第2話

* * * *


 そして————死んだと思った筈の俺は、次に目を覚ますと奇妙な場所に辿り着いていた。

 そこは曰く、〝魂の牢獄〟。


 禁術によって魂を囚われた十人の〝英雄〟達の住処であった。

 本来であれば、死んだ場合、その魂は〝魂の牢獄〟とは異なる場所にたどり着くらしいのだが、どうにも、俺は何の間違いか。

 〝魂の牢獄〟に迷い込んでしまったらしい。


 加えて、〝英雄〟達曰く、俺の身体は死んではいないらしい。

 死の淵を彷徨っている事は間違い無いが、それでも死んではいないのだと。

 


 だが、元の身体に戻るにせよ、〝魂の牢獄〟を後にするまで恐らく百年近い年月が掛かる上、現実に帰ってきたとしても、ここでの百年は現実世界で数分程度故に、殺されるような立場ならば、今度こそ死ぬだけだぞ。


 その言葉を受け————鍛錬を積むと決めたのが今から、百年前の話だった。


「————しかしだ、坊主」

「なんだよ、師匠」

「おんし、やはり驚く程に才能がないな」


 白に染まった顎髭を拵えた老人に見下ろされながら、、、、、、、、、俺は言葉を返す。

 やって来た言葉というものは、耳にタコが出来るほど聞いて来たものであった。


 老人の手には一振りの剣が。

 そして、仰向けに大の字になる俺の側には叩き折られた剣の残骸があった。


 老人の名を、ヴァルヴァド。

 かつては『賊王』と呼ばれた伝説の義賊だった男らしい。

 それでもって、十人いる俺の師匠の中で、一番優しい人間。手心を加えられてボロ負けコレなのだから、もう一周回って嫉妬すら起きない。


 しかも、これが百年死に物狂いで鍛錬した結果なのだから、千年前の〝英雄〟と呼ばれていた連中は俺とは根本から違うと思った方が賢明だろう。


「……才能がないから、俺はあんたらに教えを請うてたんだ。強くなりたかったから」

「まぁ、才能が皆無の身でよくもまあ、百年も耐えたというべきか。特に、他の連中の修練は過酷だっただろう? 『薬神』に『暴鬼』、『魔女』と『屍人』、『拳王』あたりもエグそうだ。いや、『狂人』のやつも……あぁ、やっぱやめだ。儂を除いた全員が頭が逝ってたわ」


 そう言って、ヴァルヴァドは呵々大笑した。

 俺からすれば、この百年の間に何億回殺されかけた事か!! と怒ってやりたい気持ちでいっぱいだったが、彼らから幾度となく突き付けられた『才能のないやつが死に物狂いになるのは当たり前』という言葉が脳裏を過り、思いとどまる。


「とはいえ、恥じる必要はない。儂に真っ向から剣で勝てる奴は、過去を一万年遡ったとしても、あの堅物『剣王』くらいのものよ」


 師匠の一人。

 『剣王』ヴェリィならば、確かにヴァルヴァドに勝てるやもしれない。

 いや、勝てるとすれば彼女以外に誰もいないだろう。それ程の武を彼女は持っていた。


「それに比べ、おんしは話にならん。剣での立ち合いならば、儂に圧倒的に劣るだろう。おんしに勝ち目はゼロだ。仮にもう千年修練を積んだとしても儂が勝てると言い切れる」

「……さいですか」


 身体を起こしながら答える。


 ボロクソだった。

 いや、それだけの力の差がある事は身をもって知っているからこそ、反論はしないが、それでもグサグサと見えない矢が俺の心に複数本、容赦なく突き刺さっていた。


 ……けれど、ヴァルヴァドの言葉はまだ続く。


「だが、あくまでそれは剣での立ち合いならばの話だ。純粋な強さはまた別よ。事実、数多の剣術を極めた『剣王』であっても、儂と殺し合いをしたならば、五割の確率で失命するだろうさ。殺し合いとは、総合力がものを言う世界ゆえ」


