悪をしたいわけじゃない。

 助けられるなら、そりゃあ助けてやりたい。

 俺も、そこまで人でなしになった覚えはないから。


「分をわきまえる?」

「俺は、あんたのように『特級魔法師』なんて言われるような才能はないし、家から勘当されるような人間だ。……多少、戦えるようにはなったけど、それだけなんだよ」


 だから、この件で俺は力になれない。

 そう言い残して、時間がない事は分かっていたのでさっさと俺は制止の声も無視して、部屋から立ち去ろうとする。


 アリス先生を始めとした教員は、以前までの俺を知っているからだろう。

 特別、引き止めようとはしていなかった。


 ……ただ、去り際に視界に映り込んだリュカの何処か悲しげな表情が、ひどく頭にこびりつく。

 そのせいで、立ち去ろうと動いていた足が止まってしまう。


 直後、どうしてか。

 口は「くそ」がつくほど悪く、「ど」がつくほどの気分屋だった『狂人』アポロナイザーと、いつだったか交わした会話が思い起こされていた。




『確実に勝てる戦いだけを見極める。それは戦いにおいて、これ以上なく重要だとも。なにせ、負ければ死ぬ。それが戦いなんだからなァ』


 十人いた師匠の中で、意外なことに、『狂人』と呼ばれていた彼が一番、「人間」らしい人だった。

 アポロナイザーの中には芯があって。

 熱があって。欲があって。

 如何にも人間らしい人だった。


 そして、人間らし過ぎるから、『狂人』と呼ばれるに至った、とも言っていたっけか。


『でも、物事はそう単純じゃねェのよ。時にはてめェの命をベットして、賭けをしなくちゃいけねェ時もあんのさ。どうしてって? ンなもん決まってんだろ。そうしなきゃいけねェからよ』


 例えば、譲れない何かを貫き通す時、とか。


『なァ、グラム。てめェはそもそも、どうして魔法を学んでた? 答えてみろよ。どんだけくだらねェ理由でもオレァ笑わねェからさ』


 魔法を学んだ理由は、実家の意向だった。

 貴族として魔法を学ぶ事が当然だったから。


『じゃあ、次は学び続けていた理由を言ってみろよ』


 学び続けていた理由。

 それは、己がラルフ侯爵家の人間だったから。

 期待してくれている家族の期待に応えたかったから。


『それだけか?』


 まるで、心の奥底まで見透かしたかのようなその瞳に俺は惑わされでもしたのか。


 ……多分、才能がないと分かって尚、魔法を学び続けたのは、世話焼きな幼馴染の隣にいつか立ちたかったからだと思う。


 そう、白状していた。


『いいねェ。そういう理由、嫌いじゃねェよ。でも、そういう事なんだよ』

『そういう事?』

『そういう思い入れのある奴の前じゃァ、オレらは決まって、落胆されたくないって思っちまうのさ。ンで、気付いた時には見栄張って、意地張ってんのよ。何となく、ここで引いちゃダメな気がする。そんな理屈も何もねえクソくだらねえ理由一つの為にな』


 そんな事をする奴がいるのなら、それはただのバカだと思った。


『おうよ。その通りさ。でも、それでもオレらはさ、意地を張りたくなっちまうのよ、男って奴は、バカだからさァ』


 ギャハハ、と頭の悪そうな笑い声を思い切り響かせながら、アポロナイザーは破顔し、


『女ひとりの為に、世界中を敵に回した世界一の大馬鹿から、ひとつ助言だ。男は意地張ってナンボだぜ? 周囲からどれだけバカに思われようと、一人の理解者さえいれば、楽しく生きれるアホな生き物だからよォ?』


 そう告げて、俺の前で彼は酒を呷った。



 ……リュカの隣に、並び立ちたかったから。


 そんな昔の記憶を思い出しながら、我に返る。


 この世界に戻ってきたあの日、あの夜。

 リュカの前で堂々と見返すと言っておきながら、〝英雄〟の言葉を聞いただけで臆し、背を向けようとする。


 たぶん、その選択は間違ってない。


 間違ってないと思うのに、何故か間違いである、、、、、、と思ってしまう。


 このまま部屋を後にしても、きっと父や兄を見返せる日は来るだろう。

 でも、何となく、リュカの側に並び立つ事は一生涯出来ないような、そんな気がした。


 あぁ、たぶん、これがアポロナイザーの言う『理屈も何もねえクソくだらねえ理由』って奴なんだろう。


「……嗚呼、本当だ。俺らって、バカだわ」


 今更だけど、アポロナイザーの言葉に同意する。自分の事を救えない馬鹿だと思いつつも、格好がつかなかったけど、先ほどまでいた場所に戻る。


「……辞退しよう、って思ったけど、そういえば俺、落第寸前だったんだ」


 心にもなかった事を吐き捨てる。


「アリス先生。これって、俺に良い話、なんですよね?」

「勿論だとも。上手くやってくれたら、特別サービスでわたしの授業成績は満点を差し上げよう。ついでに、飯も奢ってやろうじゃないか」

「それ、乗った」

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