第57話 竜宮より参られし者②

「ちょっと、どうしたのよ。ねえ」

 

 美也子は自分の腕をつかんだまま走っていく少女に声をかけるも、彼女は答えようとはしなかった。


 ただどこへ向かうのかひたすら海沿い道を走り続けているのだ。


「ねえ。あんた家出してたの?ちょっと、聞いてる。答えなさいよ」


 美也子は立ち止まるとおもいっきり彼女の腕を振りほどいた。


 ビクニは前のめりに倒れそうになるが、すぐに体制を整えながら美也子の方を振り向いた。


「なんなのよ!? あんた! いい加減にしてよね」


 美也子が叫ぶとビクニは驚いたように目を見開く。


 そして、うつむいた。


「ごめん」


「謝られても困るわ。私、帰る」


 美也子はビクニに背を向けて元きた道を戻ろうとした。


 しかし、ビクニが再び美也子の腕をにぎりしめてくる。


「ごめんなさい。美也子を巻き込んでごめんなさい。でもね。もう少しなの」


「え?」


 その弱々しい声に美也子が振り向くと、ビクニはうつむいたままで体を震わせていた。


「もう少し夢がみたいの」


 ビクニはつぶやくようにいう。

 

 それは一体どういう意味なのだろうか。


 美也子は怪訝な顔でビクニを見ていると、自分をつかんでいる彼女の腕がいように白いことに気づいた。同時に握られていた腕が氷のように冷たい。

 

「ねえ。私の話を聞いてくらない? あなたに私の夢を叶えてほしいの」


 彼女は顔をあげる。


「ビクニ?」


 明らかに顔色が悪い。


 真っ青で死人のようだと美也子は思った。


「……おねがい……私の……」


 その直後、ビクニは握りしめていた手の力が抜けていき、美也子に向かって崩れるように倒れた。



「ビクニ!?」


 美也子はとっさに彼女を支えようとしたのだが、そのまま後方へとバランスをくずした。


 美也子はビクニを体の上にのせる形で地面に倒れた、


「ビクニ? ちょっと!! 大丈夫!?」



 美也子は何度もビクニを呼ぶ。けれど、反応はない。息づかいは荒く、肩が激しく上下に動いている。


 体は冷たく、額から冷や汗が流れ落ちている。


 どうみてもビクニの様子は普通ではない。


「どうしよう。どうしよう。きゅっ……救急車!!」


 

 美也子は携帯をとりだそうとした。けれど、携帯はない。

 


 突然、家を飛び出したから携帯を持つ暇などなかったのだ。



 どうしよう。


 どうしよう。


 美也子は公衆電話がないあと周辺を探す。


 けれど、公衆電話がある様子はない。


 車も通らず、周辺にも店らしきものもなかった。


 とにかく、どうにかしないといけない。


 美也子はビクニを一度自分の上から地面にそっと寝かせると立ち上がる。


「待っててね。すぐに救急車をよぶから」


 そういって立ち去ろうとしたとき、突然ビクニが美也子の足をつかんだ。


「ビクニ?」


 美也子が振り向くと、彼女の髪の色がピンクへと変化していた。


「え?」


 両腕には魚によくあるヒレがついており、足だった部分がなくなって代わりに魚の尻尾のようなものが映えている。


 その姿を見て、美也子はとっさに人魚という言葉が思い浮かんだ。


 

 そう認識した瞬間に、背中を氷が通っていくような冷たさを感じ、捕まれていないほうの足が一歩下がる。


「大丈夫……。栄養とれば大丈夫……」


 なにをいってるのか理解できずに美也子はビクニの顔を見た。


 すると、かすかに口許が微笑んでいることに気づく。


 同時にそこ知らぬ恐怖が襲いかかってきたのだ。


 逃げないと


 美也子はとっさに彼女の腕を振りほどこうとした。


 けれど、振りほどけない。


 それどころか、全身から力が抜けていくのを感じた。


 意識が朦朧とする。


 立っていることもできなくなった美也子の膝が折れ、そのまま地面につくと同時に上半身が横へと倒れた。


 同時に先程まで死人のようにしていたビクニの肌に血色が戻るのを呆然とした視界の中で見えた。


 ビクニはゆっくりと立ち上がる。


 美也子の意識はだんだんとぼやけていく。


 だから、彼女がどんな顔で自分をみていたのかわからないままで、美也子は意識を手放した。

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