後悔は先に立たないが、希望は立っている

 古くなった椅子や机が積みあがってできた山が、教室の奥にそびえたっていて、それはかなりの壮観である。

 カチッと時計の針が動いた音がする。

 窓からは、野球部かサッカー部かの掛け声が、一定のリズムを刻んで遠くなったり近くなったりを繰り返して聞こえてきて、グラウンドを周回しているのが分かる。

「それではよろしくお願いします」

 富樫とがし先生はそう言って、姿勢を正した。

「はい、よろしくお願いします」

 ワタシもゆっくりと丁寧にそう言って姿勢を正した。緊張感がぐっと高まって心臓に圧迫感をググッと感じる。

影山かげやま君のことについて聞きたいとのことですが、それはなぜですか?」

 至極まっとうな疑問だ。それは、先生として正解のことをしている。

「はい、それなんですが……」

 先ほどまで考えていた台詞を、自然な口調で述べていく。その間、先生は真剣な眼差しでこちらを見ていた。

「……ということで、ワタシに手伝わせて欲しいのですがどうでしょうか?」

 要約すると、「先生も困っているでしょう? なので、少しでも手伝えることがあればワタシに言って下さい」を丁寧に説明した次第だ。

「……」

 静寂がそうさせているのか、それとも緊張して余計にそうなっているのか、自分の心臓がとても早く鼓動しているのを感じる。それがとてもうるさくて、焦る心に拍車をかけ、また余計に鼓動が速くなっている気がする。

「……分かりました。それでは、無理のない程度に協力してください。よろしくお願いします」

 長い沈黙を切り裂いて放たれたその言葉は、十分にワタシを安心させた。その安堵を持って大きく空気を肺に送り込む。いつの間にか浅くなっていた呼吸が、元通りに戻っていくのを感じる。

「ありがとうございます! 自分にできることがあれば言って下さい。自分で考えて行動もしてみますので」

 他のクラスの生徒が、自分の担当しているクラスの生徒の諸事情に対して手伝う、と言ってくることは多少の違和感がある。

 しかし、そこはワタシ、目下もっか 全世界ぜんせかい 今まで培った話術と知識で何とか了解を得ることができた、と思うことで自分を納得させる。

「それでは、僕は部活に行きます。あ、そういえば全世界ぜんせかい君って、?」

 ワタシはその言葉を聞いて最近あったあの出来事を思い出した。


『へゃい!? びっくりした!! あなた今どこから来て……』


 あの時はとっさに手品部と言ったが、それは正確な名称ではなく本当は『奇術部』といった方が響きもカッコよかったしなぁ、と後悔の念がモヤモヤ浮かんでくるが、後悔先に立たずという言葉がある通り、そんなこと考えていてもしょうがない。


 目の前に希望が立っているんだ、後ろに座っている後悔に気を取られるな。


 この言葉が頭に浮かんだという事実を誰かに自慢したかったが、それをしたら台無しだと気づいたので、ワタシはその抜いた刀をそっと鞘に納める。これを言っても笑われない仲間を眺めることができるまでの辛抱だ。

「何処にも所属していないですよ」

「そうでしたか……あ、そう言えば今日、影山かげやま君に渡すためのプリントが数枚あるのですが、さっそくこれを渡すのをお任せしてもよろしいですか?」

 これは絶好のタイミングで絶好のチャンスが訪れている。

「分かりました。帰り際に寄りますね」

「あ、いや待って、確か、影山かげやま君の住んでる所って、全世界ぜんせかい君と真反対だったような……」

「え、どこですか?」


海島うみじま駅だよ」


 あまり聞きなじみの無い駅名に困惑していると、先生が地図をスマホで開きながら教えてくれた。

 ……なるほど、どうやら海側にある田舎の地域に住んでいるらしい。この星ヶ屋ほしがや高校及び星ヶ屋駅は県の真ん中ぐらいで、ワタシの住んでいる三寒越冬さんかんえっとう駅は山間部の田舎に住んでいるので、丁度、真反対の位置にいるということになる。

「大丈夫?」

 先生は心配そうな表情でこちらの顔色を窺ってくる。仕方ないさ、先生は知らない。ワタシが超能力を使えることを。

「大丈夫です、任せてください」

 そう言うと、先生は安堵の表情を見せた。

「では、失礼します」

 先生はそれだけ言うと、急ぎ気味に教室を出ていった。部活があるのに、こっちを優先してくれたあの人の好感度は今、かなり高い。

 そして、同時にワタシは何故、「大丈夫です」と言い切ってしまったのだろうかという後悔に苛まれていた。

 能力が使えるが、それは限定的なものではっきり場所を指定して飛べるわけではない。今までたまたま都合よくいい場所に飛べていたけど、今回は距離も距離だ。

 ここは祈るしかない。そして、ワタシは今一度念じる。


 見栄を張ってしまう自分から逃げたいです。


 次の瞬間に、空き教室はもぬけの殻になり、閉め忘れた窓から今もまだ、運動部の掛け声が響いて消える。



「すみません! 荷物置いて行ってしまい……」

 忘れた荷物を取りにすぐ空き教室に引き返してきた私は、全世界ぜんせかいの姿が見えないことを不審に思った。

「あれ、すぐにここを去ったとしても、廊下ですれ違うはずなのだけれど……」

 誰もいない空き教室、開いた窓から風が吹く。けれど、その窓は直ぐに閉められる。



海島うみじま駅、来たことなかったけれど、これは何というか……想像以上に田舎だな」

 無事に飛ぶことができたワタシはひとまず安心する。

 そして、海島駅に一回も行ったことがなかったので、せっかくだからと寄ってみることにしたのだが、思っていた以上に栄えていなかった。

 それを言うなら、お前の地元はどうなのかと問われてしまうと、何も言い返せないのが悔しいところではあるが、そこは目をつむるのが紳士の心得というものじゃないか? なぁそうだろう?

 じゃあ、ここに良いところが何も無いかと言うと、決してそうではない。それは、目の前の光景を見たらわかる。

 風に運ばれてくる磯の香りと眩しい太陽、いい感じに錆びて風情のある待合室の窓から見えるのは、オレンジに染まる広大な海と空。

 そんなところにポツンと一人だけで立っているというこの状況は、ファンタジーでよくある異世界に飛ばされた人間が抱いている感情に近いのかもしれない。ふとそんなことを思った。

 そして、自分もこんな所で幼少を過ごしたかったな、とも思ってしまったワタシは、冷たい人間だろうか。

 初めて来た駅から見える砂浜は、揺れる波と夕景に沈んでいくのだった。

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