誰か私を怒って
樋口です。
やってしまいました。
酷くやってしまいました。
もう、本当に。
しかも、
例えタイムリープしてその時点に立ち戻ったとしても、
私は今回の事態を回避できる自信が、露のかけらほどもないのです。
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~。。。。。。」
机に顔面を押し付けて、もう何も考えたくありませんごめんなさいもうしませんどうか私を誰か断罪してくださいポーズをとっていた私の頭の上から声が降りかかる。
「ねーさん大丈夫っすかぁ?」
「何一つ大丈夫じゃないよ、立原。。。」
「車ぶつけたぐらいでそこまで凹みますかね?」
ゴクゴク…と、のどを鳴らす音だけ聞こえる。
「ぷはぁ~っ!一仕事終えた後のスポーツドリンクって本当に細胞に染みわたりますね。ねーさんも水分取った方がいいっすよ?」
「いい。今は何もいらない。。。」
「…また
次に頭の上から降りかかってきたのは、広津さんの声だった。
「いいえ。…まだ怒られてません」
「まだ…」
はぁ。。。というため息が聞こえてくる。
「立原、説明しろ」
「ねーさん。プライベートで車ぶつけたらしいんですよ」
「ぶつけてない。ブロック塀の角でこすっただけ」
「いや、ほぼぶつけたと同義語でしょ?…左の後部座席のドア、大根おろしで削ったみたいになってたって言…」
「いーわーなーいーでぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ」
もう両手で机の向こう側の端をつかんでじりじりと力を込めてしまう。
「しかし」
広津さんが訝しげに言う。
「樋口君は運転が苦手なわけでもあるまい。実際、芥川君の運転手役でもあるだろう?…どうしてそんな」
「たまたま走り慣れていない住宅街に入って行っちゃったんですよ。…妹の通院の付き添いで」
「通院?どこか悪いのかね?」
「悪いというか、…常々皮膚科を探していまして。…で、最近やっと妹の肌荒れにちょうどいい薬を出してくれる先生を見つけたので、そこにちょいちょい薬をもらいに行くようになったんですが。その日がたまたま雨の日でして。…ある程度距離もある病院だったので、それなら車で送って行ってあげる。…って、行ってしまったのが間違いでした」
「なるほど。…住宅街にある開業医だったわけか」
「狭い路地だな。とは思って。入っていったときは良かったんですが、出るときにうっかり、…うっかり…」
そして思い出す。
駐車場から車を出してすぐ、あの反射鏡のある角を曲がる瞬間を。
妙に飛び出た反射鏡を避けようとしてハンドルを切り、この角度ならぶつからない。と安心しきった次の瞬間に聞こえてきた、
ガガガッ。
という、左後ろから聞こえてきた金属音。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁぁぁ~」
両手で頭を抱えながら、机に顔をこすりつけんばかりに。…いや、もう押し付けていた。
「…うむ。保険を使うのは?」
「自損だから効かないそうです」
「あぁ。それは痛手だな。…この際、銃撃を受けたと言ってうまいこと…」
さすがに後半は声を潜めていた広津さんだったが、それを遮った。
「無理です。それやったら首どころじゃありません。横領ですから。ちなみに、組織御用達の板金屋にもうバレてます。これ、プライベートでこすったんですよね?って。銃撃とかカーチェイスとかとは違うって、見抜かれてました。」
「あぁ。…万事休すだな。で、修理費用はいく…」
「きぃーかぁーなぁーいぃーでぇーくぅーだぁーさぁーいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ。」
今度は机に爪を立ててギリギリギリギリギリギリギリギリギリ…
「わかった。わかったからその音を辞めたまえ、樋口君」
見なくても、広津さんがその白い手袋の手で両耳を塞いでいる様子が手に取るようにわかる。
「…見積もりで聞かされた金額が、給料二か月分吹っ飛ぶぐらいだったそうです」
立原は声を潜めたつもりだっただろうけれど、なんせ頭の上での会話だから直で聞こえてくる。ついでに広津さんのため息も。
「それはまた…」
「ねーさん。そんな金額払うぐらいなら、いっそのこと新車買っちまえばいいんじゃないっすか?」
「ローン払い終わったばっかりなのにぃ。。。またローン組むのぉ?…」
「中古とかで割安な奴とか…」
「やだ。グレード落としたくない」
「そんなわがままな」
立原のため息まで聞こえてきたところで、ドアの開く音がした。
そしてしばらくの沈黙の後、頭上に気配を感じる。
「樋口。なにをしているのだ?」
聞きなれたその声はっ!