 そうだ。

 俺が求めたのは剣の技量ではなく、純粋な〝強さ〟。

 誰にも〝落ちこぼれ〟などと馬鹿にされずに済む————純粋な〝強さ〟。


 それを求めて、俺は彼らの弟子となった。


「その点、おんしはそこそこに強くなった。百年前、ここ〝魂の牢獄〟に迷い込んできた頃とは比べ物にならん程に」


 盛大に弱い弱いと言われた後だからか。

 褒められている気は全くしなかったが、一応これはヴァルヴァドなりに褒めてくれているのだろう。


「おんしが儂らに勝つのは一万年早いが、それでも必要以上に己を卑下する事はない」

「……それ、褒めてるのか?」

「当然だろう? それに、勘違いをするなよ坊主。弟子より弱い師匠はおらん。おんしが儂らの弟子である限り、この力関係は一生涯変わらないものと思え」

「うぐ」


 出来れば、超えるまではいかないものの、追い付きたくはあったんだけど……という俺の内心を覗き見でもしたのか。


「そこは喜ぶところだろうが、坊主」


 めちゃくちゃ呆れられた。

 ここで呆れついでに骨を折ったりしてこないあたり、やっぱりヴァルヴァドが師匠達の中で一番優しいなあと、心の中で俺は涙した。


「おんしの中には、一生儂らという壁が付き纏うのだ。これさえあれば、いつまでも己の強さに納得は出来んだろう? ならば、おんしの〝強さ〟という伸び代が途絶える事はない。ほらみろ、喜ぶところだっただろう?」


 ————おんしの師匠の中には、孤独で強さを求め続けた者。師匠と呼べる人間から捨てられた者。そんな者もいるのだ。それと比べれば、恵まれ過ぎよ。


 そう言って言葉が締め括られる。

 それが、これから先、自分達がいなくても鍛錬を怠るなという激励であると理解出来てしまって、物寂しい気持ちに陥る。


「……まだまだ、学び足りないんだけどな」

「そうだな。出来る事なら、もう千年ほど稽古をつけてやりたかったわ」

「流石に千年は長過ぎだよ。強くなる前に俺が殺される、、、、。たった百年の間に、俺が何回殺されかけた事か」


 特に、『薬神』の奴がとんでもない存在だった。


 『薬神』エスペランサ。

 彼の作る薬は、まさしく神の如し。


 治癒師という概念を鼻で笑える程の男であり、壊れた身体を治すくらいならば朝飯前。

 即死でなければ蘇生させられる薬すら『薬神』は作ってみせる。


 十人いる師匠の中でも特に得体の知れないドS薬師。それがエスペランサだ。


 十年おきに一人の師匠から稽古をつけてもらい————計、百年。という配分だったのだが、そのトップバッターが『薬神』であった。

 理由は単純明快で、それが一番都合が良いから。


 毒の耐え方。

 痛みの耐え方。

 魔法の防ぎ方。

 薬の作り方。

 応急処置の方法。


 それら全てを教わった。


 しかもその全てが命懸けであり、俺の師匠は過激な奴が大半だから、十年の間に薬の作り方を全部覚えないとキミ死ぬよ?

 などと脅され、死ぬ気で頑張った記憶は未だ新しい。


「『賊王』である儂が霞む程、過激な奴が大半だからな。だがまあ、奴らの考え自体間違ってはいない。物事の根本的な解決を求めるならば、早い話、『痛い目』を見る他ない。貴重な人生経験として身体に刻んだ方が手っ取り早いからな」

