第56話 竜宮より参られし者①

「海は広いな~大きいなあ~」


そのころ、フェリーに乗った伊恩はデッキに出るとのんきに歌い始めていた。


その傍らにいる龍仁は苦虫をかんだような顔をしながら、上機嫌の伊恩を見ている。



「あのさあ。伊恩」


 ついには龍仁が口を開いた。


「ちょっとボリュームさげてくれん?」


「はあ? なんで? こがんも気持ちよかとけ、歌わんぎ損たい」


 そういいながら、再び歌い始める。


 伊恩は決して歌が下手といわけではないのだが、のりに乗っていて歌う時ははならずというほどに音をはずしてしまうのだ。


 いまもまた、小学生が歌う童謡の曲だというのに見事にはずしているのだ。


「君さあ、朝矢がおらんけんって思いっきり歌うなよ」


「だって、あーくんがおるとぜったいにどつくけん」


 たしかにそうだ。朝矢は伊恩が歌い出そうとするものならば、「やかましか」と背中から蹴りを入れてくるのだ。それでも懲りずに歌っていたのだが、何度もやらえたものだから観念して朝矢の前でおもいっきり歌うことなくなった。


 とはいえども、口ずさみはする。それに関しては、そんな傍若無人な行動におよばれることはなかったからだ。



 「どれに関しては、朝矢じゃなくても文句言われるレベルやっけん」


「あああ。みっちもひどかあ。おいだって練習すれば、プロにでもなれるばい」


「ええ。プロになるつもりとね?」

 

 龍仁が問いかける前に、別の方向から声がした。


 振り向くと愛美と桜花の姿があり、愛美が興味津々に伊恩を見ている。


「バンドでプロデビューもよかかもとは思っとるばい」


 伊恩が陽気な口調でいう。その後ろで「僕はいやだね」といわんばかりに顔を歪める。


「うーん。それは無理と思うばい」


 愛美がはっきりと言った。


「なし?」


「朝矢ってそういうのすかんけん。バンドでプロになるとはダメ。だけん、うちだけがあるとよ」


 そういいながら、彼女はくるりと一回転をした。


 そのまま、突然歌い始めたのだ。


「ちょっと、めぐ。やめんね」


 桜花の静止の声も聞かずに歌い続けている。


 その歌声に反応してデッキにいた観光客が振り返り出した。


 いつのまにか人だかりがで来はじめている。


 気持ちよさそうに歌う愛美。


 困惑した目で周辺を見る桜花。


 

 遠くのほうでは、桃志朗とナツキがこちらを見ている姿が見える。


「めぐ。やめなさいよ」


 一フレーズ歌ったところで、桜花が愛美の腕を引っ張りあげた。


 それとほぼ同時に、フェリーが大きく揺れはじめたのだ。


 突然のことで、立っていた人たちが次々と倒れる。


 それは伊恩や龍仁たちも例外ではなかった。



「え? 突然なんだ?」


 船の揺れは止まれない。


 海のほうを見ると、普段は比較的穏やかな海に大きな波がたち始めていたのだ。


「うわあああああ」


 どこからともなく悲鳴が聞こえてきた。


 そちらを振り向くと、海のほうからフェリーに向かってなにかが這い上がってくるのが見えた。


 

 いずこにおわす


 いずこにおわす


 いつも戻られる

 

 同時に海のほうからいくつもの声が響き渡ってくる。


 その声は不気味な声音で耳にした人たちのだれもが、なぜか恐怖心を抱かせた。


「あれえ? なんかでてきたよおお」


 ナツキひとり楽しそうな声を出す。


「待ちきれなかったみたいだね。長どの」


「すまぬのう。彼女は短気なんじゃよお」


 桃志朗と長も落ち着いた口調でデッキのほうへと上がってきた何体もの手長足長とそれを従えているらしい女のほうを見る。


「お主はなにをしておる。こんなところで遊んでいる場合じゃないだろう。姫を早くつれてこぬか」


 そういいながら、女は長を睨み付けていた。


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