第3話
* * * *
〝魂の牢獄〟で聞いていた通り、あそこでの百年は現実世界での数分程度、という話は本当だったようで、百年前に目にしていた光景が百年越しにそのまま俺の視界に映り込む。
馴染み深い灰色の空。
そこは、見慣れた俺の部屋の天井だった。
そして、側には何故か、泣きそうな顔で俺を見詰めてくる幼馴染————リュカの姿があった。
けれど、リュカがどうしてここに居るのか。
家に辿り着く前に襲われた筈の俺が何故、家にいるのか。
それらの疑問が頭の中でぐるぐると巡る中、刺されたであろう腹部へと手を伸ばすと、衣服こそ破れてはいたが、傷らしい傷は見受けられなかった。
「……ルドリアか」
『屍人』ルドリア。
それは師匠の一人であり、稀代のネクロマンサーであった人間。
自身もリビングデッドのような生命力を誇っており、付けられた名前が『屍人』。
そんな彼女の極意を、俺もまた受け継いでいる。故に、傷が塞がっているのだと理解をして、彼女に心底感謝した。
「……心配したんだよ、グラム……!! グラムってば、深刻そうな顔で実家に向かったっきり帰ってこないし、心配になって様子を見にきたら家の前で倒れてるし……!!!」
そういえば、
家の前で倒れていたのは事故死として処理するつもりだったからなのか。
兎も角、家の中まで運んでくれたリュカには感謝してもしきれない。
「……悪い。心配、かけたよな」
「ねえ、グラム。何があったの」
言い詰まる。
傷こそ塞がってはいたが、着ていた制服は刃物の跡とその部分だけ赤く変色してしまっている。
何もなかった。と嘘を貫き通すには少しばかり厳しい状況であった。
だから、端的に、
「勘当された。もう二度と、ラルフの名を名乗るなって言われてきた」
〝魂の牢獄〟の事は伏せ、リュカが知りたいであろう事実を述べる。
瞬間、悲痛なまでに彼女の表情が歪んだ。
この世話焼きな幼馴染は、俺がどうにかして父や兄達を見返したいと願っている事を知っていた数少ない人間だ。
だからこそ、その機会すらも取り上げられた事実を聞いて、絶句してしまっていた。
しかし、それも刹那。
「……なら、だったら、この機会に
「辞めない。俺は辞める気はないよ、リュカ」
————辞めよう?
きっと、本来であればリュカの口から紡がれたであろう発言を強引に俺は遮る。
彼女は、俺が生傷絶えない生活を送っていた事を誰よりも知ってる人だ。
だからきっと、実家との縁が切れたのだから、これ以上、苦しむ必要はないという思いでそう言ってくれようとしたのだと思う。
だけど。
「リュカにはまだ言ってなかったけど、俺、新しい目標が出来たんだ。だから、辞めないよ。辞めたくない。馬鹿にされたまま、終わりたくないんだ。何より、そんな事をしたら俺は『
十人の師匠から、極意を教わる際。
誰も彼もが俺にひとつだけ約束をしろと条件を付けてきた。
『拳王』ハイザであれば、俺が教える極意を『女』にだけは使うな。
それが、どれだけ救えない極悪人だろうと。
『黒騎士』ファイナであれば、手前が極意を教える代わり、『ベルトア』姓の人間と出会う事があれば、一度だけ手を貸してやってくれ。
……そんな、約束を十人分。
そして、『詐欺王』クゼアとの約束は————逃げない事であった。
みっともなく負けるのは仕方がない。
でも、目の前に立ちはだかった障害から逃げる事は今後一切許さないというものであった。
「あい、つ?」
とっても性格の悪い詐欺師の事。
そう言えたならば、どれほど楽だったか。
でも、〝魂の牢獄〟での話を今ここで持ち出す気はなかった。
だから、言葉の綾であると言うように苦笑いをして誤魔化す。
「それに、今ここで俺が逃げたら、二度と
その為に、俺は百年学んできた。
才能はないと知っているから、それこそ、死に物狂いで学んできた。
そして、師匠達の名を世界に刻んでやるのだ。
俺にはこれほど素晴らしい師匠がいるのだと声高に叫んでやるのだ。
それはなんと素晴らしいことか。
面白いことか。
窓越しに広がる夜空は、百年前より明るいものに思えた。それはまるで、常にかかっていた暗い紗が取り払われたかのような。
世界で唯一、俺だけがあの〝英雄〟達の弟子なのだと。その事実が、俺の世界をこれ以上なく、明るく照らしてくれる。
故にこそ、こんな俺に百年付き合ってくれた〝英雄〟達に恥じない生を歩まなくては。
今日からは、前だけを見て生きていくんだ。
〝魂の牢獄〟で見守ってくれてる師匠達の分まで、精一杯————!
