8:アラ還ゲーム配信者はあらぶり、その孫は二次被害に怯える
母親との過去を話せる関さんは、僕、瀬名アラタにとって、さらに大事な存在になった。ぶっちゃけると、好きだったひとなのにもっと好きになった。これ以上好きにさせないでほしい。困るので。
そんなわけで、僕は関さんに告白し、彼がシングルファザーだろうがバツイチだろうが、僕の勤務先の社長の元夫だろうが、そんなことは構わないという勢いで恋人にしてもらった。もちろん、関さんにはタクミくんというお年頃のお子さんがいる。十歳。反抗期にさしかかり、そろそろ親から距離を取り始める時期だ。
二週間に一回、タクミくんはユウコさんの家に行き、親子の時間を過ごす。僕はその週末は関さんのおうちにお邪魔して、恋人の時間を過ごす。よくできている。もちろん、仕事の合間にいっしょに出かけたり飲みに行ったり食事に行ったり、博物館や美術館、映画を観に行くので、僕と関さんの関係は良好だ。
「人生のうちで、今がいちばん満たされてる気がする」
差し出された巨大な紙コップから、バター醤油味のポップコーンを掴みとりながら、僕は言った。
「どうしちゃったの、皮肉屋のアラタくんがそんな殊勝なこと言っちゃって」
「そうかな、僕は結構自分に素直に生きてますよ、子供のころから」
劇場の大きなスクリーンには、つまらなさそうな邦画の予告編が流れている。つまんないな、と僕は最初の数秒で判断し、小声で関さんとの会話をつづけた。定員二百名の劇場内に観客は二十名くらい。金曜日のレイトショーとはいえ、小難しい海外作品をデートに選ぶ人間はそういないのだ。だからひとりで観に来ている観客が多数だ。
僕と関さんは仕事柄、観たい作品がかぶることが多い。だからこうしてふたりで観に来れる。そんなささいなことさえうれしいのだ。社長だって仕事柄映画に興味のある顔はしているが、どうしたって人気作品しか選んでいない。そこが、僕と彼女の立っている場所の違いだ。優越感を感じちゃいけない理由は、ないはずだ。
映画を見終えたあと、僕と関さんは彼のマンションに向かった。途中のコンビニで酒やつまみ、水を買い込んだ。あとはのんびりと関さんのDVDコレクションとかLD(レーザーディスクなんてものがあることを、僕は彼と付き合って初めて知った)を観たり、キスだのそれ以上の濃い目のコミュニケーションをしたりして、日曜の昼前には全ての痕跡を全部きれいに拭い去って失礼する。
それが僕の、関さんとタクミくんのおうちにお邪魔するときのルールだった。タクミくんは、お父さんの恋人が自分の不在時に入り込んでいることを気づいているようではあった。でもそれがまさか僕だとは悟っていない。さすがにあの無神経な社長も「あなたのパパはゲイなのよねえ」とか教えていないのかもしれない。どうだろう。言ってそう。そういう女じゃん?
「ちょっとごめん、タクミからだ」
キスする前でよかったな。玄関に入って、ふたりで手を洗ってうがいを終えたときだった。僕らはそういう衛生面の価値観も一致している。あー関さん大好き。シナリオの言語センスもキャラづくりもすっごい好きだけど、手洗いうがい歯磨きお風呂を徹底する男ってだけで株価が高い。僕の基準がちょろいのか?
関さんはLINEの画面を確かめ、そしてすぐ通話に切り替えた。僕はスマホの液晶画面を見る。深夜一時ですよ、タクミくん。十歳の男の子はもう寝ている時間だ。まあ金曜の夜なんて、子供は寝たくないものだ。大人だって寝たくないし。
突っ立っていると関さんが僕を気遣ってしまう。
僕は買って来たコンビニの袋を関さんから受け取り、リビングに移動する。ミネラルウォーターのボトルを取り出すと、開栓して口をつけた。
「え? 向こうのおばあちゃんが? また?」
関さんの眉が困った、という風情でさがっている。僕の方へ移動してきて、隣に座った。ちょうだい、と手をさしだすからミネラルウォーターを手渡した。
「アカウントよこせって、なんでまた!? は!? アカウント停止!? そんなのIPアドレスでバレるし、お前のIDが今度はブラック化するだろう! 断りなさい! 断っていい!」
そのあと、関さんにしては強い口調が続き、「文句があるならお父さんに言うように伝えなさい」と〆て、関さんは通話を切った。
「……なんかよくわかんないけど、おつかれさま」
「──疲れた」
はぁぁぁぁ、と長い長いため息を関さんはついた。
「ユウコさん──君のところの社長ね、のお母さん、ゲーム配信者なんだよね」
「え、はい!?」
だって社長ってもうアラフォーだ。その母親っていえば、還暦近いんじゃないだろうか。ゲーム配信者。すごいな。いるとは知ってたけど、アクティブだ。
「交通事故にあって、車椅子生活なんだけど。ユウコさんがパソコンを買ってあげてからネットゲームにハマってね」