「せせせせせせっ。先輩っ!失礼いたしましたぁぁぁぁぁぁっ!」
椅子が崩壊せんばかりの勢いで立ち上がる。
先輩は渋い面持ちでこちらを見つめている。
「…樋口、いいから鏡で顔を見てこい」
とだけ言った後、くるりと振り返って広津さんと話を始めた。
ぼーっとその背中を見つめていると、声だけがこちらに掛けられる。
「さっさと身なりを整えてこい。話にならん」
「すすすすすすみませんっ!」
ダッシュで洗面所に向かって、鏡に食いつくようにのぞき込む。
「そらー言われますって。…机でおでこすり下ろすぐらいな勢いでしたもん」
なぜかついて来た立原が後ろでニヤニヤしている。
そう。
私の額は楕円型に赤くなっており、前髪も乱れ放題で。
それはそれは人に見せられた顔とはいいがたく…。
「うぁぁぁぁん。。。先輩にひどい顔見られたぁ~」
「泣き言言ってる暇ないっすよ。オレも銀、呼んできますんで」
「えぇ?なんかあったの?」
「襲撃命令です。決行は今夜」
立原はそれだけ言って去っていく。
「はぁ。。。」
前髪を整えながら、ため息をつく。
深夜残業手当って。あったっけ?
――――――
「誰も私のこと、バカにしないんだよねぇ」
「なんのことっすか?」
相手の動向を見ながら、車中待機。
運転席に私、後部座席に立原。
助手席に座っていた先輩と、後部座席にいた広津さんは外に出て周辺の状況確認をしている。
「…車こするなんてバッカみてぇ。って言ってくれればいいのに」
「あんなに凹んでる人に追い打ちかけらんねぇでしょ?」
「その優しさが胸をえぐる」
「めんどくさいっすね。ねーさん」
「先輩ですら『災難だったな』としか言わないんだよぉぉ~」
「っていうか。今日はなんでまたプライベートの車で来ちゃったんっすか?」
「えぇ?先輩が持って来いって言ったから」
「…芥川さんが?」
「適当な車がなかったから、自分の車持って来いって。…ナンバープレート偽造するのって、けっこうめんどくさいね」
「はぁ。。。まぁ。それにしてもこすりっぷりがエグイですね。」
「言うな、見るな、忘れろ」
「…もういい加減立ち直ってくださいって」
「うっさい。黙れ、ばんそうこう」
「ひっでぇ。八つ当たり」
それからしばし沈黙の時間が流れる。
時刻は深夜を回っている。
不意に、携帯の着信音が鳴り響いた。
「樋口、車を回せ」
「はい」
携帯の向こう側から聞こえてくる指示に従って車を移動させる。
先輩はどこから見ているのだろう?
的確に経路を指示してくる。
そして一人の男が車の前に飛び出してきた。
「それを追いかけろ。退かない程度に速度を落とせ」
先輩の指示通り、男の後ろにピタリと車をつけ、袋小路に追いやる。
「立原、仕留めろ」
「了解っ」
立原が車を降りる。一人で大丈夫か?と思ったが、先輩の声が私が引き留めた。
「バックで引き返せ。後ろから来る連中がいる」
「承知っ」
バックミラーには数人の黒覆面が映っている。
アクセルをふかし、狙いを定めて黒覆面にハンドルを回す。
叫びが聞こえたような気がするが、それはヒットの合図。
左手でハンドルを操作しながら、右手の銃で回り込んだ黒覆面を威嚇する。
「先輩。立原が」
「問題ない。黒蜥蜴が合流する。お前はそのまま表通りに出ろ」
「承知いたしました」
そう告げた直後だった。
ドン。
車の屋根の上から鈍く重い音とともに、タイヤに過度の圧がかかるのがわかった。
「樋口っ」
「先輩。なんです?これ」
「そのまま走れ。速度を落とすな」
「重いです。何が…」
「とにかく走れっ」
ギアはバックに入れっぱなしでとにかくアクセルを踏みまくってハンドルを操作している。
なのに重い。
なんだ。これ。
ふと、前を見た。
見てしまった。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁっ!」
「樋口っ!」
助手席から落ちた携帯から、先輩の声が聞こえていた。
―――――――――――――――――
「巨大化の異能?」
今日も朝から首領執務室では昨日の報告がされている。