「父も、兄も、
俺自身のこと。
こんな才能なしに世話を焼いてくれるリュカのことも、もう二度と誰にも馬鹿にはさせない。
「————俺は、生きてる!!!」
己の中で百年止まっていた歯車が、その言葉と共にゆっくりと回り始めた。
* * * *
「————全く、どいつもこいつも素直じゃないわねえ」
それは、グラムのいなくなった〝魂の牢獄〟にて行われていた会話。
『魔女』ビエラが静かになった空間で、呆れ混じりに声をあげていた。
「それはどういう事カナー?」
独特のイントネーションで、小柄な少年『暴鬼』アンゲラが反応する。
「
「儂は事実しか言っとらんよ」
「
まるで、剣以外なら違うと言わんばかりの物言いに、喜色満面の笑みを浮かべて今度は無精髭を拵えた大男————『拳王』ハイザが答える。
「徒手空拳の才も無かったぞ。体術も同様にな」
「そういう事を言ってるわけじゃないって分かってて言ってるでしょアンタら」
無駄な問答をさせられた事にビエラが怒りつつ、このままでは埒があかないと判断してか。
あぁ、もう! と、乱暴に髪を掻きむしった後、
「————この中で、自分の極意が十年で身に付けられる人間がこの世に存在すると思ってた奴がいるなら名乗り出なさいな」
その一言に場は静まり返る。
ただ、静寂は長くは続かず、そこかしこで笑い声が漏れ始める。
「才能がない? ええ、まぁ、そうでしょうね。アレは、そもそも
増長させないために。
そもそも増長する余裕すら一切与える事もなく、一方的にボコボコにしながら戦い方を誰もが教えてきたのだ。
気づく余地は、どこにも無かった筈だ。
「とはいえ、ああいう面白おかしい子こそ、あたし達の弟子って感じするわよねえ。こう、常識の枠組みに入らない感じが特に」
「違いねェなあ」
獰猛に笑みながら、返事をしたのは『狂人』アポロナイザー。
————普通に優秀で、普通に才能がある人間相手だったら、きっとこの中の全員が途中でつまらなくなって投げ出してたでしょうし。
『魔女』のその言葉に、誰もが同意した。
そもそも、〝魂の牢獄〟に囚われる〝英雄〟達は誰もが一癖二癖ある者達だ。
親切に鍛えてやるお人好しはここには存在しない。あるとすれば、好奇心に動かされるような気紛れくらいか。
そして、その気紛れを運良く勝ち取ったのがグラムという少年だった。
故に、グラムは何も知らなかった。
実は、己の師匠達に認められていたことも、彼らの極意を受け継いだ事自体が異常である事も何もかも。
そして、『才能なし』と言われ続け、比較してきた者達が、大国の総戦力を駆使し、多くの被害を出しながらも禁術で漸く抑え込まれたような規格外しかいなかった事も。
「————存分に羽ばたけ、少年。見捨てた家族なんて、とっとと見返してしまえ」
親愛の情の籠った『魔女』の激励が、場に響き、常に喧嘩腰のような奴等までその時ばかりは破顔していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます