04話.[なおさらのこと]

「葵、こう言ってはなんだが……」


 涼しい部屋の中で課題をしていたら彼女が急にそう言ってきた。

 ちなみに彼女は本を読んでいたわけだから本の内容が悪かったのかもしれない。

 合う合わないは絶対にあるから仕方がないことだ。


「ここはなんというかその……少し退屈になる場所だな」

「私は憂がいてくれるだけで嬉しいけど」

「そう言ってくれるのは嬉しいが……」


 まあお菓子とかだって気軽に食べるわけにはいかない。

 コンビニやスーパーだって遠い。

 彼女も私も甘い食べ物が好きだからそれを食べられないのは確かに微妙かも。


「私はやはり地元の方がいいな」

「それならもう戻る?」

「いや、約束通り十日まではいる、旅費は決して安いわけではないからな」


 ……自分の中の気持ちが簡単に変わってしまうところがいまは気になるところか。

 それでも暗いままでいるよりはずっといいだろうからと片付けて過ごしている。


「それにしても離婚とはな」

「うん、なんだかんだで一緒にいたから急にこうなるとは思わなかったよ」

「しかも理由が葵か」

「関わろうとしなかったからなあ……。自分の分だけ作って食べて、お風呂に入って部屋に引きこもっちゃっていたから」


 父も親として仕方がなくということだろう。

 まあそこが解決しない限りは離婚することができないらしいからね。

 どちらが引き取るかで言い合いがあったかもしれないということを考えると普通に申し訳なくなってくる。

 私がいなければそんなことで悩む必要はなかったし、なにより離婚だってしないで済んだんだから。


「葵、勘違いしないでほしい」

「え、お、お父さん?」


 唐突にやって来たから驚いた。


「葵が原因で離婚になったわけじゃないんだ」

「いいよ、正直に言ってくれれば」


 私ももう高校生なんだからある程度は片付けられる。

 それは残酷な指摘ではない、ただ事実を指摘しただけでしかないのだから。


「まあいいではないか、葵が原因ではないならまだ納得もできるだろう?」

「だけど私が原因としか思えないし」


 マイペースな状態から現実を知りこもりがちになってからああなったわけだし。

 あの頃から家族で仲良くという雰囲気はなくなってしまった。

 みんななるべく干渉しないようにしてトラブルを起こさないようにという感じになった。


「もう言っても仕方がないことだ」

「そうだけど……」

「いいから、自分の父親がこう言ってくれているのだから信じておけばいい」


 彼女はこちらの頭に手を置いて「もう終わりにしよう」と。

 頷いたら父もどこか安心したような顔になって部屋から出ていった。


「こう言ってはなんだが母の方に付いていくわけではなくてよかったぞ」

「でも、言ってくれればよかったのにね、別に引っ越すわけじゃないって」


 荷物をまとめて持ってきたのにあんまり意味がなくなってしまった。

 物が少なかったから苦労はしなかったけど多かったときのことを考えると……恐ろしい。


「それは葵も悪いがな、避け続けられていたと聞いたぞ」

「うっ、だってどうせもう関わることもないだろうからって……」

「葵は極端すぎだ、まあ唐突に両親が離婚ということになったら無理はないのかもしれないが」


 こういうのはあくまで漫画とか創作世界の話だと思っていた。

 誰だって自分の両親が離婚するなどとは想像もできないだろう。

 ずっと前から家族関係はあまりよくなかったものの、私がなんだかんだでいてくれると楽観視していただけなのかもしれないけど。


「父親とふたりきりで上手くやっていけそうか?」

「うん、今度こそこんなことにならないように家事を頑張るよ」

「これまで自分の分はしていたのだろう?」

「それでも洗濯物なんかはお母さんに任せていたから」


 お風呂掃除とかもそうだ。

 私はあくまで自分のためだけにしていたにすぎない。

 あそこで両親の分もご飯を作っておいたりしたらこうなってはいなかったのかな……。


「憂、これからはもっと頼るかもしれないけど……」

「だから余計なことを気にするな、離れるときは一気に離れるからな」

「それもやだっ」

「ふっ、わがままなやつだ」


 憂といると微妙な気持ちになることも多かったけど一緒にいられなくなってからは悲しい気持ちしかなかった。

 結局あれらは強がりでしかなかったのだ。

 駄目だ、離れたら生きている理由がなくなる。

 こう言ったら父には申し訳ないけど彼女がいてくれているおかげで私は生きられているのだ。


「安心しろ、離れるつもりはいまのところないからな」

「ほんと……?」

「ああ、離れるつもりならここに来ていないだろう?」


 確かにそうか、普通だったら九月まで顔を合わせなくて済むようにするよね。

 残念ながら完全に離れるということは不可能になったのならなおさらのこと。

 旅費を出してもらったとはいえわざわざ付いてきてくれたんだから信じなければ駄目だ。


「そういうところが好きだよ、私がいくら駄目なところを見せても愛想を尽かさずにいてくれるところが好きだよ」

「駄目なところはどんどんと指摘させてもらうがな、ま、葵も悪いところばかりというわけではないから不安にならなくていい」


 伸ばしてきた手を今度は私から掴んだ。

 彼女も握り返してくれてただそれだけで嬉しかったのだった。




「あー……」


 自宅の部屋に寝転んでいたらなんだか物凄く懐かしい気持ちになった。

 あれから変わったことは確かにある。

 なるべく部屋に引きこもらないようにしたこと、父の分まで家事をするようになったこと、母がもう家にはいないこと。

 だけどまだ憂といられることや転校しなくて済んだという点は大きかった。

 悪く言いたくはないけどあのままあそこで過ごしたら精神が死んでしまうから。


「葵、もう行くからな」

「行ってらっしゃい」

「おう、十九時までには帰るから」


 ご飯を作るタイミングはちゃんと考えなければならない。

 夏場で暑いからすぐ劣化してしまうのだ。

 だからふたりで食べ切れる量というのも見極めなければならないしで難しい。

 掃除も洗濯も全部私がやらなければならないからこれまでと比べれば結構大変で。


「おいおい、お客が来ているのだからこちらを優先してくれてもいいだろう?」

「先にやっておいた方が楽だから」


 色々と不慣れだからそれなりに時間がかかるのだ。

 それに彼女が家に来た時間が早すぎる。

 午前七時にってそんな小学生の子じゃないんだからとツッコミたくなる感じだった。


「結局、好きだと言ってくれたのは違う県にいてテンションが上がっていただけだったのだな」

「拗ねないでよ、これは私がやらなければいけないことなんだよ」


 薄情かもしれないけど父が引き取ってくれてよかった。

 そうでもなければ他県に引っ越すことは確定だったから。

 それがこうして慣れた家に住めているし、大好きな憂ともいられているわけだし。


「ふっ、引きこもっていた人間が言っているのを見ると涙が出そうだ」

「……少しでも不快にさせないようにって考えて動いていたんだよ」


 私だって嫌な気持ちになりたくなかったからささっとやって部屋にいたんだ。

 多分無理やり一緒にいても間違いなく空気が悪くなっていただろうからあれでよかった。

 ――と、両親が離婚する前ならそう自信を持って言えたんだけどな。

 そう、だけどそういうことがあったから変わろうと行動できているんだ。


「それより憂は他の子と遊ばなくていいの?」

「ああ、別に問題はない」

「だけど遊びたい子もいるんじゃ……私だってそうなんだからさ」


 私と一緒にいるということはその時間だけは私を優先して行動しているということだ。

 それはつまり他の子からしたら面白くない状況というわけで。

 人というのはできる限り自分を優先してもらいたい生き物だと思っているから余計にそういう風に考えてしまうのだ。


「私は自分の意思でここに来ているのだぞ?」

「……私はうざ絡みをしちゃったし同情とかもあるんじゃないかって……」

「そんなことで近づいていると思っているのか? もしそうだとしたらかなり心外なのだが」


 当たり前な話だけど彼女は他人だ。

 自分ではないからこそ縛ることはできないし、自由に行動してもらいたいという気持ちが胸の内に確かにある。

 ただ、それでも一緒にいたいという矛盾している感情もあるから難しいのだ。

 彼女が他の友達から嫌われてしまうぐらいならその子達と過ごしてあげてほしいと思う。

 最後にちょろっとだけ来てくれればいいからと、一番優先順位が低くていいからと。


「分かっていると思うけど私は面倒くさいんだよ」

「ああ、知っているぞ」

「だから憂に迷惑をかけちゃうし、なにもしてあげられないからさ」


 彼女はこちらのおでこを突いてから「確かに面倒くさいやつだな」と。


「私には迷惑をかけてもいいと思っているのだろう?」

「……あれは勢いというか……普通はそんな風に行動できないよ」


 それが当たり前になってはいけない。

 相手が折れてくれる前提で動いてはいけないのだ。

 でも、私は自然とそのように行動してしまっている気がする。

 もはや悪い癖だと言ってもいい。

 私にとって彼女は優しすぎたんだ。

 だってこの私がずっと一緒にいたいと思っちゃうほどだよ?

 

