9:蟲毒を生成する壺の中では誰も暮らしたくない
「ばーちゃんの配信見たんだ、アラタさん。メンタルやられるからやめたほうがいいよ」
関タクミくんはそういうと、冷蔵庫から牛乳瓶を一本取り出した。器用にふたをあけて、なかみをごくごくと飲み干す。いまどき、牛乳の配達をお願いしている家庭、それが関家。主に息子の心身の成長のために。
前夜に見た配信のおかげで、僕、瀬名アラタはすっかり疲弊していたのだった。関さんが止めた時点で素直に従えばよかったのに、酒のつまみに見ていたら、なんだか嫌な感情のあおりをくらい、そのまま寝込んでしまった。もちろん、情事になど至らなかったので、ふつうに関さんに着替えを借りて、過ごしていた。
すると、元奥さんの家から戻ってきたタクミくんとはち合わせしてしまった。どうやらアカウント譲渡の件で母親のユウコさんと大喧嘩して、日曜まで過ごさずに帰ってきてしまったらしい。
なぜか家にいる僕に不審を覚える様子もなく、歓迎してくれるタクミくんはいい子だ。
タクミくんは小学五年生。初めて会った時から僕になついてくれている。たぶん、僕がゲームクリエイターだからだと思うのだけど、関さんや元奥さんであるユウコさんの周りにはゲーム業界の関係者がウジャウジャいるのでそれだけではないはずだ。理由はわからない。
いやちょっと僕はわかっている。わかっていて、わからないふりをしている。そうじゃないと、困っちゃうので。
「で、タクミくんは、アカウントあげちゃうの、おばあちゃんに」
「絶対やらないよ。アラタさんのキャラがフレンド欄にいるんだから死守するに決まってる」
こういう瞬間、十歳のタクミくんは男の顔をする。あー、やべえな。十四歳差か。さすがにないな。でも僕と関さんは十二歳差だ。
「そもそもIPアドレスでバレる。オレまでアカ不正貸与でBAN食らいたくない。規約違反じゃん」
牛乳を飲み終えたタクミくんは、牛乳瓶をキッチンで丁寧に洗い、うがいをした。口内に牛乳の味が残るのがいやなんだろう。
そんなところに関さんの遺伝子を感じて、僕はちょっとときめいてしまった。ときめくな。
「十歳にして大人だね」
「ばーちゃんが馬鹿なんだよ。なんで全公開の配信で野良パーティーメンバーの愚痴を垂れ流してんだよ。頭悪すぎるでしょ。案の定証拠保全されて運営に通報されてアカ停止二百四十時間だよ。ギャグかな」
「きみのおばあちゃんだよ」
タクミくんはタオルで口をぬぐいながら、じっと僕を見た。ユウコさんのあざとさと、関さんの顔がまざった男の子。十歳とはいえやばいかな、と怯みそうになる。僕はこの遺伝子の元ネタの顔に弱いもので。いや、関さんの才能が好きなんですけど。
「オレ、別に、母親もその母親も好きじゃない」
「そう」
関家の居間のソファに埋もれたまま僕は、どう答えたものか考え込む。関さんは買い物に出ている。僕はタクミくんの相手を任された。僕は休日だけど、関さんといられないのなら仕事に行きたかったのだけど、昨日のアレでなんだか不調になってしまったし、「タクミの相手してやって」と関さんに言われては従うほかない。
「怒らないの、アラタさん」
「なんで? 僕も母親嫌いだったし、死んじゃった今現在も絶賛憎悪継続中だよ」
「そうだよね、なんかそんな感じする」
「小学生にあっさり納得されるとつらいな?」
タクミくんは、にいっと笑うと僕の隣に座る。
「アラタさんは大人なのに、道がわかんないまんま歩いてる感じがするから」
僕よりずっと、タクミくんの方が大人だ、と感じる瞬間がある。なぜだろう。僕が
満たされている。満たされてるはずだ。
「アラタさん?」
不意にタクミくんにのぞきこまれ、僕は我にかえった。真っ黒な瞳が僕のなかみを測るようだ。
「ああ……ごめんね、ぼんやりしてた」
「うん、それで、ばーちゃんの件なんだけどさ」
タクミくんの母方の祖母。車椅子生活になるまでは、雀荘の店員や水商売をしていたらしい。事故で不自由になってしまった母親に、ユウコさんはパソコンとインターネット回線を与えた。
「そういえば、ユウコさんとお母さんが一緒に暮らさないのが不思議なんだけど。タクミくんの親権とって、介護しながら、三人で一緒に暮らせばいいのに」
「やだよそんな地獄」
地獄。僕が笑うと、タクミくんは真顔で言い募る。
「アラタさんさぁ、うちの母さんのこと嫌いでしょ。ばーちゃんはうちの母さんの『女』なところを更に煮詰めてヒステリーを激しくしたようなもんだぞ。無理、絶対無理。蟲毒生成する壺の中で暮らすようなもんだよ」
「配信見たからすごくよくわかるよ」
「あんなんでも顔出し配信してるから変な取り巻きいるしな、ゾッとする」
還暦近い女性で顔出しゲーム配信者は珍しいと言える。一部で有名な高齢の女性ゲーム配信者がいるが、彼女はライブ配信はめったにおこなわない。そもそも動画でのふるまいも上品で知的だから人気があるのだ。
その点、タクミくんのおばあちゃんは違った。彼が『地獄』と称するのも理解できる。
ふだん淡々としている関さんと暮らしているのだから、あのおばあちゃんの険のある話し方だけでも神経に触るだろう。僕だって無理だ。そのくせ、コメントをしたリスナーが男だとわかればやけに婀娜っぽい、媚を売るような声を出す。女の人はいくつになっても『女』なんだなと思って僕は心が冷えた。きっと、僕の母親は生きていたとしても、同じようなことを繰り返したんだろう。
「車椅子生活をアピールしてるから暴言を諫める視聴者もいないし、まともなゲーム配信を観たいやつはよそ行くし。それでアカウント停止くらってりゃ世話ないけど」
「そういえば、タクミくんのアカウント貸せって言って来たんだっけ」
「そう。オレがあのゲームやってんのなんでか知ってて。まぁ母親経由で知ってんだろうけど。じゃあユウコのアカウント使えってんだよ」
タクミくんは母親の名前を呼び捨てにし、僕の隣に座るとリモコンを手にしてテレビをつけた。土曜の午後。バラエティ番組。
「ユウコさんは『姫』してて囲いのナイトたちがいっぱいいるからね。中身があのおばあちゃんになったらたいへんなことになっちゃう」
「キッモいよな。なんで? なんでゲームん中でまで女でいたがるんだかわかんねーよ」
僕はテレビ画面に視線をそそぎながら、なるべくマイルドな言葉をえらんだ。
「女、じゃなくて『自分』でいたいのかもね」
だから、あのひとたちはゲームの世界でも『女』で居続ける。じゃあ、ゲームの中でそうあろうとしないひとたちは、いったいなんなんだろう。
僕にはわからない。でも『女』でも『男』でもないひとと遊ぶ方が、僕は好きなのだった。
だから僕にはわからないんだろう。
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