第67話 旅立ち
「もう終わりです」
時子は愛する孫息子を抱き締める。
「終わり?」
まだ幼い孫息子は不思議そうに時子を見上げていた。まだ8つになったばかりの無邪気なこどもは状況をいまいち理解していないのだろう。ただ時子の言葉の意味を確かめようとしている。
果たしてよいのだろうか。
まだ年端もない孫とともにこの世を去ることを選んでよいものか。
どうにかこの子だけでも生かす道はないのだろうか。
船が揺れている。
自分たちとともにここまで逃げてくれた家来たちが次々と敵によって倒され海へと沈んでいく。海は荒れ、彼らの血で赤く染まっていく。
もはや、追っ手たちに抵抗することも逃げる術も持ち合わせてはいない。
もしも、
もしもあの人がいたならば、どうにか気に抜けることができたのかもしれない。
時子は今は亡き夫のことを思い浮かべる。ただの一介の武家にすぎなかった一族を国の中枢まで後あげた偉大なる一族の長は常に自信に溢れた顔をしていた。
まっすぐな眼差しで自分の野望のために突き進む姿に時子は心から敬愛していたのだ。けれど、彼はもういない。病に伏して、あっという間にこの世を去ったのだ。
それから一族の一応が弱まるのは早かった。あれほどに栄華を泊した一族の姿はどこにもない。ただ敵対勢力に追われ、必死に逃げることしかできなかった。
気づけば、時子が過ごした都は遠い東の果て。見知らぬ地の海の上で孫息子とともに生死の選択をせまられているところだった。
「終わりです」
「おばあさま。どこかいかれるのですか?」
孫息子が尋ねる。
「そうです。私たちは旅立たねばなりませぬ」
「旅立つ? どこへ?」
「帰るのです」
「帰る?」
「そうです。神々の住まう我らの祖国へ帰るのです」
幼子は理解できずに時子を見つめる。
「大丈夫。私がともに参ります。だから、ら、御上は心配なさらずともよいのです」
「おばあさまもいっしょに?」
「はい。私だけでなく、皆が一緒に参りますので、寂しゅうございません」
時子はそういいながら、孫息子を優しく抱き締めた。
バシャン
バシャン
海の水面が泡立つ。
次々と一族を支えてきたものたちが海へと沈んでいっている。
もう時間はない。
「二位尼さま……。よろしいのですか?」
時子と同じ船に乗っていた家来が尋ねる。
「もう覚悟はできております。どうか、御上とともに参らせてくださいませ」
時子は抱き抱えた孫息子をみる。
孫息子はそんな祖母を離さぬように抱きついた。
この幼子は彼なりに祖母の想いを汲み取ってくれたというのかだろうか。ただ時子の首に抱きつくと時子の体に顔をうずめた。
「さあ、参りましょう。私たちもお供します」
そういうと家来はなんの躊躇いもなく海へと飛び込む。
「私たちも参りますよ」
時子は顔をうずめたままでいる孫息子の頭を優しく撫でるとすぐそばにあった一本の刀を孫息子のほうへと引き寄せると、海へと飛び込む。
刀が重りになって、時子と孫息子の体はゆっくりと海のそこへと沈んでいった。
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