「もうこの話は終わりにしよう、意味のないことだからな」

「意味のないことって――」

「何故ならそんなことを言っておきながらも私に甘えてくるだろう?」


 うぐっ、……また悪い行動をしてしまったというわけか。

 相手がそんなことはないと期待して行動してしまったのだ。

 これまでの彼女であれば「余計なことを気にするな」と言ってくれるだろうからと。


「別に嫌ではないから自由にすればいい」

「うん……」

「離れるか葵の近くに居続けるかは今後の私次第だがな」


 それなら来てくれる内は不安にならずに相手をさせてもらうことにしよう。

 離れたいって言ったらそのときはちゃんと見送るんだ。

 間違いなく私といるよりも他の子といた方が有意義な時間を過ごせるんだから。

 それでもいまは決めた通り真っ直ぐに彼女だけを見ようと意識をしたのだった。




「お、久しぶり」

「久しぶり」


 始業式が終わった後、渡り廊下で少しのんびりとしていた。

 理由は憂が友達と盛り上がっているからだ。

 あ、勝手に待っているわけではなくて憂から待っていろと言われたわけだから痛い人間というわけではない……はずだ。


「あれ、あんたなんか変わったね」

「そ、そう?」

「うん、なんか元気になった気がする」


 精神状態はともかくとして元々元気ではあった。

 だからいきなりそう言われても困惑しかないというか……。


「ほら、夏休み前は死んだ顔をしていたから」

「あー……引っ越すことになると思っていたからだと思う」

「ん? なんかあったの?」

「両親が離婚しちゃって……」

「へえ、そりゃ大変だっただろうね」


 それでふさぎ込んで父にも憂にも恥ずかしいところを見せてしまった。

 いやでも無理矢理にでも止めて言ってくれればいいよねと文句も言いたくなる。

 新幹線の駅までは一緒に行動していたんだからなおさらのことだ。

 ……なんて、話そうとしただろうに私が逃げたのが悪いんだけど。


「それで? 今日はなにしてんの?」

「あ、友達を待っているんだ」

「この前の?」

「そうそう」


 だけどもう三十分が経過しようとしている。

 友達と集まって盛り上がっているということは遊びに行くかもしれないし、友達と帰りたくなるかもしれないから帰ってもいいのかもしれない。

 少しだけお腹が空いてきているからなにかを作って食べたいという気持ちがあった。


「あんまり共通点もないのによく関係が続いてるね」

「あの子が優しいからなんだ、そうじゃなかったらもう一緒にはいてくれないよ」

「あんたの支えになってるんだね」

「うん、あの子がいてくれているから生きられてるよ」


 まあ生きられているのは父のおかげなんだけど。

 そっちは物理的な支えで、こっちは精神的な支えということで片付けたい。


「こんなところにいたのか、探したぞ」

「あはは、ごめん」

「ん? また一緒にいたのだな」

「うん、ここでよく会うんだ」


 今日はすぐに離れたりはせずに残っていてくれた。

 外で会ったぐらいだから幽霊というわけでもないだろう。

 そもそも霊感というのはないから幽霊なら見えているわけがないからね。


「あんたのおかげで生きられてるってさ」

「まあ、私は葵にとっていい存在だからな」

「ふっ、自分で言っちゃうんだ」

「ああ、私がいなければ葵は駄目になってしまうからな」