「順を追って説明しますと、昨日芥川と黒蜥蜴が襲撃をかけた先というのが、ポートマフィア傘下ではない密輸業者でして。こちらの仕事をいろいろとチクチクと邪魔していた連中でしてね。しばらく様子をうかがってはいたのですが、こちらが手を出さないのをいいことに連中調子に乗っているようでしたので、叩いておこうということになりまして、芥川の判断で襲撃をかけたわけなんですが。…一人、異能使いがいたようでして。」
中也はそこで頭を掻きながらため息をつく。
「うん」
「何を考えたんだか、タコを巨大化させやがりまして」
「…たこ?」
「はい。あの、海にいる、うねるタコです」
「…ん。うん。それで?」
「樋口が自分の車で襲撃に加わっていたそうなんですが、その車の上にドカン。とタコが落ちてきましてね」
「…なんで?」
「追いつめられた奴がですね。倉庫街の建物の屋上に逃げ込んだそうなんですよ。それでですね。芥川がその一部始終を見ていて、仕留めようとしたそうなんですが。なんでか知らないけどそいつがタコを手に持っていたと。」
「うん」
「芥川が言うには、何か手に持ってはいるけれど夜だったこともあって、影になって何を持っているのかわからなかったそうで、様子をうかがっているうちにそいつがそれを放り投げたと。で、空中でどんどん大きくなって、樋口の車に落ちる頃にはかなりの大きさになっていたそうでしてね」
「う…うん。それで?」
「樋口に怪我などはなかったそうなんですが、その。…マフィアとは思えないぐらいなパニックぶりでですね。車の中で泣き叫んでいたとかなんとか」
はぁ。。。中也は深いため息を挟んで報告を続ける。
「最終的に、芥川がそのタコを文字通り八つ裂きにして何とか収めたそうなんですが。樋口の車は全損。そして樋口の精神的ダメージも全損に近くてですね」
「…で。どうしたの?」
「とりあえず、自宅で休ませてるそうです」
「で。その異能使いのほうは?」
「芥川が捕らえました」
「タコ、は?」
「それが。ですね」
中也はおもむろにモニターのリモコンを操作する。
首領の座る椅子からちょうどいい位置に見えるモニターには、ニュース画面が映った。
「横浜近郊の海に、大量の魚の群れが出現いたしました」
そこには、都会に入り組んだ沿岸からの映像に続き、上空から海をのぞき込むようなアングルからの映像が流れる。
深い青の海の中に、黒い淀んだ波が見える。
ランダムにしぶきが上がっているのが、魚の群れたちの暴れる姿のようだった。
「このような状況は非常に珍しく、海洋中のプランクトンの大量発生等の可能性も考えられるものの、原因の特定には至っておりません。近郊を行き交う船舶への影響なども懸念されるため、国は調査に乗り出す方針です」
女性アナウンサーは流暢に言葉を紡ぎ出し、その流れのままに映像は次のニュースに移り変わっていった。
「…これ、ソレ?」
「芥川が羅生門でデカすぎるタコをミンチにしまして、文字通り『沈め』ました」
「マフィアの常套句だねぇ。『ミンチにして海に沈めるぞ』って。…あぁ。なるほどねぇ。後始末、たいへんだったでしょう?」
「ですねぇ。…まだ掃除してるんじゃないでしょうか?」
「まぁ。ねぇ?…それにしたってなんでタコなんか持ってたんだろうねえ?」
――――――――――――――――
たこぉ?
オレの実家のほうじゃ、これを洗濯機で洗って、湯引きして、半生の刺身で食べるんだよ。めっちゃうめぇんだ…
…そーなんだよ。うねっててキモチワリぃんだが、ちゃんと料理すりゃ、ちゃんとうめぇんだよ。なぁんで都会のやつはこんなうめぇもん、見た目がキモチワリぃってだけで捨てようとするかねぇ?…
えぇ?ゴミ捨て場から逃げ出してきたタコを偶然見つけちまいましてね。懐かしすぎてつい手づかみで捕まえちまいまして。
洗濯機でちゃんと塩揉みこんでグルんグルんにして洗うんだからいいだろ?って、今日の酒の肴はこいつだぁ。っていって、さぁ調理しようって時にあんたらがドンパチ始めたわけで。
でまぁ。
タコでっかくしたらこいつら驚くだろぉなぁ~。って思いましてね。
やってみたってわけですよ。
えぇ?この異能、他で使ったかって?
…まぁ、その。クズみたいなダイヤモンドとかあるじゃないですか。
すっげぇちっちぇヤツ。
あれをちょこちょこっとこう。あの、一カラットぐらいの大きさにしたりとかなんとか…えっと。え?あの?…え?おれ、どこ連れてかれ…えぇぇぇぇ???