「あ、あ、あーー……なんかもうね、転落の先がだいたいわかりますよ、僕。伊達にネトゲ廃人経由ネトゲ不倫で心中未遂からの結果自殺した母親持ってませんよ」
「暗い過去を軽々しくカジュアルに言うよねアラタくん」
スン、とした表情の関さんがかわいい。僕は思わずそのあたまを撫でた。ちょっとかための、くせ毛。好き。最近白髪が増えたのを気にしてるところとかもかわいい。
「本人曰く江戸っ子で思ったことを口にするサバサバした女なんで、パーティーを組んだ人の欠点が気になり、配信上でついつい口にしてしまう」
「コンテンツ利用上の他者への暴言で通報されるやつだ」
ユウコさんの母親だと思えば、そういう無神経さ&自称サバサバ女かつ地雷女ぶりも納得なんだけど、タクミくんからすれば難儀な話だ。
「そう、それでアカウント停止を運営から食らったので、タクミのアカウントを貸せと言って来たらしい」
「タクミくんのおばあちゃんが」
「タクミにとっては、母方の祖母が」
僕は笑いそうなのを堪えて、コンビニの薄白いがさがさした袋から、あまいはちみつレモンサワーの缶を取り出した。酒だ。こんなばかみたいな話、酒でも飲みながらじゃないと聞いていられない。
「タクミに訪れた悲劇を、酒のつまみにしようというアラタくんのたくましい根性好きだよ」
「酒なしに訊ける話じゃないでしょ」
関さんはまた深いため息を吐いた。おつかれさまです。
僕はスマホを手に、関さんをじっと見つめた。
「で、そのおばあちゃんはどこで配信してるんです? つべ? だむ? にこ?」
「荒らしちゃだめだよ」
「見るだけ見るだけ」
「アカウント停止されてるから、今はゲームしてないでしょ」
とはいうものの、関さんのいうキーワードだけで検索した結果、あっさりとタクミくんの祖母は見つかった。検索サイトは最強である。ついでにおばあちゃんがめちゃくちゃ個人情報を垂れ流していた形跡も垣間見えて、関さんは青ざめていた。ネットってこわいですね。
「車椅子生活で不便だからって、うかつにパソコンとネット回線与えちゃいけないやつだ、これ」
「ユウコさんは、インターネットがあれば誰でも賢くなるって思ってるから」
「ユウコさん本人がそうでもないのにね」
「ア、ラ、タ、く、ん」
咎めるように名を呼ばれ、僕はにっこり笑ってみせる。他でもないユウコさんがお気に入りの、表面上だけはきれいに出来た僕の顔面。関さんが好きでいてくれる、僕の容貌。ああ、顔だけはきれいに産んでくれてありがとう
動画配信サイトで、女性が泣きわめいていた。いや、まだ五十代、見た目的には全然若く見える女性だった。単純に脳味噌が幼いと、外見も若く見えるのかなと僕は思った。
彼女はネトゲの運営の名前を出して、自分は悪くないのにアカウント停止されたと泣きわめいていた。いや、こんな醜態を配信する知性とメンタルすごいな、と僕は感心しながら甘い缶カクテルを舐めていた。なまじっか、スマホを大きな液晶テレビに接続して、画面に映し出していたので、ホラー映画みたいだった。
「うちの母親もこんなモンスターになってたのかな、生きてたら」
「メイちゃんかぁ」
しばらく、画面から流れてくる罵倒や喚き声や泣き声を虚無の瞳で眺め、関さんは呟いた。
「なってたかもね」
『あたしは悪くない。思ったことを言っただけ。使えないって。あのナイトがあたしをかばわないから、あたし死んじゃったじゃない。だから言ってやったのよ、でも配信でよ? ゲームの中では言ってないわ。あたしがあたしの配信で何言っても自由でしょ。ちょっとへたくそとか言っただけでしょ。あたしサバサバした女だから思ったこと全部言っちゃうのよ。あたし課金してるのに、どうしてゲームできないの。アカウント停止とかふざけてる。消費者庁と、警察と、弁護士に言ってやる。あと娘はね、有名なゲームクリエイターなのよ。見てなよ、あとでヒイヒイ言わせてやるから。泣いて後悔したって遅いんだから。
遅いんだからね!!』
「さっきからおばあちゃん、同じことずっとリピートしてませんか」
「してるね、もう見なくていいよアラタくん」
「で、アカウント停止って、G社なら初回は三日ですよね」
関さんはうなずく。あいにくというか不幸にもというか、僕らも同じネトゲをプレイしている。まさかとは思うけど、ゲーム内ですれ違ったり、パーティーを組んでいて、このおばあちゃんに配信で罵倒されていたらいやだな。
「でもこれ初回じゃないんだな」
関さんが残念そうに告げた。どういうことなの。何回目なの。学習能力ってないの、還暦近いんじゃないの!?
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