 留まっても仕方がないということで歩きながら話すことになった。

 憂のコミュニケーション能力が高いだけなのかこの子のコミュニケーション能力が高いだけなのかは分からないけど、ふたりは楽しそうに話をしていた。

 こういう感じが真の友達同士みたいに見えるんだよね。

 私の場合は支えられるばかりでなにもしてあげられないからどうしても寄りかかってしまっているように感じるぐらいで。


「どうした、口数が少ないではないか」

「なんか幸せだなって」

「幸せ?」

「違う高校に通っているところだったからさ」


 そうでなくても慣れない土地に難しい人間関係。

 間違いなくあのままだったらふさぎ込んで不登校になっていた。

 もしそうなっていたら父の両親にも迷惑をかけて追い出されていたかもしれない。


「それも憂のおかげだよ」

「違うだろう、それは葵の父のおかげだ」

「……いいじゃん、私がそうやって思っているんだから」


 いまそういう意地悪はいらないんだ。

 私だって分かってる、父のおかげだということは。

 だけどそんな不安に陥ったのも父だって影響しているわけだから、うん……。

 離婚理由には絶対に私も含まれているから棚に上げることはできないけどさ。


「ちょいちょい、ふたりだけの世界を構築しないでよ」

「そもそもどうして貴様がいるのだ」

「って、邪魔ってことかよ……」


 私はそんなこと思っていないから安心してほしい。

 憂は何度も言うけど友達が多いから一緒にいられない時間も多いわけで。

 そういうときに彼女といられれば寂しさというのもなくなるのではないだろうか。

 って、私が憂以外といようとしていることが意外だった。

 窓の外を見て時間をつぶすか歩いて時間をつぶすかをして生きていた人間がこうなるなんて……やはり彼女のおかげだろう。


「あの」

「……ん?」

「友達に……なってください」

「別にいいけど、つか、あんたって私の名前知ってんの?」

「し、知らない……かなあ」


 憂を見てみても首を振るだけだった。

 名字や名前を知らないからこそ自然と話せる……ということもあるのかもしれない。

 事実、少しだけではあっても私はこの子と上手く話せていたわけなんだからね。


「まあいいや、そらって名前だから」

「え」

「は? なに? 私が可愛げがないのに名前が可愛いから変だって?」

「違う違うっ、名字は……」

「別にいいでしょ。空って呼んでよ、私は葵って呼ぶから」


 これを知っているのは憂から聞いていたからなのかな?

 まあ、名前を知られていても別になにもないから気にしないでおこう。

 空さ――空は向こうの方だということでひとり歩いていった。


「むかつくな」

「え? 別に悪い子じゃないと思うけど……」

「あいつはな、問題なのは貴様だ」


 えぇ……なんでそうなるの。

 媚びていたとかそういうのは一切ないのに。


「貴様には私だけがいればいいのだ」

「だけど憂は他に優先したいことが多いからさ、そういうときに寂しい気持ちを味わわなくて済むようにあの子といられたらって――」

「所詮、好きだと言ってくれたのもただの勢いだということだな」


 彼女は「分かっていたがな」とか呟きつつ歩いていってしまった。

 私は数分の間、そこで突っ立っていることしかできなかったのだった。

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