第70話 海へ

 朝矢が放った矢はみごとなまでも美也子の額を貫いている。その直後、彼女のからだがゆっくりと倒れていった。


 しかし、地面に倒れ落ちるよりも早く尚孝が美也子の体を支える。


 意識を失っている美也子は目を覚ます気配はないが、息は落ち着いている。ただ眠っているだけだということに気づくと尚孝はほっと胸を撫で下ろしたのちに野風のほうをふりかえる。


「手長足長は動きを止めている。その娘のなかにいたものも出ていったようだ」


 野風は周囲を注意深く見回す。


 手長足長は完全に動きを止めている。ただし、止めているだけでその場を去ったわけでとない。どこか戸惑ったようにキョロキョロとなにかを探しているといった感じだ。


 いったい何を探しているのかは野風にはすぐに想像がついた。


 自分達の主を探しているのだ。主から次になにをすべきかの指示を仰ぐためだろう。どうやら、彼らは己の考えで行動ができないでいるようだ。


 戦うことも逃げることもできないままにその場にたたずむ姿が野風には滑稽にみえる。


「おい! お前たち」


 見かねた野風が手長足長たちに話しかけると、ようやく野風たちの存在に気づいたかのように見る。


「お前たちの主はここにいない。だから、いくら探しても無駄だ」


 野風がいうと手長足長たちがいっせいに首をかしげる。


「シンクロ率半端ない!!」


 野風は手長足長があまりにも息がぴったりに首をかしげたために思わず突っ込んだ。


 先程まで戦っていたはずの手長足長だったのだが、いまはまるで迷子の子供のように不安な顔を野風にむけている。もちろん、子供ならば愛らしくて可愛いものなのだが、手長足長の顔というものはなにせ禿げた中年のおっさんが二人いるようなものなのだ。そんなおっさんたちが何十人もが助けてといわんばかりに視線を向けるものだから、吐き気さえもする。


「おい。こいつらはいつまでここにおるとや? 」


 野風がため息を漏らしているといつの間にか朝矢とビクニの姿があった。


 どうやら堤防のほうから降りてきたらしい。


「美也子!」


 ビクニは気を失っている美也子のほうに駆け寄る。ただ眠っているだけであることに気づくとほっとしとが、すぐに周辺を見回した。


「憑き物はすでにいない」


 野風のことばにビクニが目を見開きながら振り返る。やがてなにかを悟ったかのように静かに目を閉じると、再び開いて海のほうへと歩きだした。


「おい」


 朝矢が話しかけると彼女が顔のみをこちらへ向ける。


「帰ったのよね。あの人は」


 そのことばにその場にいるものたちは誰もが答えに困った。もしも、ここに桃志朗がいたならば的確に応えたにちがいない。


 なによりもこの件に関しても桃志郎はすべて見通していたのだろうという推測も朝矢たちにはついていた。はたして、ビクニになにをいうべきなのか。


「消えてはいないのは確かだ。俺の矢はこいつの体内から強引に引き離しただけだからな」


 しばらくの沈黙の後に朝矢が応えた。


「そうなの。除霊とかの類いではないわけね。やさしいじゃん」


 ビクニはそういって口元に笑みを浮かべる。


 そして、彼女は今度こそ朝矢たちに背を向けて海の方向へと歩きだす。


 すると、どうしていいかわからずに不安な顔をしていた手長足長たちも彼女のおとに従うように海へと歩きだし、その姿は徐々に消えていった。


 最後にビクニの姿が消えていき、波音だけが異様なほどに響き渡った。



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