――――――――――――
「おねーちゃーん。おきゃくさんだよぉ」
「だれぇ?」
布団の中から答えてみるが、妹の答えはない。
自室のドアが開いている気配はするから、こっちの様子でもうかがってい…
「樋口。起きろ」
無理矢理布団をはがされた
ひぇっ!という、声なのか悲鳴なのか何なのかわからない声が喉から出る。
「タコごときで寝込むとは脆弱な奴め。起きろ。そしてこれを喰え」
無理矢理引き起こされて眼前に突きつけられたのは
「た…ぇ?たこやき?」
「食え」
「いやいやいやいやいや。ちょっとまってください。あの。この。その。こんな乱れた姿で…」
「食えと言っている」
いやぁぁぁぁぁぁっ!
「…ぐずん」
「よし。これでお前の恐怖の対象は消えたな」
はい。タコ焼き一舟食べさせられました。おいしゅうございました。
そして恐怖の対象は消えましたが、寝間着ジャージにぐしゃぐしゃ髪のでろでろ顔を見られたショックでもうお嫁に行けないどころか外に出られない。その前に先輩の顔が見られない。
「それ。饅頭こわい方式ってことですか?…えらく古典的な」
妹が先輩に話しかけてる。こら、恐れ多いんだよ。妹よ。
伏して敬え。っていうか、話しかけないでよ。私の先輩に。
「どんな方法だろうが恐怖に打ち勝てばそれでいい。…あとな、樋口。車は新調しろ。」
えぇ?
「お金ないですぅ~」
「…経費で落ちるから」
「へ?」
「襲撃に巻き込まれたうえでの全損と認められたから、金は出るらしいぞ」
「マジで?」
つい。先輩の顔を見上げてしまった。
「やっと顔を上げたな?」
なぜか私のベッドに腰を下ろした先輩と視線が合った。
「わかったか?わかったらさっさと身なりを整えて外に出ろ。15分待ってやる。」
「えっと。えっと。え?任務ですか?」
「車を新調しろと言っただろう。早くしろ。お前の車がないといろいろと不便だ」
先輩はそれだけ言うと立ち上がって部屋を出て行ってしまう。
「は、は…はいっ。ただいまっ!」
さっそく服を着替えようとした私を妹が止めた。
「おねーちゃん。タコ焼きのソースが顔中どころか髪の毛にまでついて汚いから、シャワー浴びてきて。頼むから」
「樋口。30分だ」
聞かれてたぁぁぁぁぁぁぁぁ~。。。
それから。
最速でシャワーを浴びて、髪を乾かして、妹がきっちりアイロンをかけておいてくれた白いシャツに袖を通し、妹がクリーニングに出しておいてくれたスーツに身を包んで、アパートの前に駆け出ると、先輩が電柱の脇で待っていてくれた。
「おおおおおお待たせしてすみませんっっっ」
「いい。いくぞ」
先輩は先を歩いて行ってしまう。
「ああああああのあのあのあのあの。先輩っ」
「なんだ?」
「えっと。いろいろとありがとうございます」
「なんだ」
「あの…その。あの時、私の車を持って来いって言ってくれたのって、その、修理代をどうにかしようとしてくれて…」
「…言っただろう。適当な車がなかったんだ」
「あ。はい。そうですね。はい」
「…タコは予想外だった」
「あれはまぁ。はい。…あんなの。予想できる人のほうが…少ないっていうか」
「タコはツボが好きらしい」
「はい?」
「タコの漁はツボを使うそうだ。…甲殻を持たないタコは身を護るために硬いものの中に身をひそめる習性があるらしい。…車の中に侵入しようとしていたのは、その習性によるものだろう」
うねうねとした吸盤を張りつかせながら、圧力をかけてガラスを突き破ってきた無数の足の気持ち悪さを思い出す。
でも次の瞬間に、先輩の羅生門がその足を引き裂いて細切れにしていた。
「樋口っ」という先輩の声も覚えている。
「あの。…本当に、ありがとうございました」
「まぁ。なんだ」
「はい?」
「片手で運転して銃が打てる女はそういない。妙なことで落ち込んでる暇があったら、自分の能力の高さを信じろ」
「…あぁ。…はは」
「車を新調すると言ったら、中也さんが一緒に行くと言っている。待ち合わせ場所までいそぐぞ」
「え?…ちょ。それを先に行ってくださいっ!」
先輩はスタスタと先を歩く。
私はそれを小走りで追いかける。
そうか。
まぁ、先輩がそういってくれるんだから、いっか。
今度は、…二人でたこ焼き食べたいなぁ。。。
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