10:助けてと言えるのもストーキングできるのもネット回線があるから
たすけて、と言う文字がぽこんとスマホの通知に浮かんで消えた。
会議中だった。
僕は真顔になってスマホに手をのばす。企画会議中でメンバーはゆるいひとが多かったのもあった。何より、その発信者はタクミくんだった。
『たすけて』
『いえのまえ』
『へんなおとこ』
『ばーちゃんが』
ぽこん、ぽこん、ぽこん。浮かぶ文字は切実だった。僕はスマホのロックを外すのも忘れ、同席していた関さんに目を向けた。
「関さん、息子さんが」
「うん」
どうしたどうした、とプランナーメンバー数人、プログラマー数人の会議の輪が乱れる。土田さんが「何があった?」と端的に訊いた。
「どうも息子が変質者に付きまとわれてるみたいだ」
関さんがひどく冷静に答え、場は一瞬沈黙したあと大騒ぎになった。
「警察!」
「ていうか息子いまどこ!?」
「関さん今すぐ迎えに行って!」
ミーティングルームから背中をみんなに押されるようにして、関さんが押し出される。
「息子さんはとりあえず交番とかに逃げるように言って。無理そうならコンビニとかに逃げ込んで」
土田さんが言語化すると説得力がある。みんな頭では理解していた事ではあったが、言われて初めて実感するのだ。
僕はスマホのロックをはずすと、関さんと僕とタクミくんのグループチャットに、土田さんの言ったことをそのまま流した。
関さんはスマホと財布だけを掴んでオフィスから出ていった。数分して、僕のスマホに通知があった。
『こうばん あった』
『おっさんどっかいった』
ようやく落ち着いたようだった。僕は返信を打つ。
『大丈夫? 今、お父さんがそっちに向かったよ。ユウコさんにも伝える?』
『喜んで大騒ぎするから 絶対やめて』
十歳の子供の方が冷静だ。僕は返信を見ると、笑いをこらえた。
「ばーちゃんが、配信中にオレん家の住所が出てる画面を晒しちゃったんだよ」
めちゃくちゃ不機嫌な顔で、タクミくんはそう告げた。結局、安心できないということでタクミくんと関さんはしばらくウィークリーマンションを借りて、そちらで仮住まいをする手配となった。
「なんでまた、そんな愚行を」
交番で関さんと無事に合流し、警察に念のための被害届けを出そうとしたが、実際の被害がないので申告だけして、タクミくんと関さんはいったんオフィスに来た。ユウコさんは幸い、午後から社外打ち合わせからの接待というスケジュールのため、タクミくんがオフィスに来ていても騒ぎに気付かれることはない。
「オレの誕生日が近いからって、プレゼントを通販サイトで見繕って送信するまでを配信してたらしいんだけど」
「それゲーム配信とは関係なくない?」
「いまあいつ、MMOのアカウント停止くらってるからオンライン麻雀やってるよ──要するにあのババアは毎日毎日何かしら配信しないと生きていけない配信依存症なの! たとえ視聴者が一桁でも!」
で、関家にその一桁の視聴者のうちのひとりが来たというわけだ。タクミくんの顔写真なども祖母は無防備に配信していたそうだ。どれだけ頭が悪いんだろう。この間検索したときに、彼女の住所や電話番号、本名なんかも匿名掲示板に載っていたくらいだから、普段から無頓着に配信で垂れ流していたんだろう。
マンションに帰宅し、オートロックを開けようとしていたタクミくんの耳元に、男は囁いたという。
「きみ、やっぱりあんまり、おばあちゃんに似てないね」
ばっと振り向いたタクミくんの顔をあらためて覗き込んできた男は、満足そうに笑った。それだけで全身が総毛だち、タクミくんはその場から脱兎のごとく逃げ出した。
やたら重いだけのランドセルなんかを背負ってなくてよかった。自分で気に入った、アウトドア用の走りやすいリュックで、スニーカーでよかった。タクミくんは走って走って、近くのコンビニに駆け込み、スマホを取り出してメッセージを送信した。
『たすけて』
男がゆっくりと歩いてくるのが、ガラス越しに遠く見え、タクミくんは反対側の出口を使ってコンビニを出た。そしてスマホに言葉を送りながら、交番を探したという。賢い子供だ。さすが関さんの血。
「もうやだ。もう耐えられない。あのババアのパソコンぶっ壊していいよな? なんでオレがこんな目に遭うの?」
「タクミくんが女の子だったら、もっと悲惨だったかもしれないね」
「冷静に言わないでよアラタさん!!」
自動販売機で買ってきた紙コップのココアを差し出すと、タクミくんは黙ってそれを受け取った。とりあえず僕の作業ブースにパイプ椅子を持ち込んで、タクミくんをお預かりしている。僕の作業はひと段落していて、関さんとの整合性チェックくらいなので今はひまなのだ。もっとも、さっきからタクミくんを心配して社内の人間がちょこちょこと顔を出しているから、落ち着かない。
「考えたら吐きそうになってきた。いやまじでオレ、女だったらやばかったんじゃないの?」
「男の子だってやばいよ。そもそも男の子だってわかって、来てる時点でやばい」
ショタの同性愛者。別に、性的指向にケチをつけられる立場ではないけど、青少年に手をだしてはいけない。むしろタクミくんはまだ十歳のこどもだ。
「大丈夫?」
僕が問うと、不安そうな瞳の色をしたタクミくんは、こっくりうなずいた。強いね。僕が十歳の時、こんな強さはあっただろうか。
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