第4話

* * * *


 そして、一夜明けた翌日。


「うげ」


 俺は完っ全に寝坊していた。


 あの後、幼馴染であるリュカを家にかえしたものの、心機一転と言わんばかりに翌日は早めの登校をするつもりが、久々、、の真面な睡眠という事もあって予定より大きく俺は寝坊してしまっていた。


 部屋に設えられている時計の短針は、十一を指している。ここまでの遅刻であれば、今日はもう休んでしまった方が賢明だろう。


「……大人しく今日は休むか」


 魔法学院アカデミーは辞めないと昨日散々リュカに言っておきながら、この失態。

 今日はきっと家を訪ねて来るだろうし、謝り倒さなきゃいけないかなと思いつつ、俺は着替えるべく立ち上がる。


「あ……」


 いざ、着替えをしようと試みたところで気付く事実。


「そういえば、この家には制服しか置いてないんだった」


 現状、俺は実家から通うには遠いからと家を借りており、どうせ制服以外必要ないだろうとたかを括ってこの家には制服しか置いていなかった。


 しかし、ラルフ侯爵家の屋敷へ服を取りに戻るのは……論外だ。


 父は兎も角、ヴェルグ兄上に見つかれば、騒ぎになるどころの話ではないだろう。


魔法学院アカデミーを寝坊で休んでおきながら、制服でうろちょろするのはマズイ、よな」


 寝坊で休むとはいえ、折角、〝魂の牢獄〟から戻ってきたのだから、確認ついでに色々と身体を動かしたくあった。

 でも、制服でそれをするのは若干拙いかと気が引けたけれど、


「……いや、今更か」


 俺の評価はどうせ最底辺である。

 だったら、ズル休みをして制服で身体を動かしたところで然程悪影響はないだろう。

 元が最底辺なのだ。

 これ以上下がるものもない。

 そう思いながら、制服に袖を通してゆく。


「ただ、剣がないのが残念だよな」


 俺の鍛錬に付き合ってくれた十人の師匠。

 その中でも、剣士と呼べる人間は特に多く、『暴鬼』、『剣王』、『賊王』、『黒騎士』の四人が剣士であった。


 そのお陰で、俺にとって剣というものが何よりも馴染み深いものになっていたのだが、生憎、ここに剣はない。


「いや、でもまぁ……木の枝一本あれば十分か」


 だが、運がいい事に俺は『詐欺王』の弟子でもある。彼の力を使えば、木の枝一本が一時的にだが、剣に化かす事さえ出来てしまう。


「この時間帯なら近くの公園もひと気はないだろうし……ちょっと身体を動かしに行くか」



* * * *


 そして、家を出て数分程歩いた先に位置する公園。そこで地面に転がっていた木の枝を一本、手に取った俺はじっとソレを見詰める。


 『詐欺王』の真骨頂とは、その名の通り、詐欺る事。つまりは、誤魔化しである。


 正しい認識を阻害し、自分すらも欺いてみせる究極の認識齟齬。

 一時的に、使用者の「思い込み」を実際の現実として昇華させる絶技。

 それがクゼアの極意であり、『詐欺王』と呼ばれていた所以。


 周囲にひと気がない事を確認してから、俺は手にする木の枝が剣であると「思い込む」。


 直後、四六時中握っていた柄の感触と、ずしりとした鉄の重みが伝わってきた。


「よし、使えた」


 本当にちゃんと〝魂の牢獄あの世界〟で学んだ事が現実で使えるかどうかは分からなかった為、使えたという事実に心底安堵する。


 次いで、上段から地面に向けて、素振りを一度。

 心地の良い風切音が遅れて耳朶を掠めた。


「なら、少し汗でもかいとくか」


 アカデミーはサボってしまっている。

 なら、公園で自分の状態を確かめがてら、素振りをして汗を流すのも悪くない。


『————才能のないやつが死に物狂いになるのは当たり前』


 一人として例外なく、俺に向けて言い放ってくれた師匠達の言葉を幻聴し、破顔しながら俺は剣を振るう事にした。


 『暴鬼』の剣技は、暗殺の為のもの。

 『賊王』の剣技は、型にとらわれないもの。

 『黒騎士』の剣技は、誰かを守る為だけのもの。

 そして、『剣王』の剣技は、どこまでも基本に忠実なもの。


 故に、今は『剣王』との修練を思い返しながら、俺は剣を振るう。

 『剣王』を除いた三人の剣士の技というものは、一人で行う鍛錬でどうにかなるようなものでもなかったから。あれらは対人でどうにか経験値を積み上げるしかない剣技であったから。