「……それで何度も殺されかける羽目になってたから、俺は正しくないと思うに一票だ」


 確かにヴァルヴァドの言い分自体は間違ってはないと思う。

 でも、それをしていい人間としちゃいけない人間の区別は最低限しないといけないと俺は思う。


 特に、手心という二文字が行方不明になっていた『剣王』と『黒騎士』と『詐欺王』。

 あいつらにはヴァルヴァドから『手加減』という言葉を是非とも教えておいてやって欲しい。

 マジで。


「まぁ、許せ。どいつもこいつも、初めての弟子が出来て舞い上がってたんだ」


 他の師匠達が俺を殺しかけている場面が容易に想像出来てしまったのか。

 ヴァルヴァドが面白おかしそうに笑っていたが、全くもって笑い事じゃない。


 ……ただ、どの師匠も体罰が厳しかったが、己が習得した極意を教えてくれる時はきまって嬉しそうな表情を浮かべていた。


「なにせ儂達は、〝名もなき英雄〟であるからな」


 歴史から消され、〝魂の牢獄〟に囚われた元〝英雄〟。それが、俺の師匠達であった。


 誰も彼もが万夫不当の豪傑達。

 しかし、彼らの名は後世に一切残されていない。それどころか、生きた痕跡すら消されている。故に、〝名もなき英雄〟。


 そんな彼らの魂が彷徨う〝魂の牢獄〟に、実家を勘当され、存在自体が不都合であるからと殺されかけた俺の意識が迷い込んだのがかれこれ、この世界での百年前の話。


「儂らの唯一の心残りといえば、己が会得した極意を後世に何一つとして残せなかった事だった。だからこそ、おんしには文字通り、死ぬ気で叩き込んでやった」

「……だろうな」


 寝る時間は『薬神』の薬でカバーしろ。

 気絶しても『薬神』の薬で起こしてやる。

 気合が足りないなら、『薬神』の薬でそれもカバー……などなど。

 そのせいで軽く、エスペランサの存在が俺の中でトラウマになっている程。


 だから冗談抜きでここから千年、となると文字通り俺が死ぬ事は間違いないだろう。


「ゆえ、誇れよ、坊主。おんしは、儂らの扱きに耐えた唯一の弟子よ。確かに才能はちっともないがな」

「……最後のそれはいらないだろ」


 まぁ、事実だから仕方ないんだけれども。


 そして、そうこう話している間に、時間、、がやって来たのか。

 俺の身体が幽霊のように、薄れてゆく。


 元々、俺はこの〝魂の牢獄〟において、部外者だった。だから、師匠達からは偶々ここに辿り着いたみたいたが、百年も経てばお前の存在は追い出される事になる。

 そう警告を受けていた。

 故に、百年という修練の期間であったのだ。


「————おいらの名前に泥を塗ったら、殺すからな、グラム、、、


 やがて、ヴァルヴァドと俺しかいなかった空間に、人の気配が増える。

 次いで、言葉が一つ。


 それは、『詐欺王』と呼ばれていた幻術使い、クゼアの一言であった。


「気に入らねーやつは取り敢えずぶん殴っとけ」

「やだやだ。これだから野蛮人は」

「……なんか言ったか? 『魔女クソババア』」

「黙ってろって言ったのよ、『拳王クソジジイ』」


 ぞろぞろと師匠達が集まってゆき、そこかしこで戦争でも起きそうな剣呑とした空気になってゆくものの、いつもの事だと割り切って俺は殊更に大きく息を吸ってから声を上げることにした。


「すぅ…………世話に、なった!!!」


 そこで、会話が止む。

 十人の師匠全員の視線が俺に向けられた。


 中には殺気のこもったやつもあるが、百年の時は偉大であり、それも個性であると俺は割り切れるようになっていた。


「もう、あんまり時間はないみたいだから、一人一人に別れの言葉は言えねえけど……聞いてくれ。俺、この百年で一つ、夢が出来たんだ」


 俺が〝強さ〟を望んだ理由は。

 俺が彼らの弟子となった理由は、俺の事を〝落ちこぼれ〟と呼び、〝家の汚点〟と呼び、蔑んできた連中を見返したいからだった。


 それは、師匠全員に話している。

 というより、話せと強要された。


 だから、俺はひたすらその為だけに百年を費やしてきた……つもりだったのだが、気付けば他に目標が出来ていた。

 それは、夢とでもいうべきか。


「誰も彼もを見返したいって想いに変わりはないけれど、それ以上に俺は、師匠達の名を世界に残したいと思うようになったんだ。体罰すげえ多かったし、意地悪りぃやつも多かったけど、それでも、俺にはこんなにすげえ師匠がいるんだって————世界中の奴らに自慢、、をしたい!!」


 血の繋がった家族はいたが、愛情なんてものとは縁のない家族だった。

 そして、〝落ちこぼれ〟である俺に、世話を焼こうとする者はたった一人だけいたけれど、それでも、近づいて来るのは殆どが蔑む目的の奴くらい。


 それもあって、なのかもしれない。

 常に厳しいし、体罰多いし、性格はひん曲がってる師匠達であったけれど、百年の時を経て、彼らの存在というものは俺の中で大きなものへと変わっていた。


 だから————〝自慢〟をしたかった。

 百年修行しても、手すら届かない頂にいる十人の師匠達の事を。


「だから、見守っててくれよ、みんな」


 俺は歯を見せて笑ってやる。

 正真正銘の笑顔ってやつを、浮かべた。


 そして、十人十色の返事を聞きながら、俺の存在は百年滞在した〝魂の牢獄〟から薄れ消え————元の場所へとかえる事となった。

 心地の良かった夢のような世界から、俺が忌み嫌っていた現実の世界ってやつに。

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