「…………」


 口を真一文字に閉じながら、剣を振るう。

 真上からの振り下ろし。斬り上げ。薙ぎ。突き。続け様に連撃。

 それらを一セットとして、何十、何百とひたすらに繰り返す。


 土を掘って、埋めて、掘って、埋めて。

 そんな、飽き飽きするような単純行為。


 けれど、俺にとって剣の頂点に位置する人間が、その行為を続ける事に意味はあるといった。

 だから、何千、何万という繰り返しも、意味のある行為として行う事が出来た。



 やがて、二時間ほど経過したある時。

 己の身体の限界が来たのか。

 腕が震え出した時を見計らい、俺はひたすら続けていた行為を止める。


 そして、視線を目の前から若干、明るさの損なわれた空へと向け、剣で半弧を三度描き、


「〝月落つきおとし〟」


 言葉と共に撃ち放たれる三日月の斬撃が、空に位置する月を喰らわんと肉薄。

 なれど、届く前に斬撃は虚空に溶け込んだ。


「……まだまだ先は長いかな」


 もしあれを、『剣王』が撃ち放っていたならば、今頃空高くに位置する月を抉っていたのだろうなと思いながら、俺は苦笑いをし、立ち尽くした。


 ……あぁ、疲れた。


 だから、少しここでゆっくりしてから家に戻るか。

 などと思っていた折、ぱち、ぱち、ぱちと手を叩く音が背後から聞こえて来る。


「基本にどこまでも忠実なのかと思えば、最後のアレは、基本からは程遠い獰猛な一撃だった。良いものを見せて貰ったわ」

「……ひと気には一応、気を遣ってたんだけどな」


 手を叩く音が聞こえるまで、俺以外誰もいないと思っていた。

 けれど、実際は観客が一人いたと。


 その事実を言葉に変えると、何故か笑われた。


「邪魔しちゃ悪いと思って」


 だから気配を消して眺めていたのだと告げて来る人物を、肩越しに振り返り、俺は確認。

 すると、馴染み深い制服が視界に映り込んだ。


学院アカデミー、生……って事は」

「そう。貴方と同じでサボりよ。ただ、あたしの方は訳ありのサボりだけれど」


 暗に、お前とは違うのだと指摘をされ、堪らず俺は苦笑いした。


 今の時間は恐らく昼を少し過ぎたあたり。

 ならば、授業もまだ終わっていない事だろう。


「訳ありって?」

「迷ったの」

「……迷った?」

「そう。今日、転校してくる予定だったのだけれど、迷っちゃって」


 だから、今の今まで外をほっつき歩いていたのだと言ってくる彼女に、俺は絶句してしまう。


 ……魔法学院アカデミーは、そこまで迷うような場所では無いと思うんだが。


「貴方は何の理由でサボり? アカデミーが低レベル、、、、過ぎてつまらないからとか?」


 アカデミーでも特に落ちこぼれの俺が、そんな言葉に頷こうものならば笑い者になる事必至だろうが、生憎、その言葉に頷く気はなかった。


「寝坊だよ、寝坊。寝坊したから、今日は休んでしまおうって思って」


 それに、結果論ではあるけど、遅かれ早かれ自分の現状を確認する必要があった。

 俺自身がどこまで戦えるのか。

 彼らの教えを身体が覚えているのか。

 本当に使えるのか、等。


 だから、良い機会ではあった。


「寝坊、ねえ……。あ、そうだ。もしかして、アカデミーは今から向かってもまだ間に合うかしら?」

「今から? 今からだと多分……六限の授業には間に合うだろうけど」


 全七限の授業とはいえ、二限の為だけに今からあえてアカデミーに向かうくらいなら、もう明日で良くないか。と言おうとする俺の発言を遮るように、


「なら、折角だし、貴方があたしをアカデミーに連れて行ってくれない? このままだと明日も迷う羽目になるわ。流石に一日目は言い訳がきくだろうけれど、二日目ともなると担任に怒られてしまうだろうから」

「……まぁ、それはそうだろうけれど」


 それにしても、この時期に転校してくるなんてどんな訳ありなのだろうか。

 基本的に、アカデミーは貴族家達も含めて通う学び舎であり、それ故に転校などという話は滅多に聞かない。


 それこそ、他国からの留学生とかでない限り。


「メノハ・リエント」

「……うん?」

「コイツ、どんな訳あり転校生なんだって顔に出てたから答えてあげたのよ。メノハ・リエント。それがあたしの名前。あんまり名乗る事は好きじゃないんだけれど、さっきまで盗み見てたお詫びって事で」


 そこで、俺の思考が鈍くなる。


 勘当されたとはいえ、一応俺はラルフ侯爵家の人間だった。

 だからこそ、他国の貴族の知識もそれなりに叩き込まれていた。


 リエントといえば、隣国の公爵家の名前。

 そして、メノハといえばリエント公爵家の麒麟児として知られ、世界に殆ど存在しない『特級魔法師』と呼ばれる最上位の魔法師の名前。


 ならば、先程まで全く俺が彼女の存在に気付かなかった事も道理といえた。


「……成る程、そういう事か」


 勘当のタイミング。

 ヴェルグ兄上が俺の存在自体を消してしまおうと考えた理由。

 それは恐らく、メノハ・リエントがこのタイミングで転校してくる事を知っていたから、なのかもしれない。


 考え過ぎという事もあるが、リエント公爵家の人間に、ラルフ侯爵家には落ちこぼれがいる、と知られたくなかったとすれば、あのタイミングの勘当も頷けた。


 けれど、今となっては感謝の念しか湧き上がらない。

 そのお陰で、俺は師匠達に出会えたのだから。


「……??」

「あぁ、悪い。こっちの話だ。で、案内してくれって話だったよな」

「ええ」

「ちょうど、俺の用事も終わってた事だし……分かった。連れて行くよ」


 

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